前回は「明治のかたち 3〜明治新政府と薩長勢力・薩摩・岩倉使節団・西郷隆盛・大久保利通・岩倉具視〜」の話でした。
土佐と肥前・佐賀

徳川幕府を倒幕というよりも、武力で討幕した薩長はじめとする勢力。
この武力討伐の過程でも薩摩・長州と土佐では温度差が、かなりありました。

土佐藩最大の実力者であった土佐藩参政(首相) であった後藤象二郎。
かなりアクの強い人物でしたが、坂本龍馬と共に「穏便な政権の形の移行」を模索します。


このまま徳川を
武力で倒すことは可能なのか?



可能だとしても、
大規模な内戦となってしまいます。



その内戦の最中、
欧米列強に植民地にされてしまうかも・・・



それでは、徳川を
倒したところで、意味がない・・・



というよりも
デメリットが大きい・・・



このままでは、
薩長が武力に打って出てしまう・・・



どうするか・・・
幕末切っての切れ者も後藤象二郎といえども、徳川幕府の活路が見出せません。
大政奉還:坂本龍馬の暗躍
ここで、坂本龍馬が思い切った提案をしてきました。



徳川慶喜公が
「自ら政権を返上する」のはいかがでしょうか?



そんなことが、
可能なのか?



「大政奉還」です。



元々は形式上、
「朝廷から、政権をお預かりしている」ので・・・



それを「返上する」
のです。



なるほど・・・



殿。
いかがでしょうか?





大政奉還?
坂本龍馬は、身分制度が非常に厳しかった土佐藩において、下級の「郷士」出身でした。
さらに、一度は土佐藩を脱藩しているので、藩主 山内容堂の覚えは非常に悪いです。
そこで、参政 後藤象二郎は「自分の考え」として、藩主 山内容堂に「大政奉還」を献策しました。



・・・・・
容堂の瞳が光ります。



良いではないか!



これで、徳川の
名脈は保たれる!



やれ!
世に言われる「薩長土肥」の討幕勢力ですが、「薩長」と「土肥」では全く違いました。
「薩長」と「土肥」では、軍事力も格も違います。
そして、何よりも「薩長」と「土肥」では「倒幕に対するテンション」が全く異なりました。



我が
土佐藩は・・・



また
始まったか・・・
土佐藩は関ヶ原の合戦において、わずか6万石から24万石へ徳川家康によって引き上げられました。
山内家は元々は豊臣家側でした。
関ヶ原の合戦で、東軍・徳川家についた豊臣大名の多くは倍増の加増を受けました。
ところが、もともと小さな領土であったこともあり、土佐・山内家は異例の「4倍への加増」となりました。
このことから、土佐藩は累代「保守派」でありました。
「保守派」というより、「徳川幕府ファースト」の姿勢が非常に濃厚だったのです。
徳川慶喜の決意
土佐の実権を握っている山内容堂の「GOサイン」をもらった後藤。



分かりました。



「大政奉還」を
進めます。
本来、陪臣であり「将軍である慶喜に会う」など出来る身分ではない後藤。
剛毅な後藤が珍しく額に汗をかきながら、慶喜に面会します。



慶喜様、
大政奉還が良いかと・・・



さすがに
緊張する・・・
土佐藩参政とはいえ、徳川将軍にとっては「臣下(土佐藩主)の臣下」の身分の後藤。
大いに緊張しながら、徳川慶喜・第十五代将軍に献言します。





大政奉還?
コロコロ態度が変わってしまい、大将としては「頼りない」存在だった徳川慶喜。
実際には、幕末で最も優れた頭脳を持っていました。
すぐに「大政奉還」のメリットを感じました。



それが
良い!
早々に「大政奉還の方針」を決定し、朝廷に願い出ます。



大政奉還
します!
驚愕する薩摩:薩摩と土佐の間の不協和音





なんだ
これは!!
バリバリ武力倒幕するつもりだった薩摩藩は、「土佐藩+徳川幕府」の動きに激怒します。



挑発して、
戦争に持ち込む他なか!
そして、「薩長主導」でと「倒幕から討幕」へと大きく舵が切られました。
その結果、成立した明治新政府。
もともと薩長は仲が非常に悪く、「敵の敵は味方」という考えで薩長同盟に至りました。
さらに、討幕のプロセスで、薩摩と土佐の間には大きな不協和音がガンガン鳴っていました。
薩摩と土佐の間で「薩土盟約」が締結されていたものの、大きな温度差があったのでした。





土佐は
当てにならん!



そうだ!
我が薩摩が討幕を主導するごわす!
薩摩の猛烈なパワーで、武力討幕に成功しました。
そして、新たにできた明治新政府。


岩倉使節団が2年近い「異例の長さ」となった洋行から戻ってきたら、大久保は驚愕します。



なぜ、
土佐の後藤が参議なのだ?



挙げ句の果てに、
肥前の江藤も参議か?
元肥前・佐賀藩士は眼中にない大久保。



土佐や肥前など、
どうでもいいだろう!



なぜ、
勝手にこんなことになっているんだ?
「百聞は一見に如かず」で、「西洋を実際に見る大きな成果があった」岩倉使節団。
ところが、そもそもの最も大事な使命である「条約改正」は完全に失敗しました。



おのれ・・・
国外で失敗し、国内での政治力が目に見えて低下した大久保は、巻き返しを図ります。