前回は「学校・塾のそれぞれの役割〜教育と受験・詰め込み教育・勉強と学び〜」の話でした。
中学受験と塾:中学高校の部活動の大いなる価値

近年、中学受験において入塾年齢がどんどん下がっています。
そして、大学受験において「塾の存在感」が、以前よりも増しているようです。
僕が中学受験をしたのは1990年で、小学校5年生くらいから塾へ行く方が多かったように感じます。
小学校5年生の終わりの2月、つまり「一つ上の6年生の受験が終わる」時点で本格的に塾に行き始めた僕。
みんな、
結構出来る・・・
これは、とってもマズイ・・・
もっと勉強しなければ!
できる子ばかりで、非常に焦ったのを覚えています。

僕が大学受験をしたのは1990年代後半ですが、その頃から塾の存在感は強くなっていたように感じます。
僕は中学生の時には塾に通わず、中学三年生の時に親しくしていた先輩から、
高校一年からは、
数学だけでも塾に行った方が良い!
君は、僕と思考性が似ているから、
僕と同じS塾を進めるよ。
と言われ、進められたS塾に通いました。
同級生で放課後の部活動に入っていたのは、70%程度だったと思います。
残り30%程度の「部活に入っていない」同級生たちは「帰宅部」と言われていました。
彼らは、15時頃に学校が終わると家に「帰宅する」からです。
僕は文化部に入って、週3回ほど部活動に励み、18時まで活動していました。

当時、土曜日は「午前のみ授業」だったので、部活はお昼ご飯を食べた後の「13時開始」でした。
そしていつも通り、「18時まで部活動」となると、「5時間部活」になります。
結構長い時間を部活に費やしていました。
文化部で、実験ばかりやっていた僕。
「実験」といっても、大したことはないのが現実でした。
それでも、先輩・同級生・後輩と一生懸命やったのは良い思い出です。
部活動は運動部か文化部にもよりますが、「高校3年の春か高校2年の冬まで」が基本でした。
大学受験があるのに、
部活なんてやってられない!
と、高校1年末頃には、部活動をやめる同級生も多かったです。
そして、彼らは、塾に多くの時間を割いていました。
世の中では、大学受験に関して「たかが受験」という風潮があります。
一方で、子どもたちにとっては大事な事です。
それで「人生が決まる」感じでしょう。
野球部で一生懸命練習している高校生が、全国大会・地区大会で熾烈な争いをするのと同様です。
受験生にとって、大学受験は「机の上の戦い」で、「結果が全て」であるのも事実です。
ところが、中学・高校よりも「塾が優先」される環境になるのは、おかしなことです。
そして、中学・高校に対する保護者の要求が、
うちの子どもを、
良い大学に入れてください!
となると、中学・高校の役割がおかしくなるように感じます。
「良い学校=偏差値の高い学校」という日本の教育・受験界の狭き価値観

この「良い大学」というのは、国公大学・医学部であることが多いです。
そして、「偏差値の高い大学」が「良い大学」とされる傾向があります。
偏差値で序列化している日本の受験界。
明治維新となり、新政府は日本の大学設立を急ぎました。

とにかく、欧米に
追いつかなければ!
その結果、帝国大学が設立されました。
設置年 | 大学名 |
1877年 | 東京帝国大学 |
1897年 | 京都帝国大学 |
1907年 | 東北帝国大学 |
1911年 | 九州帝国大学 |
1918年 | 北海道帝国大学 |
1924年 | 京城帝国大学(韓国、のちに廃止) |
1928年 | 台北帝国大学(台湾、のちに廃止) |
1931年 | 大阪帝国大学 |
1939年 | 名古屋帝国大学 |
こうして国立大学(帝国大学)が最優先された大日本帝国。
現代日本でも、欧米と比較すると日本の大学は非常に「国立中心」です。
そして、日本の大学受験界は旧帝大を中心とする「偏差値ランキング」が蔓延しています。
そしてその影響力は大学受験界から、高校受験・中学受験界へ強く及んでいます。
さらには、小学受験界にも影響を及ぼして、「偏差値ランキング」がドンと頂点に立っています。
その結果、教育・受験界を覆い尽くしているのが現実です。
「良い学校=偏差値の高い学校」という日本の教育・受験界の狭き価値観が。
「 教育は教育、受験は受験」という本来の姿


「受験が全て」で「テストで良い点数を取ることが最優先」となると、テスト最優先」となります。
「中学・高校など行かずに、一日中ずっと塾などで勉強してる方が良いのか」ということになります。
中学・高校が「塾のような存在・体制」になることは、本末転倒ですが、
うちの子どもを、
偏差値の高い大学に入れてください!
という要望に私立中学・高校が、
はい!
分かりました!
となると、だんだん学校が塾化してゆきます。
特に高校2・3年生に対して学校が「大学受験塾・予備校」のようなことになってゆくでしょう。
学校は学校あり、「勉強するだけ」の塾ではないのです。
学ぶことは大事であり、思春期の一番大事な時に友人たちと触れ合うことが大事です。
そして時には、仲良く過ごしたり喧嘩したり、そういう経験が人生に深みを与えるのでしょう。
ところが、
とにかくテストで良い点とって、
良い大学に行くこと!
が最優先になっては、おかしなことだと思います。
中学受験熱が過熱化していて、多くの学校が中高一貫校化しました。
中高一貫は良いことだと思います。


それぞれの学校がカラーを持って、そのカラーに生徒たちが染まれば良いのです。
たくさんのカラーに染まりながら、自我を確立してゆく人生で一番大事な中学〜高校の思春期の時代。
その大事な学校がが「受験対策塾」になることは、最終的に日本の競争力が大きく削がれることになるように感じます。
確かに「結果が全て」の受験において、綺麗事を言っても仕方ない面もあります。
学校は学校であり、塾は塾です。
特に強いカラーを持つ名門校と言われる中高一貫校には、期待したいです。
進学実績よりも、その校風・カラーを維持することを。
その為には、小学生から高校生までの子どもを持つ親の一人一人が、意識を少しずつ変えてゆく必要があります。
そして、子どもを持つ親たちは、はっきりと明確に持つべきと思います。
「 教育は教育、受験は受験」という意識を。
次回は上記リンクです。