前回は「日本人とノーベル賞〜科学者の立場と日本の科学力の行方・真鍋淑郎〜」の話でした。

真鍋淑郎 博士の研究:数値予報
2021年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者 真鍋淑郎氏。
医師が多い一家に生まれた真鍋淑郎は、東京大学理学部物理学科に進学しました。
そして、

解析によって、数値予報を行い、
天気などの複雑な事象を研究したい!
非常に優秀だった真鍋は、東大の中でも極めて優れた頭脳が結集する物理学科で研鑽を積みます。
そして、



Von Neumann博士の
研究は素晴らしい・・・


「コンピューターの父」と呼ばれ、20世紀の科学・物理学・数学の超重要人物であるJohn Von Neumann博士。



なんとしても、
米国で学びたい!
1958年に東京大学で博士号を取得後、米国へ渡ります。
1960年頃の日本と米国:コンピューター


1945年に連合国(主に米国)に敗北し、敗戦を迎えた日本。
その後、米国に占領され1952年に、やっと独立しました。
真鍋が米国留学した1958年は、日本と米国は比較にならないほど国力に差がありました。



やはり、
物理の最先端は米国で学ばなければ!
「豊かな米国」と比較して、「貧しかった日本」であった当時。
現在のパソコンであるパーソナル・コンピューターは、まだ登場していません。


Steve Jobs率いるAppleが、革新的なパソコンMacintoshを発売したのが1984年。
その26年前である1958年当時、コンピューターは非常に大型で莫大な費用がかかりました。
そして、当時、日本のコンピューターの30倍以上の高い性能を持っていた米国のコンピューター。



凄まじい
スピードだ・・・
米国と日本の物理学の環境・コンピューターの性能の違いに、大いに驚愕する真鍋氏でした。
科学者・物理学者・Scientistの日米の待遇の違い
さらに、真鍋氏が驚いた事実がありました。
それは、米国における科学者・物理学者・Scientistの非常な高待遇です。



日本での給与の
25倍だ・・・



これほどの
給与は考えもしなかった・・・
当時の日本と米国の貧富の差と、1ドル360円の固定為替相場。
これらの影響から、普通に生活や給与待遇は、日本よりはるかに良かった米国。
それでも、この貧富の差と為替による影響は当時「10倍程度」ではないかと思われます。
「10倍」でも非常に大きな違いがあります。
それが、「25倍」となると、もはや「異常な違い」となります。
米国に対する日本の国力が、だいぶ上昇した現代と比較するのは、非常に困難です。
あえて比較すれば、「日本で年収400万円」が「米国なら400×25=1億円」となります。
流石にこれほどの違いは「余程高い業績」がないと難しいと思います。
日米のイノベーションの違いを考えた時、現在も「似た状況」かもしれません。
科学者は、
ただ研究しているだけでしょう・・・
という程度の認識の日本。
対して、
科学者・Scientistこそが、
現代科学技術で支えられた世の中の基本!
最新科学の革新なくして、
現代生活は成り立たない!
という「科学の重要性を極めて重視・有能なScientistを厚遇する」米国。
この違いは、現代でも似たような状況でしょう。
真鍋氏に立ちはだかる「異様な壁」
1997年当時、様々な実績が既にある真鍋氏は米国から日本に帰ります。
ぜひ日本で
研究を続けてください!
当時すでに大きな業績を上げていた真鍋博士。



分かりました。
日本に一度戻って、研究しましょう!
そして、あるプロジェクトを進めるための予算を、科学技術庁に求めます。



これは、必要な費用だから、
当然認められるはず!
と考えた真鍋博士に「異様な壁」が立ちはだかったのでした。
なんと、真鍋博士の研究費用要請が、科学技術庁から却下されます。



なぜ・・・・・?
おそらく、怒るよりも「心底嫌になった」のでしょう。



これでは、
何も出来ない・・・



科学技術庁の幹部は、
研究のなんたるか、を何も知らない・・・
真鍋氏は、再び米国へ戻ります。


日本の「科学者に対する姿勢」を表していると思います。
こういう姿勢では、イノベーションから遠ざかってしまいます。
まだ実績も評価も定まらない20~30代の若者が、大きな予算を要求して却下されること。
それは、致し方ない面もあるでしょう。
これとて、米国なら予算をつけて
予算をつけるから、
思い切って、自由にやってみよ!
と「自由にやらせる可能性がある」のです。
60代の年齢で大きな実績を持ち、学歴も経歴も「非の打ち所がない」真鍋氏。
その実績豊富な真鍋氏の予算要求を、アッサリ却下した科学技術庁。
却下された眞鍋氏の心情を考えると、非常に残念です。
やはり、科学のことは科学者でなければわからないのです。


科学の名前を冠した、「科学技術」庁なのでした。
その最高権限を持つ長官は「科学者か技術者」ではなくても、「科学を理解できる人間」が望ましかったでしょう。
少なくとも理科系で「ある程度科学的素養のある人物」であるべきだったでしょう。
そして、科学技術庁は再編され、文部科学省・経済産業省に再編成されました。
現在、文部科学大臣は学習院大学法学部卒、経済産業大臣は東京大学法学部卒の方でした。
彼らに「科学的素養があるかどうか」は、経歴と顔つきを見れば分かります。
日本は、大丈夫なんでしょうか。


僕の小さい頃、高度成長期からバブル期にかけて「世界一の科学技術立国」でソニーやホンダが光っていました。
それらの企業は、今もなお素晴らしい製品を作っていますが、輝きは和らいでいるのが現実です。
もう一度「日本の科学力増進!」を考える時、真鍋氏の会見内容は日本にとって非常に重大な現実を示しています。
真鍋氏の警鐘に対し、政府には真剣に考えて欲しいと思います。
基礎研究を行う科学者を、もっと国が大事にすべきでしょう。
それは、「もうすでに遅い」かもしれません。