支持率急落の岸田政権と日本の未来〜現代日本政治の骨格の明治新政府・幕末の薩摩と大英帝国・薩英戦争とジャーディン・マセソンのグラバー・明治新政府の海外諸国への視線・徳川を支援したフランス〜|明治のかたち1・幕末から明治そして現代へ

前回は「リメンバー・パール・ハーバー 19〜日本国内の派閥〜」の話でした。

目次

支持率急落の岸田政権と日本の未来:現代日本政治の骨格・明治新政府

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岸田文雄 総理大臣(Wikipedia)

政務官・副大臣の辞任が続き、岸田政権の中心的政策である「減税路線」もブレてきた岸田首相。

支持率は急落し、

岸田政権の支持率が
30%を割った調査もあるぞ!

という声も出てきました。

岸田首相は
もう保たないのでは・・・

という声も出てきました。

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1945年8月6日広島へ原爆投下(Wikipedia)

1945年5月から3ヶ月ほどの間、日本だけで世界中を敵に回していた第二次世界大戦末期。

東京などへの各地の大空襲に加えて、広島・長崎への原爆投下で日本の敗戦は決定しました。

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Douglas MacArthur連合軍総司令官(Wikipedia)

そして、日本にやってきたのがマッカーサー将軍。

俺がJapan(日本)を
作り変えるぜ!

Japanのこれまでの憲法は全部廃止!
俺たちが一から全部作るぞ!

日本軍と熾烈な戦いを演じたマッカーサー将軍が、「日本の新たな支配者」としてやってきました。

そして、GHQ=米国が短期間で「一から作った」憲法が現行憲法です。

マッカーサー総司令!
Emperor(天皇)はいかがしましょう?!

Emperor(天皇)か・・・
JapanにおけるEmperorは特殊すぎる・・・

まあ、Symbol(象徴)が
妥当だろう!

このようにして始まったのが、「戦後日本の歴史」です。

当時の各政党はGHQやCIAとの交渉もあり、米国が現代日本の政治に与えた影響は甚大です。

とはいえ、現代日本の政治の骨格は明治維新に成立し、それが変形されて残っていると考えるのが正しいでしょう。

そこで、幕末から明治維新にかけて「現代日本のかたちの原型」となる「明治のかたち」を見てゆきたいと思います。

そして、過去の「明治のかたち」から、現代日本が目指すべき「日本のかたち」を模索してゆきます。

幕末の薩摩と大英帝国:薩英戦争とジャーディン・マセソンのグラバー

H.Parkes英国公使(Wikipedia)

幕末において、討幕側に非常に大きな貢献をした英国(大英帝国)。

そのきっかけは、薩摩との関係でした。

生麦事件の報復によって起きた、薩英戦争。

薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

双方で熾烈な殺し合いをしました。

当初、「日本の一公国など楽勝」と読んでいた、当時世界最強の大英帝国。

John Neal駐日代理公使(Wikipedia)

Satsumaの侍は
強いらしいが・・・

我がGreat Britainの
敵ではないだろう。

ところが、日本最強の武士である薩摩藩士は奮戦しました。

激戦の末に、

旗艦ユーライアス号に、
敵の砲弾が命中!

なんと、旗艦ユーライアス号に薩摩藩の砲弾を受けました。

ジョンスリング艦長が!

慌てるキューパー提督。

ジョンスリングは、
無事か!

ジョンスリング艦長と
副長が戦死です!

なんと・・・

おのれ・・・
Satsumaの街を焼け!

この戦いの結果、大英帝国の東洋艦隊で死者13名、負傷者40名ほど出ました。

対する薩摩藩の死者5名、負傷者20名ほど出しました。

艦長が
戦死だと・・・

我が国の方が人的損害が
大きいということか?

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アヘン戦争(Wikipedia)

アジアではアヘン戦争などでやりたい放題だった大英帝国。

はっきり言えば、

Asiaの連中など
猿同然!

「アジアの人々を見下していた」ことは間違いないのが、欧米の基本姿勢でした。

ところが、日本と戦争をした大英帝国は、一気に日本に対する視線を切り替えました。

Japanの連中と
付き合うのも、悪くなさそうだな・・・

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)

大英帝国の力は
良く分かった!

おいどんたちは、
大英帝国と付き合うがよか!

急速に双方が接近します。

大英帝国の
最新の武器を仕入れよう。

そして、英国から大量の最新式銃を輸入することを考えます。

我がGreat Britainは、
Satsumaに武器を売りましょう!

Thomas Blake Glover(グラバー園)

そして、長崎でジャーディン・マセソン商会長崎代理店を経営し、「グラバー商会」を設立したグラバー。

見方によっては「悪魔の商人」とも言える、グラバーが登場しました。

武器の実際の取引は、
私が全て取り仕切りましょう!

グラバーが仲介して、当時、南北戦争が終結して世界中で余っていた武器が、幕末日本に流れ込んできます。

海から世界を制圧した大英帝国からは、薩摩・長州はいくつかの艦船も購入しました。

明治新政府の海外諸国への視線:徳川を支援したフランス

Leon Roches駐日フランス帝国公使

対して、徳川幕府はフランスからの接近を受けました。

Satsuma,ChoshuにGreat Britainが、
加担するなら・・・

我がFrench Empireが、
Tokugawaを応援しますよ。

第十五代将軍 徳川慶喜(Wikipedia)

そうしよう。

急速な近代化を図る徳川幕府は、フランスから武器を仕入れて、全てフランス式を目指します。

フランスの軍服を着る第十五代将軍 徳川慶喜(Wikipedia)

徳川幕府はフランスに傾倒して、大量の資金を投入して、「幕府陸軍のフランス陸軍化」を促進します。

我がFrench Empireは、
世界最強ですよ。

うむ・・・
なるほど・・・

正式な将軍就任は1867年1月10日であるものの、事実上、徳川幕府のボスだった慶喜。

フランスの武器を
大量に仕入れ、フランス軍を模範とする!

そして、薩長を
叩き潰す!

と考えます。

この徳川慶喜の考えは、当時理にかなった考え方でもありました。

フランス皇帝 Napoléon Bonaparte(Wikipedia)

強力なフランス陸軍を率いて、天才的戦略・戦術で欧州を席巻したナポレオン・ボナパルト。

「欧州中がフランスおよび同盟国」となる程の大勢力圏を築き、1804年には皇帝に就任しました。

その後、皇帝となったナポレオンは、ロシアで敗退を続け、失脚します。

それでもなお、幕末の当時においては「60年前に欧州を席巻したフランス帝国」に対する印象は強烈でした。

フランス帝国陸軍は
世界最強!

この徳川の「フランス陸軍の導入」は、少し、というよりも「かなり」タイミングが遅かったのでした。

薩長に
敗北した・・・

その後、討幕派であった薩長は様々な謀略を経て、倒幕を成し遂げます。

徳川幕府を
倒したごわす!

大蔵卿 大久保利通(Wikipedia)

近代化を
推進するのだ!

そして、明治政府内部でも様々な抗争が起きますが、薩摩が中心となります。

西郷と大久保は倒幕後から、「方向性の違い」を認識するも、共に大英帝国を頼った薩摩出身。

海軍は、
大英帝国を模範は決定!

陸軍も、
大英帝国でも良いのだが・・・

大事な軍を、一国に
頼るのは危険だ・・・

陸軍は
どうする?

さらに、当時は「陸軍中心」であり、海軍の立場は遥かに弱い状況でした。

陸軍は、
新政府軍の根幹だ。

我がFrench Empireは、
いかがですか?

フランス帝国も明治新政府に、「フランス陸軍式」を売り込んだに違いない。

確かに、フランス陸軍は強く、
「英仏を模範」はちょうど良い・・・

「フランス式」を導入するのが最善ですが、明治新政府とって「フランス式は鬼門」でもありました。

だが、倒した徳川を
支援したフランスを採用するわけには・・・

岩倉 具視(Wikipedia)

フランスは徳川を
支援したではないか!

徳川幕府が大嫌いな岩倉具視は、

フランスは
絶対ダメだ!

では、米国・オランダ・プロイセン・スペイン
などから選ぶしかないですね。

その後、岩倉使節団が米国・欧州へ出発します。

岩倉使節団(Wikipedia)

不平等条約改正を目指した岩倉使節団の目的は、ほとんど果たせませんでした。

それでも、様々な明治新政府主要人物が、米国や欧州を実際に訪問して、見聞した価値は非常に大きかったのです。

陸軍は、
どの国が良いか・・・

鋭い瞳を光らせながら、岩倉使節団の副使・大久保は考え、悩みながら各国を回ります。

その大久保は、ある国の首脳と運命的な出会いをします。

Otto Von Bismarckプロイセン王国首相
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