前回は「彷徨う奇襲攻撃の長官人事〜トップはお飾り・真珠湾奇襲攻撃の総指揮官と大艦巨砲主義と巨大戦艦大和・長官の補佐役が実質権限者・「ぬるい空気」の日本の指揮権〜」の話でした。
日本の年功序列の文化の弊害:悩みに悩む山本連合艦隊司令長官

真珠湾奇襲攻撃の最高指揮官・司令長官の人事に対し、悩みに悩む山本長官。

真珠湾奇襲攻撃の
司令長官が・・・





主力である空母の「ど素人」の
南雲で良いのか・・・


最も相応しいのは、空母の専門家である小沢治三郎(海兵37期)でした。



空母はバラバラではなく、
集中運用すべし!



まとめることで、
打撃力が大きくアップする!
こう考えた小沢治三郎は、空母を集中運用する「航空艦隊」の設立の意見書を軍令部・海軍省に提出しました。



たしかに、
小沢長官のいうことは理にかなっている・・・
そして、「空母機動部隊」が設立されました。
この「空母機動部隊」の発想において、日本海軍は世界的に「先を行っていた」のです。
その「先をゆく発想」を生み出した人物こそ小沢治三郎でした。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | ||
28 | 永野修身 | ||
31 | 及川古志郎 | ||
32 | 山本五十六 | ||
36 | 南雲忠一 | ||
37 | 小沢治三郎 |



私が若い頃は、
とにかく戦艦中心だった・・・



その傾向は今もなお
続いている・・・
経歴的にも能力的にも、小沢が最も第一航空艦隊司令長官に相応しいのは「自明」でした。



やはり奇襲攻撃の長官は
小沢が良いのでは・・・
異様に頑固な及川古志郎海軍大臣


海軍の人事権を握る及川海軍大臣。



真珠湾奇襲攻撃の指揮官は、
小沢が良いと考えます!
真っ当な能力があれば、「誰が考えてもこれしかない」という人事。
ところが、人事権を握る及川海軍大臣は、



それは
ダメだ!



指揮官は
南雲!
及川古志郎 海軍大臣は海軍兵学校31期卒業で、山本長官の一つ上に当たります。
大変熱心な読書家で、中国の古典をよく読んでいました。



中国の古典は
素晴らしい・・・
考え方は、非常に保守的でした。
そして、かつては海軍兵学校校長を務めていました。
まさに「校長先生」にうってつけの及川古志郎。
及川は、顔つきからして「軍人らしくない」人物でした。
なぜ、この程度の人物が海軍大臣であったかも不思議なくらいです。


米海軍次官経験者である、Franklin Roosebelt米大統領。


英海軍大臣経験者のWinston Churchill英国首相。
これらの人物と比較する時、及川古志郎では比較の対象にすらならないでしょう。
能力云々以前に、「顔つきで既に敗北していた」日本海軍。
自称天才の永野軍令部総長


及川海軍大臣が海軍兵学校校長を務める以前に、永野修身軍令部総長が海軍兵学校校長を務めていました。
永野は海軍兵学校28期を、次席卒業した優等生です。
そして、日露戦争では大活躍し、



私は
天才だ!
「自称天才」の永野軍令部総長。
そして、永野が進めていた改革案を、及川は継承した人物でした。



及川は、
私の言うことをよく聞く。



先輩を立てることを、
よくわかっている。
つまり、及川大臣と永野総長は非常に仲の良い関係でした。
この真珠湾奇襲攻撃の1941年と、日露戦争で日本海軍が戦った1904-05年では、36年ほど違います。
これほどの時間が経過すれば、「古い発想では勝てない」でしょう。
そして、及川大臣もまた日露戦争を戦った「戦場経験者」でありました。


実は、山本五十六長官は当時、高野五十六の名前で、日露戦争を戦いました。
高野五十六は、後に名家の山本家を継ぎました。





日本海海戦では、
名誉の負傷をした・・・
ロシア海軍の砲撃で(諸説あり)、左手の指二本を失う重傷を負った山本長官。
海兵卒業28〜32期の「日露戦争経験者」たちが、人事で揉めます。
海軍最高首脳たちの綱引き:山本長官に立ちはだかる二人


海軍兵学校卒業期 | 職責 | 名前 | ||
28 | 軍令部総長 | 永野修身 | ||
31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 | ||
32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 |
真珠湾作戦計画をゴリ押しした山本長官に対して、永野は及川に相談していたでしょう。



山本が
強情でさ・・・



山本も
困ったものですな・・・
山本のゴリ押しを「どう扱うか」と悩み、永野総長と及川大臣は、色々と話し合ったでしょう。
永野総長は山本に折れましたが、及川大臣は山本に対して絶対に折れません。



みんな
海軍兵学校の同窓生なんだ!



山本は
私の一期後輩!



学校の上下関係は、
一生変わらないだろう!
及川大臣が、折れない理由があったのです。
当時、日本海軍における「軍令承行令」という絶対に破ることは認められない不文律があったからでした。
そしてその不文律こそが、「曖昧な日本において、異様に順序が明快」な年功序列制度でした。





なんとか、
ならぬのか・・・



相手が
他の国なら良い・・・



英国でもフランスでも、
中国でも・・・



それならば
良いのだが・・・


資源が唸るほどあり、莫大な国力を有する米国。
米国に駐在武官として数年滞在した山本五十六。
その米国と大日本帝国(日本)の「レベルの違い」を肌身で知っていました。



我が日本海軍は、
大成長した・・・



だが、相手は
米国なのだ・・・



別格の相手である
米国に対して、年功序列・・・



う〜む
これでは・・・・・
眉間に皺を寄せて、悩みに悩み続ける山本長官でした。
次回は上記リンクです。