海軍承行令という異様な人事制度〜立ちはだかる年功序列制度・悩み続ける山本司令長官・頑迷固陋な及川海軍大臣・日本海軍の構造的欠陥・戦時と平時の大きな違い〜|リメンバー・パール・ハーバー10・真珠湾奇襲攻撃

前回は「日本の年功序列の文化の弊害〜悩みに悩む山本連合艦隊司令長官・異様に頑固な及川古志郎海軍大臣・自称天才の永野軍令部総長・海軍最高首脳たちの綱引き・山本長官に立ちはだかる二人〜」の話でした。

目次

立ちはだかる年功序列制度:悩み続ける山本司令長官

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

真珠湾奇襲攻撃という「乾坤一擲の大作戦」の司令長官。

いわば、連合艦隊・日本海軍のみならず、「日本の運命を背負う」ことになる人物です。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

その人物は、軍令承行令(年功序列の制度)により「航空隊ど素人」の南雲忠一司令長官です。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

なぜだ・・・

なぜ、こういうことに
なるのだ・・・

奇襲攻撃の主力は、航空隊を率いる空母機動部隊です。

我が日本の運命を背負う
司令長官は、航空隊・空母のプロであるべき!

それには、
空母の集中運用を早期に提唱した小沢だ!

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

小沢治三郎が
最も適任だ!

山本でなくても、「南雲より小沢の方が適している」ことは明らかでした。

海兵(海軍兵学校)36期卒業の南雲に対して、小沢は37期卒業です。

「1期しか違わない」のです。

海軍兵学校卒業期職責名前
28軍令部総長永野修身
31海軍大臣及川古志郎
32連合艦隊司令長官山本五十六
36第一航空艦隊司令長官南雲忠一
37南遣艦隊司令長官小沢治三郎
海軍兵学校卒業期

確かに、若い頃から暴れん坊で操艦技術・水雷に関しては第一人者の南雲忠一提督。

水雷・操艦なら
俺に任せろ!

しかし、戦艦・巡洋艦・潜水艦などは、「その艦で完結する」艦船です。

対して、空母航空隊は「空母と航空隊」が別々にあり、敵を攻撃するのは、艦船ではなく航空隊です。

まあ、
航空隊のことは、よく知らないけどさ・・・

一定の見識がある人物ならば、「南雲よりも小沢の方が航空艦隊の長官として適切」なのは、明白だったのでした。

海軍承行令という異様な人事制度:頑迷固陋な及川海軍大臣

及川古志郎 海軍大臣(Wikipedia)

絶対に山本の「第一航空艦隊司令長官を南雲忠一から小沢治三郎へ変更」案を了承しない及川古志郎 海軍大臣。

一航艦(第一航空艦隊)長官は、
小沢治三郎であるべき!

絶対ダメ!

当時の海軍には、軍令承行令による「先任順序」という不文律がありました。

一言で言えば「年功序列」です。

「ハンモックナンバー」とも呼ばれました。

海軍兵学校の卒業期・卒業席次(成績)・勤務成績によって先任・後任が決まります。

そして、原則として後任者は先任者を指揮することができません。

ハンモックナンバーは海軍兵学校の卒業期と卒業席次(成績)に大きく左右されました。

そして、多少上下することはあったようです。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

1期しか違わない、海軍兵学校(海兵)36期の南雲と海軍兵学校(海兵)37期の小沢。

だが、その「1期の差」は大きく、それまでの小沢長官の経歴は概ね南雲長官の直接の後任だったのです。

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

例えば、1937年に小沢長官が連合艦隊参謀長 兼 第一航空艦隊参謀長から第八戦隊司令官へ転任します。

この時、小沢は南雲長官の後任者として司令官となりました。

南雲よりも1期下の小沢治三郎を第一航空艦隊司令長官にするため、必要なこと。

それは、関係する全ての幹部は「小沢治三郎より後任者」としなければなりません。

つまり、関係する他の長官の人事異動も必要となります。

日本海軍の構造的欠陥:戦時と平時の大きな違い

永野修身 軍令部総長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

まあ、山本よ。
及川君は海軍大臣なんだからさ・・・

こんな馬鹿なことは
ない!

大いに苛立つ山本長官。

人事異動が必要ならば、
大きな人事異動をすればよい!

そんなこと、
出来るわけないだろう!

それでは、「特例」という
扱いでは?

無理!

米国との
戦争ですぞ!

制度は
制度!

我が大日本帝国の運命が
かかっているのですぞ!

無理だと、
何度言えばわかる?

・・・・・

平時ならば、さほど問題とならない、この軍令承行令という制度。

非常時においては人事の硬直化を生むだけであり、極めて大きな問題となります。

日本の軍需物資の依存:1941年(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

開戦直前には、石油・鉄・機械という「戦争で最も大事なもの」を米国からの輸入で賄っていた日本。

よりにもよって、その米国と戦争する道は、「非常時」では済まない状況です。

「非常時」ならぬ「日本が消えるか、残るかの瀬戸際」とも言える事態においても、なお

制度が
大事だ!

と主張していた頑迷固陋を絵に描いたような及川大臣。

Chester Nimitz米太平洋艦隊司令長官 (Wikipedia)

対して、真珠湾奇襲攻撃後に、米太平洋艦隊司令長官となったNimitz提督。

まだ少将であったNimitzは、太平洋艦隊司令長官になれる立場ではありませんでした。

この時、米海軍は、

よし、Nimitzは有能だから、
少将から中将飛ばして、一気に大将へ!

となり、一気にNimitz少将からNimitz大将へと進級しました。

つまり「二階級特進」であり、これは日本海軍では「戦死以外あり得ない」ことです。

「人事優先で制度度外視」の米国軍と、「人事がどうでも良く、制度大事」の日本軍。

この時点で、日本の敗北は既に決定していたのかも知れません。

新地球紀行

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