前回は「共通テストは廃止しよう」の話でした。
「詰め込み教育」と「本来の教育」
今回は「あるべき教育の姿」に関する話です。
様々な教育論が、世の中にあります。
詰め込み教育は、
良くない!
とか
もっと子供は子供らしく、
自由に遊ばせるべきだ!
などの意見が、比較的多いです。
「詰め込み教育が良くない」のは事実ですが、一方で「教育は詰め込まないと始まらない」のも現実です。
そもそも、「詰め込み教育」とはなんでしょうか。
「なんでもかんでも覚えたり、ひたすら勉強する」のが「詰め込み教育」のイメージです。
ただ、ある程度は「詰め込んで初めて教育が始まる」のも事実だと考えます。

小学校1年生が取り組む「たしざん」も、最初は、
1+1は2、
1+2は3・・・
で始まるしか「やりようがない」のではないでしょうか。

そして、漢字もたくさん覚えなければなりません。
漢字を覚えるのは、「書いて、声に出して覚える」のが一番良いのですが、「頭に詰め込んでいる」のです。
「詰め込み教育は良くない」ですが、「詰め込み」と「あるべき教育」は相反する概念ではないと考えます。
中学受験と教育
その中、首都圏を中心に中学受験をする子どもが増えています。

「少子化」にも関わらず、「増えている」のです。
これは、かなり衝撃的な事実です。
この中学受験に関しては、様々な意見があります。
大学受験や
高校受験は仕方ないが・・・
まだ小さな子供に、
無理矢理勉強させて・・・
中学受験させるのは、
子供の成長を妨げる!
と主張する方もいらっしゃいます。
確かに、小学生の頃に「一生懸命遊ぶ経験」は非常に大事です。
それに対して、中学受験する方が、
僕は
勉強する!
と考えるのもまた自由だと思います。
中学受験を「子どもから自発的にやる」ことは考えにくく、実際は「親が決めている」のが実態でしょう。
そして、子どもが
勉強するのは、
あまり好きでないけど・・・
と「無理やり勉強させられ続けている」のならば、問題だと思います。
僕も中学受験しましたが、実際は多くの中学受験生は、大きなプレッシャーにさらされながらも、
塾で
できる学校外の友達も楽しい!
と、「楽しんでいる面」もあるのです。
「正しい教育」「あるべき教育」というのは、「そもそも正しい答え=正しい教育」は存在しないと思います。
「それぞれの価値観による」ことに過ぎないと思います。
数学や物理では、論理的に「正しい」か「正しくない」かハッキリすることが多いです。
「教育はどうあるべきか」ということに関しては、それぞれのスタンスや価値観によって、前提も結論も異なります。
それが本来であって、「人それぞれの考え方」で良いように思います。
例えば「人殺しは正しいか?」に関しては、正常な人間であれば「正しくない」となります。
実際には「国家国民を守るために」人殺しをしている軍隊という組織も世の中にはあります。
そして、実際に「自国の為に、侵攻した」と主張する国もこの世に存在しています。
米国と日本の教育・受験
ウクライナの悲惨な状況が、連日続いています。

この世界的に地政学が変化している中、日本はなんとなく蚊帳の外に置かれています。
基本は「ロシア・中国vs欧州・米国」という構図であり、カナダも日本も「米国の一部」みたいな扱いです。
カナダは立派な国家で、ウクライナに関して、独自の支援を明確に打ち出しています。
日本は、強い自己主張すらせずになんとなく、「米国の言う通り」みたいな感じです。
これも、戦後の「暗記中心」教育の影響は大きいと思います。
この中、米国で新たな動きがありました。
米国の超名門校アイビーリーグなどで、入試が大きく難化しました。
「難化」の理由、それはSATというペーパーテストの点数を「必須としない」学校が3/4ほどになりました。
そして「入試の合否判定が多様化した」ため、「志願者が大幅増加した」為です。
いかにも、イノベーション世界超最先端の米国らしいです。
ペーパーテストは、
どうでも良い!
という姿勢を明確に打ち出した米国。
対して、推薦入試・AO入試があるものの、基本的にはペーパーテストの出来が「合否の基準」の日本。
この差は極めて大きく、さらに米国と日本の差は広がるばかりと考えます。