前回は「日独伊三国軍事同盟締結〜義務教育の日本史における「第二次世界大戦」・東條英機か山本五十六か・ドイツとの軍事同盟推進する陸軍・メッケルと児玉源太郎・親独と反独で真っ二つに割れる日本海軍〜」の話でした。
日独伊三国軍事同盟締結の未来:揺れに揺れた日本国家
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紆余曲折ならぬ、日本という国家が揺れ動き続けたドイツとの軍事同盟。
ついにイタリアも加えて、日独伊三国軍事同盟締結となりました。
日本国内の陸軍は、諸手を挙げて推進したドイツとの軍事同盟。
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ドイツと同盟を結ぶのが、
我が国としては最も自然だ!
海軍では賛成派と反対派の間で熾烈な争いがありました。
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ドイツとの軍事同盟、
良いではないか!
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ドイツと軍事同盟を
結ぶと、米国と英国を同時に敵に回します・・・
第一次世界大戦前後までは世界最強国であった英国と、急成長して当時世界最強国であった米国。
当時において「その時と直前の世界最強国コンビ」であった米英を敵に回す意味。
これは、国家の存続に関わります。
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そもそも我が日本海軍は、
米英同時に敵に回して戦う想定はない・・・
米国と戦争する以上、海軍が主体となりますが、その海軍は「米英同時に戦う」想定がないのでした。
この間、日本の内閣が数度変わりました。
日本政界のみならず日本という国家をゆらした「ドイツと軍事同盟を結ぶか、否か」の選択。
揉めに揉めた結果、ついに1940年9月27日に調印に至りました。
この日独伊三国軍事同盟締結の未来は、当時の彼らにはまだ分かりません。
ドイツ・イタリアとの軍事同盟の意義と意味
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ついに米英仏と鋭く対立しており、英国・フランスとはすでに1939年に戦争しているドイツ。
そして、そのドイツと軍事同盟を締結した日本。
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そして、ファシズムの源泉となったムッソリーニ首相率いるイタリアも一緒です。
国家の勢い・戦力としてはドイツの下であるものの、「欧州の精神の中心」とも言えるイタリア。
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長い歴史と文化を誇るローマ、そしてルネサンスの中心となったフィレンツェのあるイタリア。
国力・軍事力としては、当時すでに英独仏の下であったものの、世界における影響力は甚大です。
米英仏側の視点からすれば、「仇敵を超えた存在」であったドイツ。
そのドイツと軍事同盟を結ぶこと。
それは「米国との戦争への道」であることは必然でした。
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この日独伊三国軍事同盟を締結した時、
ドイツが
欧州を全て制覇するだろう!
その前に、
日本はドイツと軍事同盟を締結すべきだ!
バスに
乗り遅れるな!
を合言葉に、ドイツとの軍事同盟締結に前のめりになった日本陸軍。
そして、日本海軍の内部にも反ドイツと共に、「ドイツシンパ」がたくさんいた当時。
「反ドイツ」のはずの海軍では、選りによって皇族の伏見宮博恭王が軍令部総長でした。
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私はドイツに
留学したのだ!
別の民間人が軍令部総長であれば、だいぶ状況は異なっていたでしょう。
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日独伊三国軍事同盟締結時の1940年9月の直前である、1940年5月には、驚愕の事態が勃発していました。
なんと、フランスがドイツの電撃戦の前に降伏してしまったのです。
あのフランスが
ドイツに降伏したらしい・・・
英国も
もはやドイツの前で虫の息だ。
本当に欧州全土が
ドイツになるのでは・・・
「あのナポレオンのフランス」がドイツへ降伏の甚大な衝撃波
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日本にとっては、あのナポレオンの印象が極めて強いフランス。
この130年ほど前の時期、ナポレオン皇帝によって率いられたフランスは、非常に強力な存在でした。
そして1812年頃に、最盛期を迎えたフランス帝国。
英国以外のほぼ欧州全土を領土と衛星国として勢力圏を持ったのです。
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いわば、短い時間ながら「事実上、欧州全土を占領した」フランス。
一時は欧州に超帝国を築いたフランスをドイツは「短時間に降伏させた」事実。
「あのナポレオンのフランス」が
ドイツにあっさり降伏・・・
まさか、
こんなことになるとは思いもしなかった・・・
この事実は、遠いアジアの日本に甚大な衝撃波となって伝わりました。
しかもその衝撃波は、欧州から中東・インド・中国などを通る過程で、凄まじく増幅したのでした。
「あのナポレオンのフランスがドイツに降伏」という猛烈な衝撃波を、当時最も直撃した日本。
今度はドイツが
かつてのフランスのように・・・
欧州全土が
ドイツになるのでは・・・
このようなイメージを持つことは、欧州の歴史を考えれば「一面尤もなこと」だったのです。
ところが、皇帝ナポレオンは早々に失脚し、大膨張したフランス帝国も短命に終わった歴史があります。
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この歴史から。「正常な神経の人間」の視点からは、自明であり必然でもありました。
ドイツ帝国の異常な大膨張・全盛期が「長く続くのは到底考えにくい」ことは。
仮に「大英帝国がドイツ帝国に屈服する」としても。
次回は上記リンクです。