前回は「リメンバー・パール・ハーバー 17〜断念する山本五十六〜」の話でした。

日本で「対米戦争」の準備が着々進められる中、米国の目は欧州を向いていました。
当時の欧州は、ドイツ率いる枢軸軍が猛烈なパワーで暴れ回っている状況でした。

欧州大陸が、「ほとんどドイツ及び枢軸国の領域」となっていました。
フランスすらドイツに降伏してしまい、ヒトラーの勢いは止まるところを知りません。

日本の山本長官・永野軍令部総長が「真珠湾奇襲攻撃」で揉めていたのは、1941年10月頃です。
少し、時計の針を昔に戻して、「そもそもの日本の戦略」を考えます。
1939年9月、ドイツ軍のポーランド侵攻に始まった第二次世界大戦。
戦車・爆撃機を中心とするドイツの電撃戦により、ドイツ軍は破竹の勢いで占領地を拡大します。
そして、1940年6月には、ドイツがフランスを降伏に追い込みます。
これは、欧州全土を
ドイツが席巻するのでは!
こういう観測が日本において、陸軍中心に広がります。
もともと、明治維新期に「欧州を見習え」で始まった日本軍。
陸軍はドイツに、海軍は英国に「範を求めて」両軍隊が発足したのです。
「ドイツ発祥」とも言える日本陸軍は、歴史的に極めて親ドイツです。

ドイツと同盟を結ぼう!
そうすれば、
日本は米英と戦える!
このような声が、陸軍軍部から上がってきます。


ドイツと同盟を結んだら、
米英と戦争になってしまう。



米国には勝てん!


1940年に総理に就任した近衛文麿。
名前からして「サラブレッド」な近衛文麿は、二回目の総理就任です。


そして、昭和天皇の下命を受け、事態打開に動きます。