前回は「後輩に押し切られる山本司令長官〜思い切った作戦と変わらぬ人事・軍令部の思惑と第二航空戦隊・揺れる軍令部の権限〜」の話でした。
誰がトップなのか曖昧な組織と日本的風土

優れた軍人であるも、航空戦・空母ど素人の南雲長官。

航空艦隊のことは、
よく分からぬが・・・


そして、「南雲長官の補佐役」である参謀長は、草鹿龍之介・第一航空艦隊参謀長。


さらに、草鹿龍之介・第一航空艦隊参謀長を補佐するのは、源田実・第一航空参謀。
このように、階層化されたシステムによって、「ボトムアップ式に判断する」ことが真珠湾奇襲攻撃の舞台です。



この場面では、
Aであるべき!
こう源田・第一航空参謀が言えば、草鹿参謀長は、



ふ〜む・・・
ならば、Aでいくか!
と言い、



南雲長官、
Aでいきましょう!
草鹿参謀長が「Aでいこう」と言えば、



じゃ、Aで
ゆくことにしよう!
これが、一航艦(いちこうかん・第一航空艦隊)の意思決定の流れでした。
ならば、最初から源田実が第一航空艦隊の司令長官であれば、「分かりやすい」のです。
ところが、「ちゃんと神輿が必要である」日本的風土。
南雲長官は、航空戦においては「司令長官というよりも御神輿」という状況でした。
煩悶する山本司長官


年功序列とも言える海軍承行令=「先任順序」を、絶対に曲げない及川海軍大臣。



「先任順序」を乱すことは、
絶対にできぬ!



何度言ったら
分かるんだ!


山本長官は、悩みに悩みます。
南雲はもともと航空専門ではなく、山本は南雲とはウマが合わず、ロクに口をきく間柄ですらありません。
真珠湾奇襲攻撃は、日本海軍のみならず「日本の運命を左右する」超重要作戦。
そして、この作戦を実施する「最高責任者」である航空艦隊司令長官の人事。



大事な人事が、
こんなことで・・・



こんなことで
良いのか?
山本長官は考え込みました。
連合艦隊・海軍省・軍令部の幹部のほぼ全員が、海軍兵学校出身という環境。
日本海軍を会社に例えれば、「会社の社員ほぼ全員が、同じ大学出身」という環境です。
この環境では、どうあっても「大学の先輩・後輩の序列」がずっと続きます。
これは、息が詰まるような環境だったでしょう。
海軍兵学校の先輩・後輩と海軍の上下関係


海軍兵学校卒業期 | 職責 | 名前 | ||
28 | 軍令部総長 | 永野修身 | ||
31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 | ||
32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 | ||
36 | 第一航空艦隊司令長官 | 南雲忠一 | ||
37 | 南遣艦隊司令長官 | 小沢治三郎 | ||
39 | 軍令部次長 | 伊藤整一 | ||
40 | 第二航空戦隊司令官 | 山口多聞 |



南雲・・・
南雲か・・・
海兵36期卒業の南雲忠一は、海兵32期卒業の山本長官の4期後輩。
4期違うと、もはや「完全な上下関係」があります。
そして、32期卒の山本長官の4期上が28期卒業の永野軍令部総長。


「4期の違い」は中高一貫校で、中学1年生と高校2年生の関係。
海軍兵学校はいわば大学的な位置ですが、これだけの期の違いは大きいです。



南雲なんかに
任せて良いのか?



小沢か山口ならば、
任せられるのだが・・・
本当は司令長官には小沢治三郎か山口多聞になってもらいたい、山本長官。
「36期の南雲の代わりに、40期の山口が長官」が不可能なのは、山本も理解できます。



まあ、山口が長官というわけには
行かぬが・・・
ところが、36期の南雲と37期の小沢は「一期しか違わない」のです。
「一期の違い」は、学校ではある種「絶対的な違い」ですが、社会人では「同じ」です。
「一期の違い」で、どうのこうの言っている状況こそが「おかしい」状況でした。



何がなんでも、この奇襲攻撃は
成功させねばならぬ・・・


この奇襲攻撃が「バクチ」であることは、山本長官自身が最もよく分かっていました。



空母を1,2隻
撃沈されるかもしれぬ・・・
最新鋭・歴戦の軍艦が混在している「第一航空艦隊」は日本海軍の中心であり、「日本海軍の顔」でした。


まだまだ大艦巨砲主義が中心であった当時、「日本海軍の顔」は間も無く完成する「戦艦大和」です。
ところが、「航空隊の未来を見ていた」山本長官。



空母・航空隊が、
これからの海軍の運命を左右する・・・
「空母・航空隊の未来」を世界一理解していた人物の一人でした。
その「空母を出来るだけ保全し、米太平洋艦隊の本拠地・ハワイに痛恨の一撃を与える」ことは至難中の至難の技。



第一航空艦隊司令長官は、
我が海軍のベストの人材を当てたい・・・
「海軍兵学校の先輩・後輩」の上下関係の中、奇襲攻撃成功に万全期したい山本は煩悶し続けます。
次回は上記リンクです。