米英仏の存在感が強い幕末維新から昭和の日独伊三国軍事同盟へ〜ペリー提督の衝撃と日米和親条約締結・外国といえば米英仏の幕末維新・昭和の日独伊三国軍事同盟へ・「何事も進まない」日本〜|リメンバー・パール・ハーバー23・真珠湾奇襲攻撃

前回は「日独伊三国軍事同盟締結の未来〜揺れに揺れた日本国家・ドイツとイタリアとの軍事同盟の意義と意味・「あのナポレオンのフランス」がドイツへ降伏の甚大な衝撃波〜」の話でした。

目次

ペリー提督の衝撃と日米和親条約締結

左上からH.Parkes英国公使、Matthew Perry米提督、Townsend Harris駐日米大使、Leon Roches駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

「外国」というと英国(大英帝国)・米国・フランスの印象が強かった幕末期の日本。

日本史の視点では、幕末における対外関係では米国に最も比重が置かれています。

1853年にペリー提督が浦賀に入港し、その超強力な米海軍の軍事力を見せつけます。

Hello!
Japanのみなさん!

当時、日本が考えていた「海軍」とは全然違う「黒船」を見て、日本中が驚愕しました。

おい・・・
あの異様に大きな黒い塊はなんだ?

あれが、
メリケン(米国)の軍艦だってさ・・・

あんな大きな軍艦なら、
大砲も大きいんだろうな・・・

江戸が
吹き飛ばされてしまうかもしれないな・・・

あまりに巨大な衝撃であったため、当時、

太平の眠りを
覚ます上喜撰(蒸気船)・・・

たった四杯で
夜も眠れず・・・

という歌が歌われました。

上喜撰という高級なお茶があったので、「同じ音」で「眠れない衝撃」を歌に込めたのでした。

「たった」と言っても、超強力な黒船が四隻もやってきて、江戸湾で恫喝したのでした。

我がUnited Statesと
同盟を結んでもらいたい!

米国から使節が来ることは事前に把握していた幕閣でしたが、

突然、条約締結と
言われても・・・

少し検討させて
下さい・・・

OK!
では、また今度来ます!

それでは、
また今度・・・

今度と言ったって、メリケン(米国)は
遥か遠く・・・

2,3年は来ないだろう・・・
うまく引き伸ばした・・・

ほくそ笑む徳川幕府担当者でしたが、翌1854年には、

Hello!
Japanのみなさん!

約束通り、
また来ましたよ!

ペリー提督は、再び大艦隊を率いて江戸湾に乗り込んできました。

我がUnited Statesと
条約結ぶ約束でしたね!

本当に来たよ・・・
もう、引き伸ばせないか・・・

約束破ったら、
Edoを砲撃しますよ!

やむを
得ないな・・・

こうして、なし崩し的に1854年に日米和親条約が締結されました。

外国といえば米英仏の幕末維新:昭和の日独伊三国軍事同盟へ

新地球紀行
米海軍 原子力空母George H.W. Bush(Wikipedia)

現代に例えれば、最新鋭の米国の原子力空母4隻が「東京湾に乗り込んできた」雰囲気かも知れません。

原子力空母1隻に多数の艦艇が加わって、一つの空母打撃群が形成される米国。

現在、11隻の原子力空母がありますが、さすがに「原子力空母4隻」まとめての編成はなさそうです。

現代日本にはそもそも米軍が駐留しているので、「米軍に恫喝されたら、その瞬間に終わり」です。

仮に「米軍駐留がない」としても、原子力空母が東京湾に来ては、

はい・・・
分かりました・・・

と「米国の要求を呑む」他ありません。

とにかく、ペリー来航の翌年1854年に日米和親条約を締結。

ついで、ハリスと1858年に日米修好通商条約を締結しました。

日米修好通商条約(Wikipedia,外務省)

特に後者の、耳障りの良い言葉が並んでいる日米「修好通商」条約。

関税自主権・領事裁判権等が日本にはない、非常に不平等な条約でした。

ついで、幕末に薩摩と非常に関係が深い英国(大英帝国)・フランス帝国なども、

United Statesに
続け!

我がFranceも
続け!

と日本との「不平等条約締結」に邁進した歴史があります。

とにかく、米英仏の存在感が強い幕末維新期の日本。

確かに「条約締結」など「米英仏と表の関係が深かった」のは事実です。

一方で、ロシアは当時から樺太・千島列島から日本に盛んに接触していました。

第二次世界大戦後、一時期米国に占領され、米国への傾斜が強い戦後日本。

そのため、「幕末の日本」においても、米国の存在感が強く見える事実があります。

幕末には存在感が小さかったプロシア(ドイツ)が、急速に明治時代に日本で台頭しました。

そして、日独伊三国軍事同盟に至りました。

「何事も進まない」日本

日独伊三国軍事同盟:1940年9月27日調印式(Wikipedia)

現代の視点で考えると、日独伊三国軍事同盟に「至ってしまった」という「汚点」のような状況。

当時は、

欧州最強の
ドイツと同盟だ!

我が日本は
アジアで最強だ!

山本五十六 海軍次官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

ドイツと軍事同盟を締結したら、
米英を敵に回す!

米国と戦争しても、
絶対に勝てん!

山本五十六など「ドイツとの同盟反対派」は比較的少数派でした。

日本全体としては「大歓迎」だったのです。

1941年ヨーロッパ・アジア支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

もうこれで、日本にとっては「米英との戦争は確定」したようなものでした。

Adolf Hitler独総統(Wikipedia)

欧州で猛烈な勢いで暴れまくるドイツ軍。

まさに「敵なし」という状況でしたが、やはり「同盟国」は欲しいものです。

遠いAsiaの
Japanだが・・・

JapanがUKや
USとの戦いに加われば・・・

我がGermanyの
欧州覇権は確立する!

と考えていたヒトラー総統。

1940年9月に日独伊三国軍事同盟締結したので、

年内には、
JapanはUK,USとの戦争開始か?

あるいは
来年(1941年)早々くらいか?

いずれにしても、
早く行動に出て欲しい!

何事も
タイミングが大事だ!

特に
戦争は!

外交的には「完全に英米と対峙する」側に加わってしまった日本(大日本帝国)。

ところが、

ドイツと軍事同盟を
結んだからと言って・・・

それが、米国との
戦争に直ちには結びつかないだろう・・・

なんとなく「悠長な感じ」でした。

新地球紀行
Franklin Roosebelt米大統領(Wikipedia)

ドイツと同盟を結んだ瞬間、米英からは、

Japanは我がUnited Statesの
敵だな!

という眼差しで見られることは決定的だったのでした。

近衛文麿 第34,38,39代内閣総理大臣(Wikipedia)

この時期に、日本政府の代表だったのが、近衛文麿 内閣総理大臣。

天皇陛下の覚えもめでたく、公家の代表格である「近衛家」出身で何度も内閣を組織した近衛文麿。

いわば、「政界の」というより「日本のサラブレッド」だった近衛文麿。

指導力が「あったのかなかったのか」もよく分からない人物が、日本側を「まとめていた」のでした。

大統領・首相・総統の元に「しっかりまとまっている」状況にあった米国・英国・ドイツ。

新地球紀行
昭和天皇(Wikipedia)

対して、形式的には「大元帥=天皇陛下」に強い権限があった大日本帝国。

そして、総理大臣の「権限があやふや」な中「あやふやな」人物が中心の日本。

Japanはいつになったら、
USやUKと戦争始めるんだ?

ヒトラーの思惑とは異なり、日本はなかなか米国との戦争に踏み切りませんでした。

いったい、Japanは
どうなっているんだ?

Konoeは
最高意思決定者ではないのか?

最高意思決定者は昭和天皇でしたが、昭和天皇は表立って意思決定をする場面は非常に限られていました。

つまり、日本政府自体が「日本の最高意思決定者が誰かは不明」という事態だったのでした。

この「曖昧なJapan」は、当時の欧米は分かっていましたが、

我がGermanyでは、
私が全てを決定する!

私はJapanの誰に
具体的要求をすれば良いのだ?

今も当時も「何事も進まない」日本でした。

新地球紀行

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