島津久光の意気込みと生麦事件〜島津久光と西郷隆盛・生涯揉め続けた二人・薩摩と大英帝国・仰天したアーネスト・サトウ・民間人に斬りかかるSamuraiたち〜|日英の未来と友好11・国際関係・戦略的外交

前回は「英国首相のカラーと影響力〜英国首相と徳川将軍・世界に先駆けて国家元首を選出した大英帝国・米国の南北戦争・Japanへの興味低下と燃えるアーネスト・サトウ青年〜」の話でした。

目次

島津久光と西郷隆盛:生涯揉め続けた二人

薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

幕末日本で最も重要な役割を果たす、「別格の藩」であった薩摩藩。

藩主ではないものの、国父として実権を握っていた島津久光。

私が薩摩
主(あるじ)なのだ!

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

幕末の英雄の中でも、非常に大きな存在であったにも関わらず、悲壮な最後を遂げた西郷隆盛。

西郷は、幕末で最も人気が高い人物です。

その西郷と生涯揉め続けた島津久光。

「揉めた」という生易しい状況ではなく、実態としては「憎み合っていた」に近い間柄です。

西郷は、
大嫌いだ!

お由羅騒動と言い、
久光様は藩を率いる器ではないわ!

西郷!
私に従って仕事をするのか、しないのか?

あなたはジゴロ(田舎者)ですから、
天下に物申すのは無理です!

元々仲が悪かったのに、「主君に刃向かう姿勢」を崩さない西郷に激怒した久光。

もういい!
西郷は消えろ!

西郷を島流しにして「消した」後、久光は勇んで幕府に武力で圧力をかけます。

そして、様々な「幕政改革=政治改革」を呑ませた島津久光は、意気揚々と薩摩へ帰還します。

島津久光の意気込みと生麦事件:薩摩と大英帝国

生麦事件(Wikipedia)

元々「側室の子」であり「藩主でない立場」であった島津久光。

当初、西郷隆盛は島津久光を「全く評価しなかった」ですが、久光は一定の力量を持った人物でした。

「それなりの力」を持っているにもかかわらず、「軽視されている」憤懣を爆発させ、

我が薩摩の
力を見せるのだ!

大勢の藩兵を率いて「武力」で幕閣に物申した久光。

島津久光殿の申すことを
採用しよう・・・

よし!
我が力を見せつけたぞ!

意気揚々と江戸から薩摩へ帰ろうとする久光。

その帰り道に勃発したのが生麦事件でした。

これは、日英双方にとって「タイミングが悪かった」事件でした。

なんと、散歩中の英国人男性3名、女性1名が「悪気がなく」島津藩の大名行列を横切りました。

おい!
島津様の大名行列だぞ!

What!?

日本語が分からない英国人たちは、不思議な顔をして戸惑いました。

久光様!
異人たちが、我が行列に侵入しました!

英国人たちからすれば「侵入した」つもりなど全くなく、「散歩していた」だけでした。

斬れ!!!

ははっ!

そして、散歩中の英国人四名に対して、薩摩藩士が斬りかかったのです。

英国人1名がなくなり、2名が重症、女性1人軽症を負いました。

仰天したアーネスト・サトウ:民間人に斬りかかるSamuraiたち

大英帝国 外交官 Ernest Satow(Wikipedia)

What!?

Japan大好きなアーネスト・サトウもびっくり仰天します。

Japanは、こんなに
無道な国だったのか?

散歩している外国人に「一方的に日本刀で斬り掛かった侍たち」という存在。

民主主義の本場の大英帝国では「考えられない事態」です。

ところが、薩摩藩側からすれば、

大名行列に対して、
下馬しないお前たちが悪い!

だったのです。

将軍後見職 一橋慶喜(Wikipedia)

これが、この「意気揚々と薩摩に帰る」途中でなければ、ここまでの事態にはならなかったかもしれません。

薩摩の力、俺の力を
見せつけた!

様々な交渉の上で、大いに自分の力を顕示した久光。

能力が劣り、難局を乗り切れない将軍家茂を補佐する役として、後の将軍・一橋慶喜を将軍後見職として、力を持たせます。

盟友である松平春嶽を政事総裁職として、「ほぼ久光の思う通り」に改革した久光。

俺は、兄・斉彬より
偉いのだ!

「類まれな名君」と言われ、急死した全藩主であり、兄の島津斉彬と比べ続けられた久光。

第十一代薩摩藩主 島津斉彬(Wikipedia)

その久光にとっては、「初めての江戸」であり「記念すべき大事業を成し遂げた」直後だったのです。

俺は
藩主ではないが・・・

この優れた頭脳と力を持って、
我が国の中心となった!

無位無官で「ただの島津三郎」でしかない、島津久光。

久光は、本来は公式に将軍や他の藩主と同席できる立場ですらありません。

この俺が、
世を変えるのだ!

その俺の行列に対して、
馬で横切るだと・・・

このタイミングで「英国人た横切った」のがマズかったのでした。

・・・・・

タイミングがタイミングだけに、

馬鹿に
しているのか?

と勘繰ってしまったかもしれない久光。

そして、

斬れ!!!

と家臣に命じたのです。

実際に「命じた」のではなく、「暗黙の了解だった」という説もあります。

英国人にとっては、どちらでも実態は同じことです。

まさか・・・

確かに、それぞれの国には
それぞれの風習がある・・・

それには従わねばならぬ時も
あるだろう・・・

若きアーネスト・サトウは、憤ります。

「刀で脅して、下馬させる」など
他の方法もあっただろう・・・

民間人にプロの侍が斬りかかる
とは・・・

大好きなJapanと、
今後うまくやって行けるのだろうか・・・

そして、大いに悩むアーネスト・サトウでした。

幕末に大事件が続発する中、生麦事件は「一つの事件」に過ぎないかもしれません。

ところが、この事件が当時の日本・日本を取り巻く列強に与えた影響は甚大でした。

この意味で、島津久光は「幕末維新を切り開いた人物」の一人と言えるでしょう。

新地球紀行

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