前回は「日英の友好 9〜アーネスト・サトウ登場〜」の話でした。

若きアーネスト・サトウが来日した時、大英帝国を率いていたのはHenry John Temple首相でした。
今年に大混乱して、「一年の間に三人の首相」が誕生した英国。

就任したばかりのスナク首相は、特に英国経済政策での大きな転換・復活が期待されます。
日本で、選挙による首相が誕生したのは1885年で、初代総理大臣は伊藤博文です。

それまでの間は、明治維新による新政権が日本政府を担っており、総理大臣は存在しませんでした。
大英帝国(英国)は、ずっと遥かに先にPrime Minister(首相)が誕生しました。

大英帝国初代首相は、1721年に就任したRobert Walpole首相と言われています。
「言われています」というのは、日本の総理大臣や米国の大統領に、「いつから設置」が明確ではないからです。
民主主義で世界の先頭を走っていた大英帝国。
この大英帝国において、総理大臣の職・役目は「徐々に形成された」のです。
大英帝国の初期には、ホイッグ党(Whig Party、後に分裂)が非常に強力で、7代続けて首相を出しています。

この1721年に日本の首相(将軍)は、第八代将軍・徳川吉宗でした。
「享保の改革」で有名な徳川吉宗。
完全な世襲体制であり、「徳川家・御三家」から国家元首が選ばれていた日本。
徳川将軍の適切な「成り手」がなかなか見つからない事態が起きました。
そして、吉宗の時代に、「御三家に準じる家格」御三卿が追加追加されます。

Japanで、Japaneseを学びながら
大英帝国に尽くす!
という非常に前向きな若者アーネスト・サトウ少年。
しかし、当時の大英帝国にとっては、「Japanに構っていられない」状況でした。


大英帝国から独立する形で成立した米国で、大変な事態が勃発していたのです。
1861年に始まった、米国最大の内戦・南北戦争でした。



我がUnited Kingdomは、
United Statesの事が最優先だ。



Japanなどに
構っていられない。
幕末には、それまで主に付き合っていた中国・オランダに加え、米国・英国・露国などから次々接触あった日本。


様々な国と折衝を続けるも、米国・英国ともに「Japanよりも、南北戦争」となります。



世界中が動乱している。



Japanも、徳川家の
屋台骨が揺れている。



今は、本国はUS中心だ。



ある程度、独自路線が出せる。
本国が「Japanに構っていられない」中、アーネスト・サトウ青年は燃えます。