リメンバー・パール・ハーバー 22〜日独伊三国軍事同盟〜|第二次世界大戦

前回は「リメンバー・パール・ハーバー 21〜独と結ぶ日本〜」の話でした。

日独伊三国軍事同盟:1940年9月27日調印式(Wikipedia)

日本国内の陸軍は、諸手を挙げて推進したドイツとの軍事同盟。

海軍では賛成派と反対派の間で熾烈な争いがありましたが、ついに1940年9月27日に調印に至りました。

Adolf Hitler独総統(Wikipedia)

ついに米英仏と鋭く対立しており、英国・フランスとはすでに1939年に戦争しているドイツと同盟した日本。

Benito Mussolini伊首相(Wikipedia)

そしてファシズムの源泉となったムッソリーニ首相率いるイタリアも一緒です。

国家の勢い・戦力としてはドイツの下であるものの、「欧州の精神の中心」とも言えるイタリア。

Firenze(新地球紀行)

長い歴史と文化を誇るローマ、そしてルネサンスの中心となったフィレンツェのあるイタリア。

国力・軍事力としては、当時すでに英独仏の下であったものの、世界における影響力は甚大です。

米英仏側の視点からすれば、「仇敵を超えた存在」であったドイツ。

そのドイツと軍事同盟を結ぶこと。

それは「米国との戦争への道」であることは必然でした。

1941年ヨーロッパ支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

この日独伊三国軍事同盟を締結した時、

ドイツが
欧州を全て制覇するだろう。

その前に、
日本はドイツと軍事同盟を締結すべきだ!

「バスに乗り遅れるな!」を合言葉に、ドイツとの軍事同盟締結に前のめりになった日本陸軍。

そして、日本海軍の内部にも反ドイツと共に、「ドイツシンパ」がたくさんいた当時。

左上から時計回りに伏見宮博恭王 軍令部総長、米内光政 海軍大臣、井上成美 海軍軍務局長、山本五十六 海軍次官(Wikipedia)

海軍で伏見宮博恭王が軍令部総長とならずに、別の民間人が軍令部総長であれば、だいぶ状況は異なっていたでしょう。

1941年ヨーロッパ戦況地図(連合艦隊 勃興編上巻 世界文化社)

日独伊三国軍事同盟締結時の1940年9月の直前である、1940年5月には、驚愕の事態が勃発していました。

なんと、フランスがドイツの電撃戦の前に降伏してしまったのです。

あのフランスが
ドイツに降伏したらしい・・・

英国も
もはやドイツの前で虫の息だ。

本当に欧州全土が
ドイツになるのでは・・・

Napoléon Bonaparte仏皇帝(Wikipedia)

日本にとっては、あのナポレオンの印象が極めて強いフランス。

この130年ほど前にナポレオン皇帝によって率いられたフランスは、非常に強力な存在でした。

そして1812年頃に、最盛期を迎えたフランス帝国。

英国以外のほぼ欧州全土を領土と衛星国として勢力圏を持ったのです。

1812年のフランス帝国(Wikipedia)

今度はドイツが
かつてのフランスのように・・・

欧州全土が
ドイツになるのでは・・・

このようなイメージを持つことは、欧州の歴史を考えれば「一面尤もなこと」だったのです。

しかし、皇帝ナポレオンは早々に失脚し、大膨張したフランス帝国も短命に終わりました。

この歴史から正常な神経の人間の視点からは、自明であり必然でもありました。

ドイツ帝国の異常な大膨張・全盛期が「長く続くのは到底考えにくい」ことは。

左上から時計回りに Adolf Hitler独総統、Winston Churchill英国首相、Franklin Roosebelt米大統領、Benito Mussolini伊首相(Wikipedia)

仮に「大英帝国がドイツ帝国に屈服する」としても。

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