非常時でも変わらぬ日本の制度〜考えを変える気配すらない頑迷さ・判断を参謀に委ねる長官・「最大の権限者は二番手」という日本の異様な風習・上に立つ責任者・日米の根本的違い〜|リメンバー・パール・ハーバー11・真珠湾奇襲攻撃

前回は「海軍承行令という異様な人事制度〜立ちはだかる年功序列制度・悩み続ける山本司令長官・頑迷固陋な及川海軍大臣・日本海軍の構造的欠陥・戦時と平時の大きな違い〜」の話でした。

目次

非常時でも変わらぬ日本の制度:考えを変える気配すらない頑迷さ

及川古志郎 海軍大臣(Wikipedia)

「頑迷固陋」を絵に描いたような存在の及川古志郎・海軍大臣。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

対して、最強国・米国と最前線で戦う山本連合艦隊司令長官。

米国を相手にするからには、
ベストの体制で望みたい・・・

そのためには、
真珠湾奇襲攻撃の責任者・司令長官は・・・

我が海軍で最適任者が、
司令長官になるべき!

小沢治三郎を
機動部隊の司令長官に!

ところが、山本長官の主張を絶対に認めない、及川海軍大臣。

ダメったら
ダメ!

何度
言っても同じ。

判断を参謀に委ねる長官

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

誰がどう考えても、「南雲より小沢の方が適任」でした。

世界で初めての「空母を集中運用する」機動部隊の設立。

この「機動部隊」を、早くから提唱していたのが小沢治三郎でした。

空母はバラバラではなく、
集中運用すべし!

まとめることで、
打撃力が大きくアップする!

南雲忠一は、若い頃から駆逐艦などの水雷部隊を率いて、操艦などには定評があります。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

南雲が優れた海軍軍人であることもまた、事実であったのでした。

水雷だけではなく、操艦能力に関して、南雲を上回る提督は日本海軍において少数でした。

一方で、航空艦隊・空母に関しては、完全に「ど素人」の南雲。

航空艦隊のことは、
よく分からぬが・・・

空母といえども、
操艦は駆逐艦と似ている面があるだろう・・・

あとは、補佐役の参謀長の
判断に委ねよう!

初めから航空戦の判断は、「二番手の参謀長が行う」ことが想定されていたのです。

そして、その二番手の参謀長は、草鹿龍之介・第一航空艦隊参謀長。

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

さらに、草鹿龍之介・第一航空艦隊参謀長を補佐するのは、源田実・第一航空参謀。

源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

このように、階層化されたシステムによって、「ボトムアップ式に判断する」ことが予定されていました。

つまり、源田・第一航空参謀が、

この場面では、
Aであるべき!

と言えば、草鹿参謀長は、

ふ〜む・・・
ならば、Aでいくか!

と言い、

南雲長官、
Aで行きましょう!

と草鹿参謀長が言えば、

じゃ、
そうしよう!

ということでした。

「最大の権限者は二番手」という日本の異様な風習

この「決断するのはトップではなく、二番手」という日本の風習。

現代日本社会でも、よく見られることです。

実はさ、
B会社のC部は、部長に大した権限がないんだ・・・

ああ、知ってる。
次長が全部決定しているみたいだな。

今でもよくある、「No.2がNo.1」という不思議な日本の風習。

しかしながら、平時ではなく戦時・非常時では「決断はトップであるべき」でした。

「先任順序」を乱すことは、
絶対にできぬ!

及川大臣は、山本の人事変更案「南雲から小沢へ」を断固突っぱねます。

そこを
なんとか・・・

なんとか、
ならない!

読書家でもある及川大臣にとって、「秩序を乱す」ことは論外です。

海軍兵学校卒業期職責名前
28軍令部総長永野修身
31海軍大臣及川古志郎
32連合艦隊司令長官山本五十六
36第一航空艦隊司令長官南雲忠一
37南遣艦隊司令長官小沢治三郎
海軍兵学校卒業期(真珠湾奇襲攻撃時)

ほとんど「年功序列」とも言える、どうしようもない悪弊。

この悪弊を「米国との戦争」という超非常時においても、守ろうとする及川大臣の頑迷さ。

この及川大臣の姿勢こそが、論外であったのです。

第一航空艦隊 旗艦 空母赤城(Wikipedia)

南雲は、
空母の素人です!

素人であろうが、
制度が大事!

草鹿や源田が補佐するから
大丈夫!

・・・・・

上に立つ責任者:日米の根本的違い

米海軍 原子力空母George H.W. Bush(Wikipedia)

米軍では、およそ考えられないでしょう。

「能力あるものが上に立ち、責任者となる」のが欧米での通念です。

まして、

補佐役の草鹿参謀長と
源田参謀がいるから・・・

まあ、源田が
全部決めるんだろうよ・・・

みたいな、低レベル極まりない発想。

実に日本的でした。

そして、どうしようもなく低レベルな状況でした。

航空艦隊司令長官という最高意思決定者こそ、最高責任者かつ最高権限者です。

そして、補佐役は補佐役に過ぎないのです。

責任者は「きちんと自己の責任のもとに、権限も持つ」という、基本が出来ていない組織でした。

平時ならば及川古志郎のような、「凡庸極まりない人間」が人事決定者であっても良いでしょう。

一方で、戦時という緊急時においては、及川のような人間は邪魔です。

こういう頑迷固陋な人間が意思決定者であることは、存在自体が極めて甚大な弊害でした。

「及川古志郎」という存在自体が、日本海軍の大きな害だったのです。

この「硬直した人事」という「戦時における最悪の弊害」を引きずったまま、対米開戦へ向かう日本。

そして、そのまま日本は敗戦へと突き進むことになったのでした。

新地球紀行

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