前回は「少子化と子どもの教育の方針・費用〜小学校・中学校・高等学校と塾・予備校の存在〜」の話でした。
共通テストの問題点

時々、
数学の平均点が、
過去最低だった・・・
少し
難しすぎたのではないか・・・
などと、物議をかもしている共通テスト。
そろそろ、この共通テストは廃止した方が良いのではないでしょうか。
共通一次、センター試験、そして共通テストと名前を変えてきたテストですが、本質的には大した変化はありません。
マークテストで「単なる知識を問う」問題なので、
知識偏重主義を
無くそう!
と、長年議論されてきました。
現実面としては、「単なる知識を問う」姿勢といえども、数学や物理の問題は結構大変です。
「答えを選ぶだけ」といえども、しっかり考えないと「答えに到達しない」ように工夫されているのが現実です。
さらに、「ありうる間違えた考え方」に沿って、
この問題は、
こう考えるはず・・・
と考えてゆくと、しっかりと「誤った考え方」に対する選択肢が用意されています。
これは、問題を作成している方が、
ここは、考え方を間違えている人が
いるから、こういう選択肢を入れておこう・・・
と考えているのでしょう。
この意味では、多少は「考える必要がある」あるいは「思考力を要する」共通試験・マーク試験。
「記述式導入」の問題点
そして、「共通試験の記述式導入」を文科省が本格的に検討するも、
記述式の共通試験は、
採点基準の画一化が難しい・・・
記述に対して、「どこまで同一点」と
するのか・・・
基準を統一・画一化
するのは、困難というか、無理・・・
となって、結局「中止」になりました。
そもそも、共通テストは画一的な試験であり、記述式は「画一的な試験ではない」のです。
相反する内容を詰め込むのが、そもそも無理というものです。
この記述式の「採点をどう行うか?」「採点基準をどうするか?」が大問題であり、解決不可能です。
画一的試験で、記述式の採点基準を作成するのは、不可能だと思います。
あのマーク式の問題が良いかどうか、というのは様々な意見がありますが、僕は「試験としては前時代的」と考えます。
ネット時代の試験のあり方
昭和までの高度成長期時代なら、まだ良かったと思います。
ネットが広まり、コンピューター・携帯電話が普及して「なんでも検索できる」時代には合わないでしょう。
「勉強すること」も「知識を蓄えること」も大事ですが、学力や努力はマークテストで測ることではないと思うのです。
せめて共通テストは、「採用したい大学の受験生」だけを対象にして欲しい。
二次試験もある国公立大学等含めて「原則すべての大学受験生は必須」とするのは、もうやめにすべきだと思います。
「共通テストを受ける必要があるかどうか」は、各大学ごとの裁量に任せるべきです。
A大学が、
うちは共通試験の成績を
重視して選考します。
と考えるのであれば、そのようにすれば良いでしょう。
また、B国立大学では、
我が大学は、二次試験重視で、
共通試験は不要です。
と考えるのであれば、「共通試験不要」にすれば良いでしょう。
いずれにしても、各大学が入学試験を作成するのは、かなりの時間とコストがかかるでしょう。
大学の教授・准教授たちにとっても、「入学試験の審査よりも大事なこと」があると考えます。
多様化する時代において、「画一性をもとめる」共通試験に対しては、「各大学の裁量」が強く望まれます。