日本特有の「同じ釜の飯を食った仲」〜人情と人事と作戦と・山口司令官の強い思い・海軍兵学校の先輩と後輩・冷静な米陸海軍・米国の長官と将官〜|リメンバー・パール・ハーバー7・真珠湾奇襲攻撃

前回は「海軍内部の交錯する人間模様〜奇襲攻撃のうやむやの決定と具体的作戦・ベテランと若手の急先鋒がタッグ・大西瀧治郎と源田実・山本長官と草鹿参謀長と山口司令官〜」の話でした。

目次

山口司令官の強い思い

山口多聞司令官(Wikipedia)

攻撃部隊から外された、山口多聞司令官率いる第二航空戦隊。

山口司令官は、怒り心頭です。

極めて優秀な山口多聞は、戦略的才能は山本五十六に匹敵すると言われ、かなりの激情家でした。

山口は主張します。

ここまでみんなで
一生懸命やってきたのだ!

最後の最後で外されては、
第二航空戦隊の部下等に合わせる顔がない・・・

だから、
なんとしても・・・

なんとしても我々も、
攻撃部隊に加えてもらいたい!

山本長官は、困り果てます。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

・・・・・

困ったな・・・

自らの職を賭して、押し切ったハワイ真珠湾奇襲攻撃でした。

そして、軍令部の

最も大事な空母を、
沈められたらどうするのか?

という反論に対する配慮もあります。

双方の話し合いの結果、やっと「空母四隻」で決着したところでした。

だが、山口司令官は絶対に折れません。

絶対に、
真珠湾に行きます!

ハワイまでは距離が長いため、給油する必要があります。

出撃後は途中に日本側の港がないので、洋上給油となります。

航続距離がやや劣る空母 飛龍・蒼龍の二隻。

そのため、飛龍・蒼龍は、他の空母と足並みを揃えて侵攻するのに難があったのです。

海軍兵学校の先輩と後輩

永野修身 軍令部総長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

同じ海軍兵学校卒業生として、山口司令官は山本長官の8期下になります。

「山口司令官」ならぬ「後輩の山口」が「山本先輩」に詰め寄ります。

我々が足手まといであったら、
太平洋にほったらかしにしてくれてよい!

山口多聞と山本五十六は、もともとウマが合う仲でした。

他の空母等は、
我々を見捨ててくれても構わない!

とにかく、
我々も参加させてくれ!

山口の
気持ちも分かる・・・

8期下の山口司令官は、山本長官にとっては「可愛い弟」のような存在だったでしょう。

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

対して、山本長官と南雲長官は、全くウマが合いません。

戦艦を最重視する、いわゆる「大艦巨砲主義」が主流の時代。

山口は、航空機による空母機動部隊の編成を、山本と共に強く主張している間柄です。

さらに、山本が海軍首席代表をつとめたロンドン軍縮条約などでも山口も一緒に随行し、山本と共に汗をかいた仲です。

1934年のロンドン軍縮条約に海軍首席代表として出席する山本五十六(Wilipedia)

山口とは、
とても気が合う。

山本が空母赤城の艦長であった時、着艦に失敗しそうになった航空機がありました。

その時、山口と共に飛行機が「飛行甲板から落ちないよう、飛び乗って支えた」逸話があります。

それほど、山本と山口とは、肝胆相照らす仲です。

流石に「飛行機に飛び乗って」は嘘か誇張でしょうが、それほど「航空隊への思い」が強かった山本。

そして、同じように、

航空隊・空母機動部隊こそが、
これからの海軍の運命を決める!

と考える山口司令官。

南雲とは
大違いだ!

山本長官にとって、「山口司令官との仲」は極めて良好でした。

南雲司令長官や草鹿参謀長との関係とは、比較の対象になりません。

日本特有の「同じ釜の飯を食った仲」:人情と人事と作戦と

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

人情家の山本。

そうか。
山口がそこまで言うのか・・・

永野軍令部総長が、山本に思ったことと同じことを感じます。

山本がそれほど言うのなら、
いっちょやらせてみようじゃないか・・・

伊藤整一軍令部次長は海軍兵学校で山口の1期上、山本の4期下です。

年齢が近い同窓生同士で、さらにお互い優等生同士。

相手の気持ちも分かります。

伊藤整一 軍令部次長(Wikipedia)

ああ、
山口か・・・

あいつは優秀なんだが、
少し強情すぎてな・・・

海軍の重大な作戦の決定において、海軍兵学校の先輩後輩の関係が大きく影響します。

諸外国でも、軍隊は陸軍士官学校・海軍兵学校などの卒業生が多く、いわば「みんな同窓生」です。

この中、日本特有の「同じ飯を食った仲」という気持ち。

その気持ちが、海軍人事のみならず、作戦にも絶大な影響をもたらします。

冷静な米陸海軍:米国の長官と将官

左上から時計回りに、Franklin Roosebelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、Frank Knox海軍長官、Henry Stimson陸軍長官(Wikipedia)

旧日本海軍が、日本特有の「同じ釜の飯を食った仲」となるのは、大きな理由がありました。

それは、旧日本海軍の将官のほとんど全員が「海軍兵学校卒業生」だったことです。

これは、米国とは全く異なる発想でした。

米陸海軍の最高司令長官であるルーズベルト大統領は、士官学校ではないHarvard大学卒業。

そして、Henry Stimson陸軍長官は、

私は
Harvard大学卒業だ!

そして卒業後、長らく弁護士をしていました。

Frank Knox海軍長官もまた、士官学校ではないAlma College卒業です。

Frank Knox海軍長官は、少し変わった経歴を持っていました。

私は
一時記者をしていて・・・

米西戦争従軍後、一時記者をしていました。

このように、多民族国家で多様性が際立っている米国は、軍組織の幹部も多様性に富んでいました。

そもそも「同じ釜の飯を食った仲」という発想自体がない米軍組織。

同じ学校(海軍兵学校)卒業生同士で群れている、旧日本海軍とは大違いの組織でした。

先輩・後輩の仲が「人事・作戦に影響を与えていた」とも言える旧日本海軍。

合理的で冷静な米海軍とは、大違いだったのでした。

新地球紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次