前回は「日本人とノーベル賞 1〜日本の科学力の行方を考えよう〜」の話でした。
1997年当時、様々な実績が既にある真鍋氏は米国から日本に帰ります。
そして、あるプロジェクトを進めるための予算を、科学技術庁に求めて却下されます。
おそらく、怒るよりも「心底嫌になった」のでしょう。
真鍋氏は再び米国へ戻ります。

日本の「科学者に対する姿勢」を表していると思います。
こういう姿勢では、イノベーションから遠ざかってしまいます。
まだ実績も評価も定まらない20~30代の若者が、大きな予算を要求して却下されるのは、致し方ない面もあるでしょう。
これとて、米国などなら予算をつけて「自由にやらせる可能性がある」のです。
60代の年齢で大きな実績を持ち、学歴も経歴も「非の打ち所がない」真鍋氏。
その実績豊富な真鍋氏の予算要求を、アッサリ却下した科学技術庁。
却下された眞鍋氏の心情を考えると残念です。

やはり、科学のことは科学者でなければわからないのです。
文部科学省はともかく「科学技術」庁なのです。
その最高権限を持つ長官は「科学者か技術者」ではなくても、「科学を理解できる人間」が望ましいです。
少なくとも理科系で「ある程度科学的素養のある人物」であるべきではないでしょうか。
現科学技術庁長官を調べてみたら、慶應義塾大学法学部卒の方でした。
日本は大丈夫なんでしょうか。

僕の小さい頃、高度成長期からバブル期にかけて「世界一の科学技術立国」でソニーやホンダが光っていました。
それらの企業は、今もなお素晴らしい製品を作っていますが、輝きは和らいでいるのが現実です。
もう一度「日本の科学力増進!」を考える時、真鍋氏の会見内容は日本にとって非常に重大な現実を示していると思います。
真鍋氏の警鐘に対し、政府には真剣に考えて欲しいと思います。
もうすでに遅いかもしれませんが、基礎研究を行う科学者をもっと国が大事にすべきでしょう。