前回は「非常時でも変わらぬ日本の制度〜考えを変える気配すらない頑迷さ・判断を参謀に委ねる長官・「最大の権限者は二番手」という日本の異様な風習・上に立つ責任者・日米の根本的違い〜」の話でした。
思い切った作戦と変わらぬ人事


我が海軍で最適任者が、
司令長官になるべき!



小沢治三郎を
機動部隊の司令長官に!


真珠湾奇襲攻撃の主力部隊・空母機動部隊の長官に小沢治三郎を推薦した山本長官。



小沢は機動部隊の戦略に
長けている・・・



小沢くんならば、
バッチリだ!





ダメったら
ダメ!



何度
言っても同じ。
頑迷固陋で、「制度を守ること」しか能がない「無能極まりない」及川大臣は、拒否を続けます。



これは
困った・・・
大いに困る山本長官。



乾坤一擲の
作戦なのだ!



思い切った作戦なので、
思い切った人事を!



絶対
ダメだ!



・・・・・
山本長官が及川海軍大臣と、第一航空艦隊司令長官の人事で揉めている中、機動部隊が決定します。
こうして長官人事で揉めている間に、「編成空母」が問題となります。
一度は第一航空艦隊として、編成が決定しました。


その中、軍令部は、



二航戦(第二航空戦隊)の飛龍・蒼龍は、
航続距離が短いから・・・



真珠湾奇襲攻撃の部隊から、
外す!
「空母四隻で」と山本長官に連絡(通告)してきました。
作戦指導を司る軍令部は、日本海軍の作戦全般に関する権限を有します。
蒼龍・飛龍は、「航続距離が短い」ため「洋上で給油する必要がある」ために作戦計画から外されました。
空母 | 竣工年 |
赤城 | 1927年 |
加賀 | 1928年 |
蒼龍 | 1937年 |
飛龍 | 1939年 |
瑞鶴 | 1941年 |
翔鶴 | 1941年 |
第一航空艦隊の6隻の空母のうち、蒼龍・飛龍は、竣工年としては中堅であります。
とは言っても、真珠湾奇襲攻撃の4年前に完成した空母・蒼龍。


真珠湾奇襲攻撃の2年前に完成した空母・飛龍。


二つの空母とも「最新式」と言って良いでしょう。
そして、真珠湾奇襲攻撃の1941年に完成した空母・翔鶴・瑞鶴の二隻。




瑞鶴に至っては、真珠湾奇襲攻撃直前の1941年9月25日竣工です。
つまり、「真珠湾奇襲攻撃1月前」に完成したばかりの第五航空戦隊:翔鶴・瑞鶴。
それだけに、「超最新鋭」である空母翔鶴・瑞鶴ですが、海の上を走る艦船は入念なチェックが必要です。
それらの「入念なチェック」をしていたとしても、「できたばかりの艦船」には不安定な面があるでしょう。
それに比較して、「少し古い最新鋭」の空母・飛龍と空母・蒼龍の二隻の空母。





我々が足手まといであったら、
太平洋にほったらかしにしてくれてよい!



とにかく、
我々も参加させてくれ!
熱烈に山本長官に迫る山口司令官。



我々、二航戦(第二航空戦隊)は、
経験も豊富で・・・



五航戦(第五航空戦隊)より
役立つ自信がある!
山口司令官の思いは「当然のこと」でした。



山口の気持ちも
わかる・・・
軍令部を押し切った山本長官。
軍令部の思惑と第二航空戦隊


おそらく、この「空母・蒼龍と飛龍の除外」は軍令部側の思惑があったのでしょう。



そもそも、こんなバクチみたいな
作戦を認めるわけにはいかないのだ・・・





永野総長が決裁した以上、
作戦は実行されるが・・・



ひょっとしたら、空母機動部隊が、
大きな被害を受けるかもしれん・・・



そのためには、空母6隻の大部隊である
第一航空艦隊から・・・



空母・蒼龍と飛龍の二航戦(第二航空戦隊)を
除外して、温存しておこう・・・
空母・蒼龍と空母・飛龍の「航続距離」等に、「問題があった」ことは事実なのでしょう。



空母・蒼龍と飛龍の航続距離を
理由にしよう!
こうして、真珠湾奇襲攻撃部隊は「空母・蒼龍と空母・飛龍が除外」され、空母四隻で一度は決定になりました。
後輩に押し切られた山本司令長官:揺れる軍令部の権限





何がなんでも、
我が二航戦(第二航空戦隊)はゆく!
山口司令官の海兵(海軍兵学校)一期上(39期)の伊藤軍令部次長。



あまりに危険で、
投機的・バクチのような作戦だから・・・



やっと、二航戦の空母蒼龍と飛龍を
作戦から外したのだが・・・



山口は強情だから、
折れないだろうが・・・
海軍の幹部全員が「海兵卒業生」という中、「先輩・後輩」の関係は一生続きます。
軍令部・永野総長を押し切った山本長官。
今度は、自分が山口司令官に押し切られます。



山本さん!
お願いします!
ついには、山口司令官の先輩の山本長官は、決断します。



よし!分かった!
山口よ!



第二航空戦隊にも
真珠湾へ行ってもらう!



よしっ!
任せてください!
そして、空母六隻から四隻になった状況から、山本は独断で、



正規空母4隻から
6隻に増強しよう。



ということで、軍令部の皆さん、
承認してください!



は?
どういうことだ?



本来、作戦指導をするのは
軍令部の役目なのだが・・・



ちょっと
流石に、これは・・・



これでは、山本長官の連合艦隊司令部が、
軍令部を兼ねているような状況だ・・・



そういうことで
頼むぞ!



伊藤次長、
決裁を!
海軍兵学校卒業期 | 職責 | 名前 | ||
28 | 軍令部総長 | 永野修身 | ||
31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 | ||
32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 | ||
39 | 軍令部次長 | 伊藤整一 | ||
40 | 第二航空戦隊司令官 | 山口多聞 |
軍令部次長の伊藤整一は海兵39期卒業で、32期卒業の山本五十六の7期下です。
同じ学校の先輩・後輩で「7期の違い」は絶対的な上下関係があります。
完全な「先輩・後輩」の関係となり、逆らうことは難しいでしょう。
職場なので「伊藤次長」と職務で呼ぶものの、内実は、



「次長」というより、
伊藤くん!
という上下関係があります。
真珠湾奇襲攻撃を押し切った山本長官。
今度は、作戦実行部隊までも主導権を握りました。



は、
はぁ・・・
追認するしかない、伊藤次長は呆然としてしまいました。



なぜ、
こういうことになるのだ?
山本が主導権を握り、奇襲攻撃の機動部隊が固まって行きました。
もはや、山本長官が連合艦隊司令長官・軍令部総長を兼ねているような「妙な状況」となりました。
その山本長官ですが、



及川大臣の人事権までは、
変えさせられぬ・・・
再び、第一航空艦隊の司令長官人事で悩みます。
次回は上記リンクです。