前回は「親ドイツの陸軍に対抗する海軍〜日本軍部内の軋轢・海軍左派三羽烏・米内と山本と井上の奮闘・陸軍への反撃・伏見宮博恭王の動き・軍令部の権限強化を推進した「親ドイツ派」〜」の話でした。
義務教育の日本史における「第二次世界大戦」:東條英機か山本五十六か

小学校から高校では、日本史を習います。
中学校3年生くらいから世界史も習うようになり、日本史と世界史の両方を学ぶのは結構大変です。

日本の歴史は昔から
世界とつながっているから・・・



「日本史」と日本のみの歴史を
分けることは無意味!
このような意見もあり、僕も概ね賛成です。
ところが、「世界の歴史を一気に学ぶ」のは大変なことです。
「まずは自国の歴史から学ぶ」ことが当然であり、日本史は「日本を主軸とした歴史」と考えるのが良さそうです。
そもそも、小学校から高校の「義務教育+α」の教育では、第二次世界大戦に関してはほとんど学びません。


明治維新では、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・岩倉具視など数多くの方が登場します。


戦国時代では、織田信長・羽柴(豊臣)秀吉・徳川家康・武田信玄・上杉謙信など大勢の方が登場します。
2000年代ころから「歴史が好きな女性=歴女」なる言葉が生まれて、戦国時代はさらに人気になりました。
このように、各時代ごとに「個性的な人物」が大勢登場します。


ところが、「第二次世界大戦の日本」に関しては、基本的に「東條英機か山本五十六」です。
昭和天皇も登場しますが「天皇の戦争責任の有無」の件もあり、「昭和天皇がいた」という程度の描き方です。
他の時代ならば両手に余るほどの登場人物が出てくるのに、不思議なほど「東條か山本」の第二次世界大戦。
後世において、第二次世界大戦の時の陸海軍に対して「海軍善玉・陸軍悪玉」という印象が強い日本。
顔つきを見ても誠実そうな山本に対して、なんとなく「ワルそうな」表情の東條英機。
東條の本当の性格は、どちらかというと真面目な人物でしたが、東條は槍玉に上がりやすいです。
陸軍のボスであった東條英機総理大臣の後に、真珠湾奇襲攻撃を行ったことが大きな理由でしょう。



米英と戦争を
始めます!
実際には真珠湾奇襲攻撃を「実施」というよりも「強行した」のが山本五十六です。



真珠湾奇襲攻撃を強行し、
米海軍に緒戦で致命傷を!
この点においても、「海軍善玉・陸軍悪玉」というのは虚構であるのが現実です。
ドイツとの軍事同盟推進する陸軍:メッケルと児玉源太郎


親ドイツを貫き、ドイツとの軍事同盟を強力に推進した陸軍。
それは一面、明治新政府が「プロイセン(ドイツ)に陸軍の範を求めた」影響が強いです。
「範を求めた」ということは、陸軍にとっては「プロイセン(ドイツ)は先生」のような感じです。


日本海海戦での快勝の印象が非常に強い日露戦争。
この時、陸軍でロシアと死闘を戦い抜いた立役者の一人である児玉源太郎 満州軍総参謀長。


陸軍大臣などの政府要職を務めた児玉は、ドイツから陸軍へ教官の派遣を強力に推進しました。


そして、1885年にメッケル少将が陸軍大学校に教官として来日して、陸軍軍人を教えました。



Guten Tag!(こんにちは!)
日本の皆さん!
「欧米の最先端の学問・技術を身につける」ことを目標にした明治政府は、多数の外国人を招致しました。
そして、外国人に多額の給与を支払って「先生」となってもらったのです。
学問や工場に限らず、軍隊までも「外国に教えてもらう」形で急速に整備した明治以降の歴史。
もともと「海軍は陸軍の一部」という位置づけであったこともあり、日本陸海軍では陸軍の方が立場は上です。
日独伊三国軍事同盟締結:親独と反独で真っ二つに割れる日本海軍


この中、日本海軍は海軍省が「反ドイツ」で一枚岩になっていても、軍令部総長が親独で割れました。



私は
ドイツが好きなのだ!
ドイツ留学経験もあり、皇族である伏見宮博恭王 軍令部総長の力は強力です。
これで、海軍の「反独」の勢力は半減し、陸軍の「親独」に押されてしまいました。



ドイツと軍事同盟を
結ぶと、米国を敵に回す・・・



しかし、
どうにもならない・・・
「海軍の顔」となり、すでに国内外で名声が非常に高かった山本五十六 海軍次官。
その山本次官が、



ドイツと手を
結ぶのは絶対反対だ!
反対姿勢を貫いても、すでに日本陸海軍の過半を大きく超える大勢力が「親独」で固まっていました。


そして、1940年9月27日にイタリアも含めた日独伊三国軍事同盟締結に至ります。
この1940年の時点で、すでに「米国との戦争は確定した」とも言えます。
日本は今も当時も、何事においても「時間がかかる」体質は同じでした。
日独伊三国軍事同盟締結から約1年3ヶ月経過した後になって、ようやく対米英戦を開始した日本。


それが、真珠湾奇襲攻撃だったのです。
ある意味で「遅すぎた対米戦開戦」となりました。
次回は上記リンクです。