前回は「米英仏の存在感が強い幕末維新から昭和の日独伊三国軍事同盟へ〜ペリー提督の衝撃と日米和親条約締結・外国といえば米英仏の幕末維新・昭和の日独伊三国軍事同盟へ・「何事も進まない」日本〜」の話でした。
米国が理解できなかった「日本の意味不明な姿勢」

1940年に日独伊三国軍事同盟を締結したことは、日本の「国家としての姿勢」を明確にしました。
すなわち、米英に対して、

我が大日本帝国は
ドイツと組んで、枢軸国陣営だ!



あなた方、米英とは
敵対します!
こう高らかに「宣言した」ことになりました。





Japanの姿勢は、
よく分かった!



Japanは我がUnited Statesの
敵だな!
ルーズベルト大統領が、こう考えるのは「当然」だったのでした。
ところが、近衛文麿首相は、



でも、米国とは
仲良くしたいのですが・・・
こんな感じで、「米国との良好な関係」を「真面目に交渉を続ける」姿勢を見せました。



ん?
一体どういうことだ?



なんなんだ?
Japanの真意はどこにある?



・・・・・



Hitlerと組んでおいて、
我がUnited Statesとも仲良く、だと・・・



一体、Japanの連中は
何を考えているんだ・・・
二元論の考え方が多く、曖昧な日本とは対照的な米国の思考では、日本の考え方は意味不明でした。
この「日本のチグハグな・意味不明な姿勢」に対して、



Japanの真意は不明だが、
あらゆる可能性を探る!
米国は「全ての可能性」を検討して万全を期していました。



なんとか、話し合いで、
米国とは衝突しないようにしよう!
実際、近衛総理大臣は、本気で「米国との融和」を目指しました。


米国大使には、海軍の重鎮であった野村吉三郎を派遣しました。



野村さんは人柄も良いから、
上手く融和できるだろう・・・





さらに英語が得意な
来栖も米国大使だ!
英語が極めて堪能であった来栖も米国大使に任命し、異例の「米国大使2名」で日米交渉に臨みました。
「ヒトラーの友達」を送り込んだ日本:強い不信感をもったハル長官


この日本の「野村+来栖」コンビと対応して、協議するの米国側責任者はハル国務長官でした。



Nomuraと
Kurusuか・・・



米国大使の
Nomuraです・・・



英語はあまり
得意ではありませんが・・・
海軍一筋で、温厚な人柄だけが取り柄だった野村は、英語がかなり低レベルでした。



なんだ、このNomuraの
英語は・・・



何を言っているか
全然分からん・・・



なぜJapanは、我がUnited Statesに
こんな英語が出来ない人間を送り込んだのだ?
ハル長官からみれば、「英語が出来ない大使」など存在価値がなく、意味不明でした。



私は英語があまり出来ませんが、
この来栖はバッチリです!



どうも、Kurusuです・・・
英語には自信があります・・・
対して、来栖はかなり英語のレベルが高かったので、野村は来栖を頼りにしていました。



どうも、
Hullです・・・
「英語が堪能」であることは、交渉には非常に良いことですが、ハル長官を強い不信感を持っていました。



We Japanese would like to
be friends with US, and・・・



確かに、このKurusuの
英語力は大したものだ・・・



Nomuraとは
比較にならん程、意思疎通が出来る・・・



だが、だがだ・・・
なぜ、JapanはKurusuを選んだ?


日独伊三国軍事同盟雨の調印式に臨んだ「日本代表」が、来栖三郎でした。
そのため、「米国の視線」から考えれば来栖は「ヒトラーの友達」になりました。



なぜ、よりによって
Hitlerと仲が良いKurusuを送り込んできた?



ひょっとしたら、
Japanは我が国とまともに交渉するつもりがないのか?
このようにハル長官が強い不信感を持っていた以上、「日米交渉妥結」は「最初からない」話でした。
この「外交が下手すぎた」日本の姿勢は、現代にも通じていると考えます。
「相手の心を押し測る」姿勢は、交渉ごとでは最も大事なことでしょう。



Japanは真面目に
交渉する気がないのだろう・・・
いよいよ対米戦を決意した日本:近衛総理から東條総理へ


それでも、一応「形式的には交渉を継続」したハル長官。



NomuraとKurusuの
相手をしても、時間の無駄だが・・・



これもJapanとの
駆け引きだな!
そして、米国は「対日戦の準備」を着々と進めていました。



Japanの暗号解読を
さらに進めよ!



Japanが何を考え、
我がUnited Statesのどこを攻撃するか、探るのだ!
事実上「対日戦」を決定したような雰囲気の米国政府。
対して、日本政府は悠長でした。



なんとか、日米交渉を
妥結して欲しい・・・
本気で「日米交渉妥結」を目指していた近衛総理でしたが、



どうも
状況が難しいらしい・・・
そもそも、米国の立場から考えたら「交渉以前の状況」でありました。





近衛総理は甘い!
甘すぎる!



総理の方針には
陸軍は従えん!



陸軍大臣を
辞任します!
日米交渉がギクシャクする仲、陸軍のボスであった東條英機陸相が辞任してしまいました。



東條陸相が辞任・・・
やむを得ない・・・



陸軍に他の方を
大臣に出してもらおう・・・
近衛総理は陸軍に「陸相を出す」お願いをしましたが、



ダメです!
近衛内閣には陸相は出せません!



無念・・・
残念だ・・・
これで近衛内閣は、1941年10月18日に倒閣してしまいました。





ここは、東條に組閣を
させるしか、方法はないだろう・・・



東條よ・・・
内閣を組閣せよ・・・
突然の展開に、



私が
総理になって組閣?!
大いに驚いた東條でしたが、根が真面目な彼は、



ははっ!
承知致しました!
日米関係が緊急のため、即日東條内閣を組閣することにした東條英機。





日米交渉妥結に
尽力せよ!



ははっ!
承知致しました!
「日米交渉継続・妥結を目指す」ことを目指すことになった東條内閣。
真面目な東條総理はそれを目指しますが、内心は、



これは、もうどうなっても
米国との戦争は避けられんだろう・・・



米国との戦争となると、
中国で展開している我が陸軍を、南下させねば・・・



この作戦計画を
練っておくことが大事だ・・・
事実上、対米戦を決意した日本政府を率いた東條内閣でした。
次回は上記リンクです。