前回は「緊迫する欧州と欧米諸国の狙い〜猛烈なドイツの勢い・欧州に範を求めた日本の陸海軍・親ドイツの陸軍と反ドイツの海軍〜」の話でした。
猛烈な勢いのドイツ軍と押される大英帝国
1939年9月に欧州で勃発した第二次世界大戦。
日本は、中国とアジアで戦いを繰り広げていました。
瞬く間に、猛烈な勢いで欧州を席巻したドイツ。
当初、英国がドイツに対して融和路線をとっていたことも致命的な問題点でした。
Hitlerの要求を多少容認して
やったらどうだろうか・・・
確かにそれも
一理あるかもな・・・
そうすれば、
流石にHitlerも、それ以上多くを望まないだろう・・・
と考えていた英国などの欧州の国々。
ところが、
Europeを
我が手に!
我がゲルマン民族こそが
世界を制覇するのだ!
ヒトラーという人物を完全に見誤っていた欧州諸国の首脳。
こんなはずでは・・・
これはまずい・・・
やつ(Hitler)の目的は
一体どこまで膨れ上がってゆくのだ・・・
大きな後悔をしたものの、すでに「後悔先に立たず」でした。
そして、20世紀まで「欧州二大強国」の片方であったフランスがドイツに降伏するに至ります。
あのFranceが
Germanyに降伏、だと・・・
我がGreat Bratainも
危ないではないか・・・
チャーチル英首相率いる大英帝国も絶体絶命のピンチに陥りました。
絶好調のドイツと日本陸軍:「バスに乗り遅れるな」の声
ドイツと
同盟を結ぶべきだ!
という声が、日本陸軍内で非常に強くなります。
その急先鋒の一人が、東條英機陸相でした。
ドイツと同盟を結ぶのが、
我が国としては最も自然だ!
対する海軍は、米内光政海相・山本五十六海軍次官たちは猛烈に反対します。
ドイツと同盟を結んだら、
米英と敵対してしまう!
米国だけは、敵に回しては
ならない!
ところが、陸軍は
ドイツが欧州を
全て占領するだろう。
ソ連も含めて、
同盟を結べば、日本の世界進出に役立つ。
と考えていました。
ついには、
ドイツが欧州全土を制覇した
後では、同盟結ぶのが遅い!
「バスに乗り遅れるな」
だろう!
という声まで上がり、「ドイツとの同盟」の勢いが絶頂期を迎えました。
陸軍の模範ドイツ:明治維新における列強の動き
・・・・・
この難しい時期に首相となった近衛文麿。
のちに、「戦犯として逮捕される寸前に自決」したサラブレッド・近衛文麿。
近衛文麿に対する評価は千差万別であり、概ね「辛い評価」です。
近衛文麿の政治的能力がどの程度であれ、軍部に関わりを持たない彼が陸軍を抑え込むのは不可能でした。
陸軍出身のヒトラー、陸軍出身で海軍大臣を務めたチャーチル、海軍次官を務めたルーズベルト。
海外の強国の首脳は、いずれも「軍部と直接の関わりをもった」人物でした。
そもそも、明治維新の際に創設された、日本陸軍は「ドイツを模範」としていました。
英国が源泉の海軍とは、全く指向性が異なっていたのです。
陸軍:ドイツを模範
海軍:英国を模範
現代日本は、第二次世界大戦後「一時期米国に占領された」ため、米軍との結びつきが非常に強い自衛隊。
「結びつきが強い」というか、よく言って米軍の「弟分」です。
より本質的には米軍の「子分」のような存在です。
ところが、戦前の日本軍は米軍の影響はそれほどなく、英独の影響が非常に強かったのです。
その大きな理由は、明治維新の成立過程にありました。
倒幕側・新政府となった薩長は、英国の支援を受けて、武器などを供与されていたのです。
当時、薩長に「肩入れしていた」とも言えるほど、強い関係を持っていたパークス英国公使。
そのため、英国が「軍の規範となる」のは当然でした。
そして、陸軍が「ドイツを模範とする」のもまた、明治維新に決まったことでした。
明治維新以降、「海外の先進国に範を求め続けてきた」日本。
「ドイツの陸軍」と「英国の海軍」では、思考性・指向性が全く異なった組織となっていました。
次回は上記リンクです。