前回は「日本人とノーベル賞〜科学立国日本へ再起する道のり・国別ノーベル賞受賞者数と人口・2008年ノーベル賞受賞者たち・益川敏英・小林誠・南部陽一郎・下村脩〜」の話でした。
遠い科学技術立国日本への道

真鍋氏の会見内容が、日本のサイエンティストの厳しい環境を物語っていました。
日本に戻って研究することを懇請され、日本での研究の予算を科学技術庁(当時)に要求した真鍋氏。

予算がなければ、
研究は進みません!
この研究、
よく分からないですね・・・
どんな意味が
あるんですか?



これは〜のために、
必要な予算です!
よく分からないので、
認められません!



・・・・・
すでに大きな成果を上げていた、世界的物理学者・真鍋氏の予算要求を却下した科学技術庁幹部。





日本人のノーベル賞受賞者は、
もっと多くていいと思う。
益川氏の言う通り、日本はもっともっと高みを目指すくらいで、ちょうど良いのではないでしょうか。
戦艦大和と零戦を生んだ戦前の高い技術力


20世紀の第二次世界大戦の際に日本は軍事力のみならず、科学力でも米国に敗北しました。
戦艦大和他の科学力・技術力は、米国は別格としても、世界でかなり高いレベルでした。
軽量化を重視しすぎて、防御力に弱かった零戦。


弱点があったものの、高い航続距離と旋回性能で、太平洋戦争序盤は米軍を圧倒しました。
そして、戦時中の科学力・技術力を継承し、さらに新たなイノベーションを起こしました。
海軍で培った
技術をつかって、新たな発明を!
陸軍での電波の
技術を活かして、高機能なラジオを作ろう!


広島の小さなメーカーだった「東洋工業」は、最新鋭のロータリーエンジンを開発しました。
その後、東洋工業はマツダと名前を変え、現在も素晴らしい自動車を多数世に送り出しています。


20世紀後半、日本の科学力・技術力が世界を席巻した時期もあったのです。
1988年、世界シェアの50.3%と言う絶大なシェアを誇った「日の丸半導体」。
2022年には、日本のシェアは6%にまで落ち込み、最盛期の1/8以下になりました。
王者だったIntelが苦戦している「生き馬の目を抜く」ような半導体業界。
日本が再び上昇する未来を描くのは、事実上不可能な事態となっています。
質より量を目指した日本の大学院:間抜けな文部科学省の大失策


ノーベル賞受賞者の数が、各国のサイエンスの力をダイレクトに示しているわけではありません。
一方で、「一つの指標」にはなるでしょう。
日本の大学院では博士課程に行った後の人生設計が、非常に困難な実情があります。
このことは、2000年頃からフォーカスされていました。
それに対して、文科省もある程度の対応はしてきているでしょう。
一方で、まだまだ「サイエンティストを育てる環境」には程遠いのが実態です。
僕が大学院にいた2000年ごろ、文科省が「大学院大学」を一気に推進しました。
この「推進」というのが驚いたことに、予算をつけて「教職・学生の人数を増やした」のです。
大学院大学の教授・研究室が増え、大学院、特に博士課程の募集人数を「一気に」増やしました。


「人数だけ増やしてどうするのか」と思ってしまいます。
まさに「質より量」という、イノベーションとしては「最悪の方向」に向けて走ったのです。
その結果、日本の大学の競争力をさらに下げることになりました。
まさに政府による、大いなる失策です。
真鍋氏の要求を却下した科学技術庁を、事実上有する現在の文部科学省。
その「低レベルさ」は、現在も変わりがありません。
博士課程に対する失策・誤った視点は、企業にも責任があります。
人数を増やしても、なお企業の
博士号なんて
いらない!
社内で育てるから、
そんなもの(博士号)取るために、無駄に年齢重ねるなよ・・・
という意識が変わっていません。
多くの学生は大学院は修士課程まで行って就職し、需要と供給のズレがさらに大きくなりました。
自らの専門性を高めるよりも、日本の博士号には違う目的があります。
それは「博士号を取得して、日本国内の教職を目指すこと」が主な目的であることが現実です。
研究者としての大成を目指す環境になっているとは、とても言えないでしょう。
まずは博士号を持つ理科系の人間をもっと大事にすることが、最優先です。
これこそが、科学立国日本の再生への最初のステップとなります。
益川さんのご意見を大いなる警鐘と考えて、政府には科学立国日本の現状をしっかり認識して欲しい。
それは、「もう既に遅い」のかもしれません。
次回は上記リンクです。