敗戦の日〜終戦記念日と日本・儀式となった「不戦の誓い」・大日本帝国と日本の領土・激減した領土・人口・資源・致命的大打撃を受けた大日本帝国と日本・戦時中の総理大臣と現総理大臣の戦争への姿勢〜|国家の姿

前回は「日本と戦争〜終戦記念日と日本・曖昧にし続けてきた日本・ドイツとヒトラー昭和天皇と日本・軍部・大本営と天皇・東條英機首相の弱い立場・真の国家指導者不在で戦い続けた大日本帝国〜」の話でした。

目次

終戦記念日と敗戦:儀式となった「不戦の誓い」

富士山(Wikipedia)

昨日は、8月15日の終戦記念日。

日本が敗戦した1945年から「78回目の8月15日」を迎えました。

「敗戦した日」を、わざわざ記念日にして「終戦記念日」としている日本。

「敗戦」を「終戦」に言い換えている姿勢。

これは、「面倒なことは棚上げ・先送りにする」日本政府の発想がよく現れていると言えるでしょう。

そして、毎年決まったように「平和への誓い」を繰り返す日本。

戦争の惨禍を
二度と繰り返さない・・・

と「原稿を読むために、ほとんど下を向きながら」スピーチした岸田首相。

しかも「大部分は昨年と同じ原稿」であり、なんのための誓いだか分からない状況です。

おそらく岸田首相本人もまた、

この「誓い」は儀式だから、
同じでいいんだ・・・

と考えているのでしょう。

大日本帝国と日本の領土:激減した領土・人口・資源

大日本帝国の敗戦時の領土(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

第二次世界大戦・大東亜戦争・太平洋戦争と、先の大戦に対する「日本の視点の呼び方」はいくつかあります。

いずれにしても、その最盛期であった1942年ごろには、膨大な領土を持っていた日本。

満州国は「日本の傀儡政権の独立国」でありますが、「事実上の日本の領土」と考えて良いでしょう。

上の地図の赤い線の地域は「日本軍の最大進出地域」であり、現在の中国の沿岸部も多数含みます。

そして、フィリピン・タイなどに膨大な「事実上の領土」を有していた大日本帝国。

これらの「進出地域」は、事実上の領土とはいえ「正式な領土」ではありません。

そこで、「正式な領土(同様)」であった、現在の日本・台湾・朝鮮半島・南樺太・満州を考えます。

国・地域面積(万平方km)割合(% )
日本(現領土)37.8022.8
台湾 3.622.2
北朝鮮12.057.3
韓国10.026.1
南樺太3.622.2
満州98.4259.5
合計165.53100.0
第二次世界大戦時の大日本帝国の正式領土

実際に占領していた地域を除いた「当時、大日本帝国政府が正式に領土としていた地域」は実に広大な面積です。

満州は国際連盟から否定されましたが、大日本帝国政府としては、

満州は
大日本帝国の生命線だ!

紛れもなく「大日本の一部」だったでしょう。

この面積の割合を考えると、現在の日本の面積は「大日本帝国の22.8%」となります。

つまり、現在の日本の面積は「現在の日本の面積の1/4以下」となります。

これは「国土の面積が激減した」だけではなく、それに伴って「人口や資源も激減した」事実になります。

致命的大打撃を受けた大日本帝国と日本

1941年ヨーロッパ・アジア支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

当時、正式に併合していた朝鮮半島・台湾、ロシアから割譲を受けた南樺太は「正式な領土」です。

それに「満州を大日本帝国の領土」として加えるのは、いささか乱暴な論理でしょう。

とは言っても、満州は「単なる日本の支配権」ではなく、国家としての機能を有していたのが事実です。

そして、南満州鉄道という巨大な国策会社があり、満州を支配していたのが現実でした。

フィリピン・タイ・ボルネオなども、一時は支配下においた大日本帝国。

これら占領地を「領土」と考えるならば、上記の面積はさらに倍以上になるでしょう。

1945年8月6日広島へ原爆投下(Wikipedia)

いずれにしても、「強烈な勢いで膨張しすぎた」大日本帝国は、米国はじめとする連合国に叩き潰されました。

そして、広大な領土は「終戦」ではなく「敗戦」のため、連合国によって大きく削減されたのでした。

戦時中の総理大臣と現総理大臣の戦争への姿勢

総理大臣たち:左上から時計回りに、近衛文麿首相、東條英機首相、岸田文雄首相、鈴木貫太郎首相(Wikipedia、人物で読む太平洋戦争 世界文化社)

日独伊三国軍事同盟を
締結するのだ!

と欧州で圧倒的パワーを持っていた、当時のナチスドイツと手を結んだ近衛文麿首相。

昭和天皇からは、
米国の戦争を避けるよう指示を受けているが・・・

米国の我が国に対する姿勢では、
やるしかないのだ・・・

と対米戦を消極的に推進した東條英機首相。

この後、小磯内閣が続きますが、敗戦が濃厚となった1945年4月に内閣総理大臣となったのが鈴木貫太郎でした。

満77歳で総理大臣というのは、戦前から戦後通じて「最高年齢の総理大臣」です。

もはや、米国率いる
連合軍に勝利する可能性は0%・・・

陸軍などの軍部は
戦争続行を主張するが・・・

そして、ポツダム宣言発表後、

ポツダム宣言は
黙殺する・・・

と発言し、原爆投下・ソ連参戦の大義名分を与えたのが鈴木貫太郎首相でした。

そして、現代の岸田文雄首相は、

とりあえず、
「不戦の誓い」を言っておけばいいか・・・

と「なんとなく前例に従って儀式」をするにとどまっている日本。

何を言っても批判されるし、
文章は昨年と一緒でいいや・・・

岸田首相の靖国神社の「自民党総裁としての玉串料奉納」や大臣・自民党幹部などの靖国参拝に対して、

非常に不愉快で、
遺憾である!

Japanに
断固抗議する!

と、こちらも「儀式のように」必ず抗議してくる中国や韓国などの国々。

そして、「なんとなく大日本帝国という別の国家があった」かのような雰囲気の日本。

少なくとも、現職の総理大臣は「当時の国家・大日本帝国の実情」をはっきり認識すべきでしょう。

そして、それを国民に伝えた上で「儀式ではない実の伴った方針」を明確にすることが求められているはずです。

この「儀式ではない実の伴った方針を明らかにする演説」をするのは、いつになるのか。

その時、日本という国家が、世界においてどのような状況になっているのか、を日本人は真剣に考えるべきでしょう。

新地球紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次