前回は「リメンバー・パール・ハーバー 9〜先輩と後輩〜」の話でした。

絶対に山本の「第一航空艦隊司令長官を南雲忠一から小沢治三郎へ変更」案を了承しない及川古志郎 海軍大臣。


絶対ダメ!
当時の海軍には、軍令承行令による「先任順序」という不文律がありました。
一言で言えば「年功序列」です。
ハンモックナンバーとも呼ばれました。
海軍兵学校の卒業期・卒業席次(成績)・勤務成績によって先任・後任が決まります。
そして、原則として後任者は先任者を指揮することができません。
ハンモックナンバーは海軍兵学校の卒業期と卒業席次(成績)に大きく左右され、多少上下することはあったようです。


しかし、海軍兵学校(海兵)36期の南雲と海軍兵学校(海兵)37期の小沢では1期しか違いません。
しかし、その「1期の差」は大きく、それまでの小沢長官の経歴は概ね南雲長官の直接の後任だったのです。


例えば、1937年に小沢長官が連合艦隊参謀長 兼 第一航空艦隊参謀長から第八戦隊司令官へ転任します。
この時、小沢は南雲長官の後任者として司令官となりました。
南雲よりも1期下の小沢治三郎を第一航空艦隊司令長官にするため、必要なこと。
それは、関係する全ての幹部は「小沢治三郎より後任者」としなければなりません。
つまり、関係する他の長官の人事異動も必要となります。



そんなこと、出来るわけないだろう!
平時ならば、さほど問題とならないこの制度は非常時においては人事の硬直化を産み、大きな問題となります。