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日本人とノーベル賞 4〜遠い科学立国日本への道〜|教育問題

前回は「日本人とノーベル賞 3〜科学立国日本への険しい道のり〜」の話でした。

真鍋氏の会見内容が、日本のサイエンティストの厳しい環境を物語っていました。

益川氏の言う通り、日本はもっともっと高みを目指すくらいで、ちょうど良いのではないでしょうか。

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真鍋淑郎氏(2021年ノーベル賞受賞者)(朝日新聞社)

20世紀の第二次世界大戦の際に日本は軍事力のみならず、科学力でも米国に敗北しました。

しかし、戦艦大和他の科学力・技術力は、米国は別格としても、世界でかなり高いレベルでした。

そして、戦時中の科学力・技術力を継承し、さらに新たなイノベーションを起こしました。

真鍋淑郎氏(2014年ノーベル賞受賞者)(Wikipedia)

20世紀後半は日本の科学力・技術力が世界を席巻した時期もあったのです。

ノーベル賞受賞者の数が、各国のサイエンスの力をダイレクトに示しているわけではありませんが、一つの指標にはなるでしょう。

日本の大学院では博士課程に行った後の人生設計が、非常に困難なことは2000年頃からフォーカスされていました。

それに対して、文科省もある程度の対応はしているでしょうが、まだまだサイエンティストを育てる環境には程遠いでしょう。

僕が大学院にいた2000年ごろに文科省が「大学院大学」を一気に推進しました。

この「推進」というのが驚いたことに、予算をつけて「教職・学生の人数を増やした」のです。

大学院大学の教授・研究室が増え、大学院、特に博士課程の募集人数を「一気に」増やしました。

「人数だけ増やしてどうするのか」と思ってしまいます。

まさに「質より量」と言うイノベーションとしては最悪の方向に走った結果、日本の大学の競争力をさらに下げることになりました。

まさに政府による大いなる失策です。

人数を増やしても、なお企業の「博士号なんていらない。社内で育てる」という意識が変わらない。

多くの学生は大学院は修士課程まで行って就職し、需要と供給のズレがさらに大きくなりました。

博士課程に行くのは、自らの専門性を高めるというよりも、「博士号を取得して、日本国内の教職を目指すこと」が主な目的となっています。

研究者としての大成を目指す環境になっているとは、とても言えないでしょう。

まずは博士号を持つ理科系の人間をもっと大事にすることが、科学立国日本の再生への最初のステップとなります。

益川さんのご意見を大いなる警鐘と考えて、政府には科学立国日本の現状を改めて考えて欲しい。

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