彷徨う奇襲攻撃の長官人事〜トップはお飾り・真珠湾奇襲攻撃の総指揮官と大艦巨砲主義と巨大戦艦大和・長官の補佐役が実質権限者・「ぬるい空気」の日本の指揮権〜|リメンバー・パール・ハーバー8・真珠湾奇襲攻撃

前回は「日本特有の「同じ釜の飯を食った仲」〜人情と人事と作戦と・山口司令官の強い思い・海軍兵学校の先輩と後輩・冷静な米陸海軍・米国の長官と将官〜」の話でした。

目次

真珠湾奇襲攻撃の総指揮官と大艦巨砲主義と巨大戦艦大和

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

ハワイ真珠湾奇襲攻撃の「攻撃部隊の艦隊」総指揮を執る南雲忠一 第一航空艦隊司令長官。

南雲長官は、もともと専門は水雷でした。

水雷戦隊の
指揮ならば、私は第一人者!

魚雷などで攻撃をすることを得意とする、重巡洋艦・軽巡洋艦・潜水艦などの専門家です。

航空機を主軸とした「空母機動部隊」という概念自体が、まだ比較的新しかったのです。

空母・航空隊のことは
よく分からない・・・

真珠湾奇襲攻撃の際には、

やはり空母よりも、戦艦の方が
強いのではないか・・・

という考え方は、世界の海軍の中で、まだまだありました。

「まだまだあった」というよりも、当時はまだ「戦艦主流」だったのでした。

戦艦三笠に座乗する東郷平八郎 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

さらに、日本海海戦で「目上のロシア海軍」に対して、「鮮やかすぎる勝利」を飾った日本海軍。

真珠湾奇襲攻撃時点では、すでに「敵国同然」だった大英帝国から購入した戦艦三笠が連合艦隊の主役でした。

そのため、

やはり戦艦の巨砲で、
ドカンと敵艦を撃沈するのがベスト!

我が日本海軍のポリシーは、
日本近海で、戦艦中心の艦隊決戦だ!

という「大艦巨砲主義」が、当時の日本海軍の主流だったのでした。

そして、

敵戦艦の射的範囲外から、
こちらが砲撃すれば、勝てるはず!

こちらが
一方的に攻撃できるな!

と考えた日本海軍首脳部。

当面の最大の敵であった米海軍は、

米海軍は太平洋と大西洋を
行き来するため、パナマ運河を通行する・・・

そのため、米海軍はパナマ運河を通行できるサイズを超える
艦隊をつくることはないはずだ・・・

そうだな。
その最大サイズを超える戦艦を、我が日本が作る!

そして、生まれた空前の巨大戦艦が大和・武蔵だったのでした。

戦艦大和(Wikipedia)
戦艦武蔵(Wikipedia)

この「敵の射的範囲外からの砲撃」という「アウトレンジ戦法」を、日本海軍は好んでいました。

いくら、「敵の射的範囲外・アウトレンジ」と言っても、そんな遠くから砲撃して「敵艦に当たるのか」が大問題でした。

ところが、その本質的大問題は、

我が日本海軍の精神力で、
必ず敵艦に砲弾を当てる!

という、日本特有の論理で「解決」したつもりになっていました。

のちに「マリアナ沖海戦」では、「航空機のアウトレンジ戦法」を試み、米海軍に惨敗します。

長官の補佐役が実質権限者:「ぬるい空気」の日本の指揮権

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

この空母・航空機に対しては、「ど素人」の南雲司令長官を支える人物が二人いました。

航空機の専門家である草鹿龍之介 一航空艦隊参謀長と源田実 第一航空参謀です。

源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

総責任者は、「その道のプロ」であるべきです。

南雲さんは、空母・航空隊のことを
全然知らないが・・・

空母機動部隊の「海の親」である
小沢治三郎が長官になるのはどうか?

小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(別冊歴史読本 戦記シリーズNo.65 「空母機動部隊」新人物往来社)

確かに、
南雲の一期下の小沢は適任者だ・・・

と言っても、日本海軍には
「軍令承行令」(年功序列制度)がある・・・

まあ、草鹿と源田がいるから、
まあいいか。

という日本的な「ぬるい」空気でした。

源田航空参謀を、大変重宝した南雲司令長官。

源田の意見をかなり採用することになり、のちにこの南雲機動部隊は「源田艦隊」と言われるほどになります。

とはいっても、やはり「トップはプロであるべき」です。

彷徨う奇襲攻撃の長官人事:トップはお飾り

この「長官・トップはお飾り」というのは、いかにも日本的発想でした。

なんでもトップが率先して意思決定する米国に対して、「トップは奥に控えている」存在の日本。

非常に大きな違いがあります。

南雲長官が「ど素人」でも、
補佐役がしっかりしていれば良い!

この日本的発想は「平時」ならば、良いでしょう。

一方で、戦場において「司令長官の意思決定が補佐役の意思に依存する」という考え方は、非常に危険です。

責任・権限の所在が曖昧になるからです。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

山本連合艦隊司令長官は、攻撃部隊の最高司令長官である第一航空艦隊司令長官の人事に悩みます。

真珠湾奇襲攻撃の
司令長官が・・・

主力である空母の「ど素人」の
南雲で良いのか・・・

この日本的な「トップはお飾りで、実質権限者は二番手」という発想。

これは、戦前の軍隊にも見られたことでした。

とにかく「曖昧な」日本の上下関係に対する考え方。

湾岸戦争の頃には、

神輿(総理大臣)は、
軽くてパーがいい!

と言った政治家がいました。

「お飾り」になりがちであった昭和の日本の総理大臣。

それに対して、戦争の司令長官・作戦最高責任者が「お飾り」で良いわけがありません。

司令長官は、
南雲ではなく、その道のプロであるべきだ!

山本長官は、司令長官の人事に悩みます。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)
新地球紀行

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