明治のかたち 2〜明治新政府と諸外国〜

前回は「明治のかたち 1〜薩長と徳川の思惑〜」の話でした。

岩倉使節団(Wikipedia)

1868年に明治維新を成し遂げ、「新たな世」を生み出すことを目指した明治新政府。

まずは、江戸時代末期に強引に締結させられた欧米各国との「不平等条約の改正」もまた最重要課題でした。

そして、岩倉具視を全権正使、大久保利通を副使とする「岩倉使節団」が、1871年12月に日本を出発したのです。

総勢107名で、2年弱にも及ぶ大旅行でした。

岩倉 具視(Wikipedia)

とにかく、世界を
この目で見るのだ!

そして、不平等条約を
少しでも改正するのだ!

一度は失脚して政界から追放された岩倉。

40前後を蟄居の立場で過ごすものの、謀略の限りを尽くして、幕末に暗躍しました。

大蔵卿 大久保 利通(Wikipedia)

どの国を
模範とすべきか・・・

岩倉使節団は、米国・欧州各国を周り、概ね熱狂的に歓迎されます。

歓迎された理由は、「日本が大歓迎された」というよりも「日本人が珍しかった」ことが大きな理由です。

Japaneseは、
服装が全然違うぞ!

髪型も、
何か変ね。

私たちの国の違いとは、
大きな違いだ。

大歓迎されて、気分を良くした岩倉使節団。

しかし、

条約改正の話をするには、
国家元首の委任状が必要ですが・・・

い、委任状!?

それがないなら、
話になりませんな。

明治天皇(Wikipedia)

しまった・・・・

明治天皇の委任状を忘れた岩倉使節団は、急遽、大久保たちが明治天皇から委任状を受け取りに帰国します。

そして、再度米国を訪問しました。

これらが、「当初よりもはるかに長い大旅行となった」大きな理由です。

委任状があっても、

Japanは、
まだ法整備が整っていない。

条約改正を話すレベルに
達していない。

欧米各国からは、熱烈歓迎されるものの、政府としての扱いは非常に軽かったのです。

やはり、
もっと日本は進まなければ!

一度は、失意に沈んだ大久保等も、米国の最新鋭工場などを見て周り、

日本がアジアで
最強になるのだ!

という決意をします。

Otto Von Bismarckプロイセン王国首相

こんにちは。
Japanの皆さん。

プロイセン(ドイツ)で出迎えた、ビスマルク首相。

訪問する直前には、大国フランスと普仏戦争を戦い、事実上勝利したプロイセン。

皇帝Napoleon III(Wikipedia)

非常に強力なプロイセンに対して、ナポレオン3世率いるフランスは大敗を喫します。

フランスの軍服を着る第十五代将軍 徳川慶喜(Wikipedia)

かつての敵・徳川慶喜はフランスに傾倒して、幕軍はフランス一本にしました。

第十五代将軍・徳川慶喜は、ナポレオン3世からもらった軍服を着て、撮影するほどの仲でした。

ナポレオン3世は、失脚したナポレオン・ボナパルト元皇帝の甥です。

フランス皇帝 Napoléon Bonaparte(Wikipedia)

あの強国フランスを
打ち破ったのか。

政治には帝国主義が
一番良いと考えます。

そして、フランスを
打ち破りました。

「鉄血宰相」と呼ばれたビスマルク首相の話に、大久保は

素晴らしい!

プロイセンに
見習おう!

日本陸軍は、
プロイセンに見習うのが良さそうだ。

こうして、日本が第二次世界大戦で三国軍事同盟を締結するドイツとの親密な仲が始まりました。

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