前回は「世界情勢と情報機関」の話でした。

今回は、身の回りの技術の話です。
一昔前のものとなったアンテナ。
インターネットやデジタル放送が主流となり、アナログ放送が廃止された今や、見かける機会が少なくなりました。
昔は、個人邸・マンション(集合住宅)でも必ず設置したアンテナ。
国内外で様々な方が発明・改良を加え、様々な規格があったアンテナ。

中でも、非常に有効で価値が高かった「八木アンテナ(八木・宇田アンテナ)」があります。
発明家・電気工学者で 八木秀次と電気工学者 宇田新太郎の二人が考案して、実用化しました。

当時、超短波などの電磁波を研究していた二人が発明した画期的なアンテナでした。
八木と宇田の共同研究の賜物であるアンテナですが、「八木アンテナ」と言われることが多いです。
それは八木の方が宇田よりも10歳ほど年上であり、八木が株式会社八木アンテナを起業したことによるのでしょう。
1886年に生まれ、小さな頃から優秀だった八木は1906年に東京帝国大学(東大)電気工学科を卒業します。
時は、日露戦争において、日本がロシアに対して辛くも勝利した1905年の翌年。

日本が軍国主義に突っ走る前夜とも言える、世の中でした。
東京帝国大学卒業後渡米して、勉強を続けた八木は、画期的アイデアをどんどん形にしてゆきます。
帰国後の1924年には東北帝国大学工学部長に就任し、後進を育ててゆきます。
大勢の優れた科学者・発明家を輩出し、多くの新技術や「新技術の種」を開発しました。
そして、最初にご紹介した「八木アンテナ」もまた、画期的な先進技術でした。
第二次世界大戦で、枢軸国陣営で米国などの連合国と戦った日本。

緒戦こそ連戦連勝だった日本陸海軍でしたが、ミッドウェー海戦での敗戦をきっかけに後退を続けます。
そして、科学技術で当時も最先端だった米国に対して、物量のみならず科学技術でも大きなさを見せつけられました。

今も昔も物資が極めて豊かで、科学技術が最先端で、経済力がピカイチで国土も広い米国。
20世紀中盤に、中東で原油が大量生産されるようになりましたが、1940年では、米国の原油産出量は世界の2/3ほどでした。
対して日本は「ほとんど原油を算出しない」国でした。
これだけでも、米国と戦争をするのは無謀でしかなかったのでしたが、日本は東南アジアに資源を求めて開戦します。
当時、世界五大強国の一角をしめ、海軍においては米国に次ぐ世界第二位とも言える立場だった日本。
日本の科学技術力も相応のレベルでしたが、やはり米国と比較すると、はるかに劣るレベルでした。
原爆をも作り上げた米国。

さらにレーダーやVT信管などの最新技術で、日本陸海軍を翻弄し続けました。
八木が開発した画期的アイデアだった、八木アンテナ。
しかし、日本陸海軍は、その重要性に気付きながらも実用化しなかったのです。
その重要性を、他ならぬ敵から教わることになりました。

開戦直後に、英国領だったマレー・シンガポールで快進撃を遂げた山下司令官率いる日本陸軍。

当時、日本に対して「はるかに格下」と考えていたチャーチル首相は、英軍の後退に驚愕しました。

まさか、
Japanの陸海軍がこんなにも強いとは・・・
そして、英軍の将兵を多数捕虜にした日本軍。
英軍のレーダー担当の技術将校のノートを見つけて、押収します。
英国の最新鋭の
技術が書かれているのでは。
これは大戦果だぞ!
そして、日本の技術将校がノートを読んで、英国の技術を盗もうと努力しました。
Yagiって文字が頻繁に出てくるけど、
知ってる?
Yagi?
知らないね。
日本軍の内部で「Yagi」を知っている人がいません。
暗号かもしれん。
仕方ないので、英軍の捕虜となった技術将校に聞いてみます。
このYagiって、
なんのことだ?
なにか大事な機密を
示す暗号か?
これを聞いた英軍将校は、びっくりして
これは、あなた方の国Japanの
高名なYagi博士が発明したアンテナのことだ。
あなた方は、こんなことも
知らないのか?
と返答します。
それに対して、絶句した日本軍将校。
知らなかった・・・
しかし、我が国の発明を
我が国ではなく敵国に利用されるとは・・・
なんという間抜けな
事態なのだろうか。
「最新鋭の英軍のレーダー」は「八木アンテナを活用したレーダー」だったのでした。
これは、大変な事態だ!
慌てて、八木レーダーの研究を開始した日本軍。
しかし遅すぎました。


日本軍が必死に後を追いかけるものの、すでに八木レーダーの軍事利用を確立していた米英。
米英の最新技術に追いつくことは、不可能だったのです。
今の時代でも同じようなことがあるかもしれません。
「海外での高い評価」にすぐ舞い上がりがちな、私たち日本人。
以外にも、最先端技術や大きな発明は、身近な所にあるのかもしれません。