岩倉使節団の帰国と西郷と大久保の衝突〜薩長土肥のバランス・討幕と明治新政府の中心薩摩・総理大臣西郷隆盛と策謀家岩倉具視〜|明治のかたち3・幕末から明治そして現代へ

前回は「プロイセンでの衝撃と大久保のビスマルクとの邂逅〜岩倉使節団・思い切った明治新政府の大派遣団・条約改正の大失敗・外交の基本「国家元首の委任状」〜」の話でした。

目次

討幕と明治新政府の中心・薩摩

留守政府首脳 参議 西郷 隆盛(国立国会図書館)

明治維新で、徳川政府を武力討幕した薩長中心の「官軍」。

フランス革命など、他の各国の革命と比較すると

明治維新は
「はるかに穏便で、流血が少ない」革命・・・

と言われます。

歴史家の中には、

明治維新は
無血革命!

と断定する方もいます。

確かにそういう側面はありますが、戊辰戦争・会津戦争を考えると「無血」とは言い難いでしょう。

中でも、討幕軍の武力の中心だった薩摩。

圧倒的な軍事力で諸藩の中心に居座り、その勢いのまま明治新政府を作り出しました。

我が薩摩こそ、
新政府の中心。

理想が高かった西郷。

ところが、明治維新後に嫌気が差してしまいます。

私が求めていた「新しい世」は、
これではなかった・・・・・

あの戊辰戦争で流した多くの血は、
一体なんだったのか・・・・・

西郷隆盛が薩摩・鹿児島へ帰ってしまった理由。

あんなに苦労して、
徳川家を倒したのだが・・・

なぜ、こんなに勘違いする
バカが多いのだ。

新政府側の人間の中に、突然華美な生活をし始めた人がたくさん出てきました。

これは私が求めていた
国の姿・政治とは違う!

西郷は、

もう全てが、本当に
嫌になった・・・

と感じます。

総理大臣・西郷隆盛と策謀家・岩倉具視

明治天皇(Wikipedia)

徳川幕府討幕目指して一途に邁進してきた西郷隆盛。

戦場の前線に立ち続け、多くの人物が亡くなるのを目前で見てきた西郷でした。

やっと討幕が実現されて、疲れ切ってしまったのでしょう。

西郷は一時薩摩に戻ったりして、新政府と距離を置きます。

西郷よ。
いい加減に戻ってこい!

はい・・・
分かりました。

明治天皇が出てきて、西郷を呼び戻し、廃藩置県などを強行しました。

そして、新政府の中心人物の大半を含めた岩倉使節団が、欧米向けて出発しました。

その中心人物たちが2年近くもの間、日本不在を不在にしました。

そのの間、薩摩藩出身の西郷が事実上の首相となります。

右大臣 外務卿 岩倉 具視(Wikipedia)

そして、公家出身の策謀家・謀略家であった岩倉具視。

明治維新は、ワシが
黒幕だ!

徳川幕府から「新しい世の中」として、明治天皇が権力の中心として再構成された政府。

天皇に近い公家もまた、明治政府の中心となりました。

中でも、公家出身にして強烈な謀略家であった、この時右大臣兼外務卿の岩倉具視。

密勅も錦の御旗も
私の指示で作った!

討幕に当たって、絶大な影響力を発揮した「密勅」と「錦の御旗」。

これらを「偽造した」中心人物であった岩倉は、ふんぞり返って明治政府の中心となります。

大蔵卿 大久保 利通(Wikipedia)

 とは言っても、「明治政府の力の根源」は薩摩でありました。

岩倉使節団の帰国と西郷と大久保の衝突:薩長土肥のバランス

参議 木戸 孝允(Wikipedia)

参議は薩長土肥から選出して「外見上、バランスを保った」新政府。

中でも、長年倒幕・討幕に動いていた長州藩の影響力もまた大きいものでした。

長州の総帥 木戸孝允に率いられた伊藤博文・山縣有朋・井上馨などがいます。

と言っても、やはり薩摩の力は強かったため、岩倉使節団の「事実上の代表」は大久保でしょう。

当時の日本の留守政府・岩倉使節団の両方の事実上のボスが、「西郷・大久保=薩摩出身」のです。

薩英戦争を戦い、兼ねてからずっと討幕側・薩摩を支援し続けた大英帝国。

H.Parkes英国公使(Wikipedia)

我がGreat Britainは、
Satsumaに武器を売りましょう!

「新しい世」を作り、そのためには「欧州先進国を規範」とするとき、

我がGreat Britainは、
新政府設立に尽力しましたよ!

大英帝国が「その一つになる」のは、当然であり必然でした。

それほど、薩摩と大英帝国は強いつながりを持っていたのです。

ならば、陸海軍両方とも「大英帝国を規範」とすれば良いのですが、ビスマルクに感銘受けた大久保。

プロイセンもまた、
大きな規範とすべきだ!

岩倉使節団で最も大きな権限を持つ大久保が、「規範の一つはプロイセン」と決定します。

陸海軍、両方一国に頼るのも
独立性という意味では、まずいからな!

使節団代表の岩倉具視も同意しました。

国内の留守政府内の軋轢もあって、大久保は一足先に帰国しました。

世界一周の
旅から戻ってきました!

その後、全ての使節団は帰国します。

ただいま
戻りました!

どうも、
おいどんが留守政府を仕切り申した・・・

そして、西郷は大久保たちから、

プロイセンは
素晴らしき国か!

なに?
プロイセン?

西郷は、大英帝国・フランス・米国には馴染みがありますが、プロイセンはよく知りません。

その国は、
強か国ごわすか?

ここで、冷静に西郷率いる留守政府・大久保率いる外遊組で、日本の進路を話し合うはずでした。

2年近くという、長い長い旅から帰国した岩倉・大久保・木戸たち。

こんなに、
たくさんの政策を実行したのか?

大久保たちは「あまりに数多くの重要事項の執行」に驚愕しました。

「重要事項は決定・実行しない」約束
だったはず!

2年もの間、
「何もしない」わけにはいかんごわす!

西郷が事実上首相の留守政府は、大久保たちの「案に反して」大きな大きな仕事をしていました。

秩禄処分や学制などの大改革を成し遂げ「新しい国家の姿」を作りつつありました。

これは
話が違う!

特に、「薩摩中心の意識」が強い大久保にとっては、「絶対許せないこと」がありました。

参議 江藤新平(Wikipedia)

なんと「新政府の中心人物」たる参議に、「大久保たちが知らない間」に大勢が加わっていたのです。

参議 後藤象二郎(Wikipedia)

佐賀藩出身の江藤新平、土佐藩出身の後藤象二郎たちです。

なんで、こいつらが
参議なんだ!

彼らは有能であり、
旧佐賀・土佐の背景もある。

勝手に
決めるな!

有能な人間に「新しい国づくり」に
関わってもらって、何が悪い!

「葉隠」で有名な旧肥前佐賀藩。

藩士の教育への熱の入れようは、江戸時代「群を抜いた存在」でした。

佐賀藩出身には、よく勉強して諸外国を理解した人物が最も多くいたのです。

お、
おのれ!

岩倉使節団が帰国した途端に、新政府に強烈な亀裂が入りました。

新地球紀行

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