前回は「リメンバー・パール・ハーバー 18〜緊迫する欧州〜」の話でした。

1939年9月に欧州で勃発した第二次世界大戦。
日本は、中国とアジアで戦いを繰り広げていました。
瞬く間に、猛烈な勢いで欧州を席巻するドイツ。

ドイツと
同盟を結ぶべきだ!
という声が、日本陸軍内で非常に強くなります。
その急先鋒の一人が東條英機陸相でした。

対する海軍は、米内光政海相・山本五十六海軍次官たちは猛烈に反対します。


ドイツと同盟を結んだら、
米英と敵対してしまう!



米国だけは、敵に回しては
ならない!
しかし、陸軍は
ドイツが欧州を
全て占領するだろう。
ソ連も含めて、
同盟を結べば、日本の世界進出に役立つ。
と考えていました。
そもそも、明治維新の際に創設された、日本陸軍は「ドイツを模範」としていました。
英国が源泉の海軍とは、全く指向性が異なっていたのです。
昭和の日本軍
陸軍:ドイツを模範
海軍:英国を模範
現代日本は、第二次世界大戦後「一時期米国に占領された」ため、米軍との結びつきが非常に強い自衛隊。
「結びつきが強い」というか、よく言って米軍の「弟分」、より本質的には米軍の「子分」のような存在です。
しかし、戦前の日本軍は、米軍の影響はそれほどなく、英独の影響が非常に強かったのです。
その大きな理由は、明治維新の成立過程にありました。


倒幕側・新政府となった薩長は、英国の支援を受けて、武器などを供与されていたのです。
当時、薩長に「肩入れしていた」とも言えるほど、強い関係を持っていたパークス英国公使。


そのため、英国が「軍の規範となる」のは当然でした。
そして、陸軍が「ドイツを模範とする」のもまた、明治維新に決まったことでした。