前回は「日本のあるべき教育の姿 2」の話でした。
ものの考え方と価値観
ものの考え方は、それぞれの方の価値観次第です。
その多様性こそが「民主国家の基礎」であると思います。
人それぞれで、多様な考え方があってこそ、人間であると思います。
また、そのような多様性を許容してこそ、「健全な人間社会」が成立すると考えます。
その上で、国家の未来は子供たちにかかっているのですから、「正しい教育」に関しては、議論すべきことです。
分かり合えない一線があるとしても、国家として子供たちを教育する大方針はあるべきでしょう。
見えない教育の大方針:戦前から戦後
健全な国家として、子どもたちを教育する大方針。
その大方針の一つは、「自国の歴史を知ろう」であると個人的には思います。
戦前までは、「軍国主義」という教育の大方針がありました。
そして、日本は第二次世界大戦で敗戦を迎え、米国の占領下に入りました。
そして、GHQ総司令官として、「日本統治」にやってきたマッカーサー総司令官。
なんだ!?
このJapanの教育は?
戦意高揚・戦争賛美ばかりで、
まったくなっていない!
こんな教科書を使って、
幼い子どもたちを教育できるか?
怒り心頭のマッカーサー総司令官。
不要な部分は
「黒塗り」させろ!
その結果、「ほとんど黒塗り」となった日本の教科書。
「ほとんど黒塗り」の教科書で、どうやって授業ができたのか不思議ですが、とにかく、当時の日本人にとって、
今までの
教育と全然違うけど・・・
言論統制されていた当時は、民主主義とは対極的存在の体制でした。
日本人は
12歳の子どもみたいだ・・・
と言ったマッカーサー総司令官。
さすがに「12歳の子ども」とまで言われると、反論する気もしませんが、マッカーサー総司令官の本音だったのでしょう。
当時の日本の子どもたちにとっては、180度転換した教育となりました。
現場の教員たちにとっては、大変なことであったでしょう。
それは、「方針の180度回転」どころではなく、「方針の3600度回転して、もう180度回転」くらいだったに違いない。
その後、焦土と化した日本は、再び「欧米に追いつけ・追い越せ」の教育方針を取りました。
2000年ごろには、謎の「ゆとり教育」が実施され、異常に学ぶ力がカットされました。
「円周率は3」という、「算数・数学に対する冒涜」とも言える間抜け極まりない教育方針を決定した文科省。
話にならない「ゆとり教育」は撤回されたものの、今度は「教育の大方針」が見えない状況が続きます。
戦前の日本への視点
日本では、昭和の日本や旧日本軍を少しでも肯定すると
この人、
右翼?
みたいなことになります。
なんとなくアンタッチャブルな領域となっている「戦前の日本」。
小学校の歴史教育では、ほとんど「戦前の日本」の話はされません。
江戸時代から明治維新、そして日清日露戦争までは、一生懸命授業で先生が教えます。
明治維新では、
維新の三傑が大活躍して・・・
日清戦争では、
日本が中国に勝って・・・
日露戦争では、
日本がロシアになんとか勝って・・・
その後は、「大正デモクラシー」などの話がさらっと進み、いきなり太平洋戦争になります。
そして、その太平洋戦争は「サラサラっと」簡単に紹介して、戦後の東京オリンピックに行きます。
昭和が始まる1920年からの「昭和初期の歴史=戦争の歴史」は、「蓋をされた」状況です。
そして、1920年から44年経過した1964年:東京オリンピックへワープする小学校の歴史の授業。
中学校以降の授業は、特に私立中高で「各校の裁量に任されている」でしょう。
小学校での歴史教育は、非常に重要です。
江戸時代の話だと、それこそ葛飾北斎・安藤広重だけではなく、井原西鶴・平賀源内など多数文化人も登場します。
ところが、「昭和初期の第二次世界大戦の人物」となると、途端に対象が少なくなります。
先日、図書館で小学生向けの「歴史の偉人事典」を読みました。
太平洋戦争・第二次世界大戦の
有名人は、あの二人かな?
と思って読んでいると、
案の定、「東條英機と山本五十六のみ」が登場していました。
本当はもっとたくさんの方がいるはずなのに、です。
上の写真では、東條・山本以外に紹介されるべき方がいるはずなのに「白紙」という表現です。
あたかも「陸軍の代表は東條英機、海軍の代表は山本五十六」と言わんばかりです。
米国・英国などの教育と比較すると、おそらく「隔絶たる違い」があるでしょう。
現代社会と近い過去の歴史
近い過去を知らなかったり、肯定せずに健全な国民にはなり得ないように思います。
ロシアによるウクライナ侵攻が続いています。
非常に辛い現実でありますが、現にウクライナの民間人・軍人の方が大勢亡くなっています。
そして、攻め込んでいるロシア軍の兵士も「大勢亡くなっている」と見られます。
そしてこのロシアと、たかだか120年ほど前の1904年〜1905年にサシで戦争したのが、我が国日本です。
当時は、日本陸海軍総出で、なんとか勝利に持ち込みました。
その後、第二次世界大戦では、旧ソ連と不可侵条約を結ぶも、末期に一方的に破棄され、日本は甚大な被害を受けます。
「正しい教育」の議論とともに、自国の歴史に関する考え方の議論も大いにするのが良いでしょう。
文科省や政府には、本気で「教育の大方針」を議論して頂き、決定して欲しい。
「少子化」の今、「日本人の子ども一人ひとりの教育」は極めて大事です。
玉虫色ではなく、ハッキリした「一つの軸・方向性」を出して欲しいと考えます。
次回は上記リンクです。