維新後も続く薩摩・土佐間の強烈な不協和音〜激怒した大久保利通・薩長中心の連合軍のそれぞれの思惑・奇想天外の大政奉還を主導した土佐・坂本龍馬の暗躍と徳川慶喜の決意〜|明治のかたち4・幕末から明治そして現代へ

前回は「岩倉使節団の帰国と西郷と大久保の衝突〜薩長土肥のバランス・討幕と明治新政府の中心薩摩・総理大臣西郷隆盛と策謀家岩倉具視〜」の話でした。

目次

薩長中心の連合軍のそれぞれの思惑

佐賀藩士 江藤新平(Wikipedia)

徳川幕府を倒幕というよりも、武力で思い切って討幕した薩長はじめとする勢力が握っていた新政府。

「薩長土肥」と言われる「薩長主体とした連合軍」のような組織でした。

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明治維新の元勲たち:左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

「維新の三傑」あるいは「維新の十傑」という言葉があります。

そして、「維新の四傑」とも言えるのが西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・岩倉具視です。

薩摩が中心となり、
徳川を倒せ!

私が天皇・朝廷側を全て
反徳川でまとめて見せよう!

徳川をこの世から消し去って、
新たな世をつくるのだ!

打倒徳川の
先鞭をつけたのは我が長州だ!

「徳川打倒」で一致団結していた「薩長中心の連合軍」ですが、当然のことながら「それぞれの思惑」がありました。

この討幕・武力討伐の過程でも薩摩・長州と土佐では温度差が、かなりありました。

土佐藩 参政(首相) 後藤象二郎(Wikipedia)

土佐藩最大の実力者であった土佐藩参政(首相) であった後藤象二郎。

かなりアクの強い人物でしたが、坂本龍馬と共に「穏便な政権の形の移行」を模索します。

土佐藩士 坂本龍馬(Wikipedia)

このまま徳川を
武力で倒すことは可能なのか?

可能だとしても、
大規模な内戦となってしまいます。

その内戦の最中、
欧米列強に植民地にされてしまうかも・・・

それでは、徳川を
倒したところで、意味がない・・・

というよりも
デメリットが大きい・・・

このままでは、
薩長が武力に打って出てしまう・・・

さて、
どうするか・・・

幕末切っての切れ者・後藤象二郎といえども、徳川幕府の活路が見出せません。

奇想天外の大政奉還を主導した土佐:坂本龍馬の暗躍と徳川慶喜の決意

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土佐藩出身の軍人・政治家:左上から時計回りに、板垣退助、谷干城、坂本龍馬、中岡慎太郎(国立国会図書館、Wikipedia)

ここで、坂本龍馬が思い切った提案をしてきました。

ここで、国内で内戦が広がるのは、
思わしくないぜよ・・・

徳川慶喜公が
「自ら政権を返上する」のはいかがでしょうか?

そんなことが、
可能なのか?

「大政奉還」して、
政権を朝廷に返すのです・・・

元々は形式上、
「朝廷から、政権をお預かりしている」ので・・・

それを「返上する」
のです。

なるほど・・・
それは奇想天外とも言えるアイデアだ・・・

殿・・・
いかがでしょうか?

土佐藩主 山内容堂(Wikipedia)

なに?
大政奉還だと?

坂本龍馬は、身分制度が非常に厳しかった土佐藩において、下級の「郷士」出身でした。

さらに、一度は土佐藩を脱藩しているので、藩主 山内容堂の覚えは非常に悪いです。

そこで、参政 後藤象二郎は「自分の考え」として、藩主 山内容堂に「大政奉還」を献策しました。

ふむ〜・・・
なるほど・・・

容堂の瞳が光ります。

これは良い
ではないか!

これで、徳川の
名脈は保たれる!

早速
やれ!

世に言われる「薩長土肥」の討幕勢力ですが、「薩長」と「土肥」では全く違いました。

「薩長」と「土肥」では、軍事力も格も違います。

そして、何よりも「薩長」と「土肥」では「倒幕に対するテンション」が全く異なりました。

我が
土佐藩は・・・

容堂の「土佐藩は徳川家のおかげ」の話が始まりました。

また
始まったか・・・

何度
この話を聞かされたか・・・

土佐藩は関ヶ原の合戦において、わずか6万石から24万石へ徳川家康によって引き上げられました。

山内家は元々は、豊臣家側の豊臣恩顧の大名でした。

関ヶ原の合戦で、東軍・徳川家についた豊臣大名の多くは「約倍増の加増」を受けました。

ところが、もともと小さな領土であった山内家。

土佐・山内家は異例の「6万石から24万石への4倍への加増」となりました。

ただし、土佐の24万石は「表高」であり、実際はもっと石高が少なかった可能性が高いです。

このことから、土佐藩は累代「保守派」でありました。

「保守派」というより、「徳川幕府ファースト」の姿勢が非常に濃厚だったのです。

土佐の実権を握っている山内容堂の「GOサイン」をもらった後藤。

それでは
分かりました・・・

「大政奉還」を
進めます・・・

本来、陪臣であり「将軍である慶喜に会う」など出来る身分ではない後藤。

第十五代将軍 徳川慶喜(Wikipedia)

剛毅というよりも傲慢な後藤が珍しく額に汗をかきながら、慶喜に面会します。

私が
将軍慶喜だ・・・

慶喜様、
実は大政奉還が良いかと・・・

さすがに
緊張する・・・

土佐藩参政とはいえ、徳川将軍にとっては「臣下(土佐藩主)の臣下」の身分の後藤。

大いに緊張しながら、徳川慶喜・第十五代将軍に献言します。

なに?
大政奉還だと?

コロコロ態度が変わってしまい、大将としては「頼りない」存在だった徳川慶喜。

実際には、幕末で最も優れた頭脳を持っていました。

ふむう・・・
なるほどな・・・

すぐに「大政奉還」のメリットを感じました。

大政奉還ならば、
徳川の力を残せる・・・

新たな体制で心機一転
俺が中心になれば良い・・・

そうだ!
それが良い!

早々に「大政奉還の方針」を決定し、朝廷に願い出ます。

大政奉還
します!

維新後も続く薩摩・土佐間の強烈な不協和音:激怒した大久保利通

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

なんだ
これは!!

バリバリ武力倒幕するつもりだった薩摩藩は、「土佐藩+徳川幕府」の動きに激怒します。

徳川を挑発して、
戦争に持ち込む他なか!

そして、「薩長主導」でと「倒幕から討幕」へと大きく舵が切られました。

その結果、成立した明治新政府。

もともと薩長は仲が非常に悪く、「敵の敵は味方」という考えで薩長同盟に至りました。

さらに、討幕のプロセスで、薩摩と土佐の間には大きな不協和音がガンガン鳴っていました。

薩摩と土佐の間で「薩土盟約」が締結されていたものの、大きな温度差があったのでした。

薩摩藩士 大久保利通(Wikipedia)

土佐は
当てにならん!

そうだ!
我が薩摩が討幕を主導するごわす!

薩摩の猛烈なパワーで、武力討幕に成功しました。

徳川を
倒したぞ!

このまま完全に新たな
世を作るのだ!

そして、新たにできた明治新政府。

それには欧米を模範として、
新たな政府機構をつくることが大事だ!

明治新政府の大幹部であった岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らは米国・欧州視察へ出ました。

米欧12カ国へ向けて、新政府の首脳107名が「思い切った旅」に出ました。

岩倉使節団(Wikipedia)

2年近い「異例の長さ」となった洋行から戻ってきた岩倉使節団。

米国を横断して、欧州主要国を全て回った「大々旅行」でした。

帰国した大久保は、「政治の状況」に驚愕しました。

なんなんだ!
これはっ!!

なぜ、
土佐の後藤が参議なのだ?

挙げ句の果てに、
肥前の江藤も参議か?

元肥前・佐賀藩士など、そもそも眼中にない大久保。

土佐や肥前など、
どうでもいいだろう!

なぜ、
勝手にこんなことになっているんだ?

「百聞は一見に如かず」で、「西洋を実際に見る大きな成果があった」岩倉使節団。

ところが、そもそもの最も大事な使命である「条約改正」は完全に失敗しました。

おのれ・・・
このままでは・・・

国外で失敗し、国内での政治力が目に見えて低下した大久保は、巻き返しを図ります。

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