日独伊三国軍事同盟締結〜義務教育の日本史における「第二次世界大戦」・東條英機か山本五十六か・ドイツとの軍事同盟推進する陸軍・メッケルと児玉源太郎・親独と反独で真っ二つに割れる日本海軍〜|リメンバー・パール・ハーバー21・真珠湾奇襲攻撃

前回は「親ドイツの陸軍に対抗する海軍〜日本軍部内の軋轢・海軍左派三羽烏・米内・山本・井上の奮闘・陸軍への反撃・伏見宮博恭王の動き・軍令部の権限強化を推進した「親ドイツ派」〜」の話でした。

目次

義務教育の日本史における「第二次世界大戦」:東條英機か山本五十六か

大日本帝国の敗戦時の領土(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

小学校から高校では、日本史を習います。

中学校3年生くらいから世界史も習うようになり、日本史と世界史の両方を学ぶのは結構大変です。

日本の歴史は昔から
世界とつながっているから・・・

「日本史」と日本のみの歴史を
分けることは無意味!

という意見もあり、僕も概ね賛成です。

ところが、「世界の歴史を一気に学ぶ」のは大変なことです。

「まずは自国の歴史から学ぶ」ことが当然であり、日本史は「日本を主軸とした歴史」と考えるのが良さそうです。

そもそも、小学校から高校の「義務教育+α」の教育では、第二次世界大戦に関してはほとんど学びません。

明治維新の元勲たち:左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

明治維新では、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・岩倉具視など数多くの方が登場します。

左上から織田信長、武田信玄、上杉謙信、毛利元就(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

戦国時代では、織田信長・羽柴(豊臣)秀吉・徳川家康・武田信玄・上杉謙信など大勢の方が登場します。

2000年代ころから「歴史が好きな女性=歴女」なる言葉が生まれて、戦国時代はさらに人気になりました。

このように、各時代ごとに「個性的な人物」が大勢登場します。

左から、東條英機 首相兼陸相兼参謀総長、山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)

ところが、「第二次世界大戦の日本」に関しては、基本的に「東條英機か山本五十六」です。

昭和天皇も登場しますが「天皇の戦争責任の有無」の件もあり、「昭和天皇がいた」という程度の描き方です。

他の時代ならば両手に余るほどの登場人物が出てくるのに、不思議なほど「東條か山本」の第二次世界大戦。

後世において、第二次世界大戦の時の陸海軍に対して「海軍善玉・陸軍悪玉」という印象が強い日本。

顔つきを見ても誠実そうな山本に対して、なんとなく「ワルそうな」表情の東條英機。

東條の本当の性格は、どちらかというと真面目な人物でしたが、東條は槍玉に上がりやすいです。

陸軍のボスであった東條英機総理大臣の後に、真珠湾奇襲攻撃を行ったことが大きな理由でしょう。

米英と戦争を
始めます!

といっても、真珠湾奇襲攻撃を「実施」というよりも「強行した」のが山本五十六です。

真珠湾奇襲攻撃を強行し、
米海軍に緒戦で致命傷を!

この点においても、「海軍善玉・陸軍悪玉」というのは虚構であるのが現実です。

ドイツとの軍事同盟推進する陸軍:メッケルと児玉源太郎

左上から時計回りに Adolf Hitler独総統、Winston Churchill英首相、Franklin Roosebelt米大統領、東條英機首相(Wikipedia)

親ドイツを貫き、ドイツとの軍事同盟を強力に推進した陸軍。

それは一面、明治新政府が「プロイセン(ドイツ)に陸軍の範を求めた」影響が強いです。

「範を求めた」ということは、陸軍にとっては「プロイセン(ドイツ)は先生」のような感じです。

戦艦三笠に座乗する東郷平八郎 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

日本海海戦での快勝の印象が非常に強い日露戦争。

この時、陸軍でロシアと死闘を戦い抜いた立役者の一人である児玉源太郎 満州軍総参謀長。

児玉源太郎 満州軍総参謀長(Wikipedia)

陸軍大臣などの政府要職を務めた児玉は、ドイツから陸軍へ教官の派遣を強力に推進しました。

Jacob Clemens Meckel独陸軍少将(Wikipedia)

そして、1885年にメッケル少将が陸軍大学校に教官として来日して、陸軍軍人を教えました。

Guten Tag!(こんにちは!)
日本の皆さん!

「欧米の最先端の学問・技術を身につける」ことを目標にした明治政府は、多数の外国人を招致しました。

そして、外国人に多額の給与を支払って「先生」となってもらったのです。

学問や工場に限らず、軍隊までも「外国に教えてもらう」形で急速に整備した明治以降の歴史。

もともと「海軍は陸軍の一部」という位置づけであったこともあり、日本陸海軍では陸軍の方が立場は上です。

日独伊三国軍事同盟締結:親独と反独で真っ二つに割れる日本海軍

左上から時計回りに伏見宮博恭王 軍令部総長、米内光政 海軍大臣、井上成美 海軍軍務局長、山本五十六 海軍次官(Wikipedia)

この中、日本海軍は海軍省が「反ドイツ」で一枚岩になっていても、軍令部総長が親独で割れました。

私は
ドイツが好きなのだ!

ドイツ留学経験もあり、皇族である伏見宮博恭王 軍令部総長の力は強力です。

これで、海軍の「反独」の勢力は半減し、陸軍の「親独」に押されてしまいました。

ドイツと軍事同盟を
結ぶと、米国を敵に回す・・・

しかし、
どうにもならない・・・

「海軍の顔」となり、すでに国内外で名声が非常に高かった山本五十六 海軍次官。

その山本次官が

ドイツと手を
結ぶのは絶対反対だ!

という姿勢を貫いても、すでに日本陸海軍の過半を大きく超える勢力が「親独」で固まっていました。

そして、1940年9月27日にイタリアも含めた日独伊三国軍事同盟締結に至ります。

1941年ヨーロッパ支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

この1940年の時点で、すでに「米国との戦争は決まっていたようなもの」とも言えます。

日本は今も当時も、何事においても「時間がかかる」体質は同じでした。

日独伊三国軍事同盟締結から約1年3ヶ月経過した後になって、ようやく対米英戦を開始した日本。

真珠湾奇襲攻撃(歴史街道2021年12月号 PHP研究所)

それが、真珠湾奇襲攻撃だったのです。

新地球紀行

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