前回は「日本の規則と前例主義 2〜日本社会のルール・なぜか「出来ません」の繰り返しの対応〜」の話でした。
「出来ません」の連呼と規則

前回は問い合わせしたのに、
出来ません。
の繰り返しの話でした。
とにかく、
出来ません。
ただ「登録を変える」ことを要望しているのに、
申し訳ありませんが、
出来ません。
これでは、「話にならない」のです。
「規則」があっても「状況を適正に判断」できれば、上役に確認するなり、なんらかの対応があって然るべきだと思います。
せめて一度電話を引きとって
上役に確認しましたが、
規則上出来ません・・・
なら、まだ分かります。
「問い合わせ口」の役割と規則
ところが、電話口で何も検討もせず
出来ません。
何を要望しても、
出来ません。
では、話にならないのではないでしょうか。
そもそも「問い合わせ口」の機能をなしていないのではないでしょうか。
なんのための「問い合わせ先」なのか、分かりません。
こんなことだったら、人間ではなく「AIに任せた方が良い」のではないでしょうか。
話し合いというのは、「拒否」したり「無視」したら、続きません。
ポツダム宣言への対応:「黙殺」と「無視」

第二次世界大戦末期に同時の鈴木貫太郎首相が、米英のポツダム宣言に対して「黙殺する」と言ったのと同じです。
日本語の微妙なニュアンスの「黙殺」は、諸外国に「無視」と外電で伝わります。
そして、原爆投下・ソ連の対日宣戦布告の格好の「大義名分」となってしまいます。
こういう意思疎通の基本ができないことも、日本人が「基本的にディベートが不得意」なことも原因なような気がします。
日本の問い合わせ窓口の方と話しているくらいなら、AIと話している方が遥かに良さそうです。
AIだったら「まあ、システムだから柔軟に考えられないかもしれないから、仕方ないか。」で終わるかもしれません。
実は、窓口の人間よりも、むしろいい解決方法を提案してくれるかもしれません。
ひょっとしたら、もういう仕事はAIの方が、良いかも知れません。
人間が対応しているなら「人間らしく」頭を使って欲しい。
そして、
どのように対応したら、
困っている相手が、問題解決に至れるか?
を、少しで良いから考えて欲しい。
欧米の規則と日本の規則

外国おいても、規則がたくさんあるでしょう。
ただ、日本のように「ダメなこと」だらけではないように感じます。
実際色々と連絡取ったりする過程で、なんらかの対応をしてくれることが多い。
欧米などだと、メールでなにか要望を伝えると、必ずほぼ即日返信が来て、なんらかの対処法を教えてくれる。
日本の場合、「対処法」が登場する「気配」すら感じられないです。
「規則」は大事だけれども、柔軟性あってこそ活きると思います。
この「前例主義」と「規則大好き」の日本という国家の社会。
これは、日本政府が先頭に立って「変えてゆく」姿勢を貫くべきです。

ジョンソン英首相が、ウクライナ議会に「外国首脳として初めて」ビデオ演説しました。

猛烈な勢いで、対ロシア包囲網構築に世界を駆け巡っているジョンソン英首相・トラス英外相。

ウクライナでの大量虐殺を前に、「西側の対応が遅すぎた」と認めました。
ジョンソン首相が「遅すぎた」ならば、日本の岸田首相は、どうなるのでしょうか。
世界各国は「未来を向いて」活動しているのに、「過去を向いて」前例がどうのこうの、とばかりの日本。
世界を見て、「大きく」は無理でも「少しは」変わることを願うばかりです。