前回は「アーネスト・サトウ登場〜「極東の知らない国」日本への熱い視線・中央に躍り出た島津久光・西郷隆盛との確執と意気込み〜」の話でした。
英国首相のカラーと影響力

今年に大混乱して、昨年「一年の間に三人の首相」が誕生した英国。
昨年就任したスナク首相には、特に英国経済政策での大きな転換・復活が期待されます。
ロシアによるウクライナ侵攻・ウクライナ戦争において、際立った存在感を放ち続けている英国。(上記リンク)
欧州においても、ウクライナ支援を明確に打ち出し続けている英国。
それだけに、昨年2022年は「大きな変革期を迎え、危機的事態」となった英国。
その英国ですが、若きスナク首相の元、着実に「英国らしいカラー」を世界に印象付けています。
広島で開催したG7においては、日本への配慮を明確に打ち出し、「成熟した英国外交」を見せつけました。
戦前から戦後にかけて、常に世界の中心に位置し、大きな影響力を世界に持っている英国の首相。
幕末においても、「英国(大英帝国)首相の方針」は日本のみならず、世界に大きな影響を与えました。
英国首相と徳川将軍:世界に先駆けて国家元首を選出した大英帝国

若きアーネスト・サトウが来日した時、大英帝国を率いていたのはHenry John Temple首相でした。
日本で選挙による首相が誕生したのは1885年で、初代総理大臣は伊藤博文でした。


私が大日本帝国
初代内閣総理大臣である!
それまでの間は、明治維新による新政権が日本政府を担っており、総理大臣は存在しませんでした。
大英帝国(英国)は、ずっと遥かに前にPrime Minister(首相)が誕生しました。


大英帝国初代首相は、1721年に就任したRobert Walpole首相と言われています。
「言われています」というのは、日本の総理大臣や米国の大統領のように「いつから設置」が明確ではないからです。
民主主義で「世界の先頭を走り続けている」大英帝国・英国。
大英帝国において、民主主義は「急速に作られた」のではなく、徐々に醸成されるように生まれました。
そして、この大英帝国において、総理大臣の職・役目は「徐々に形成された」のです。
大英帝国の初期には、ホイッグ党(Whig Party、後に分裂)が非常に強力で、7代続けて首相を出しています。


この1721年に日本の首相(将軍)は、第八代将軍・徳川吉宗でした。
「享保の改革」で有名な徳川吉宗。
完全な世襲体制であり、「徳川家・御三家」から国家元首が選ばれていた日本。
徳川将軍の適切な「成り手」が、なかなか見つからない事態が起きました。



将軍の後継者がいなくなってしまう事態は、
絶対に避けねばならん!



将軍を出せる「御三家」に適切な男子が
不在の時は、将軍家は断絶してしまう・・・



それを避ける為には、
「御三家に次ぐ」家格として御三卿を新設しよう!
そして、吉宗の時代に、「御三家に準じる家格」御三卿が追加追加されました。
米国の南北戦争:Japanへの興味低下と燃えるアーネスト・サトウ青年





Japanで、Japaneseを学びながら
大英帝国に尽くす!
非常に前向きな若者だったアーネスト・サトウ。
ところが、当時の大英帝国にとっては「Japanに構っていられない」状況でした。
大英帝国から独立する形で成立した米国で、大変な事態が勃発していたのです。





私がUnited Statesの
大内戦を制するのだ!
1861年に始まった、米国最大の内戦・南北戦争でした。
日本では「南北戦争」と呼ばれるCivil Warは、大変大規模な内戦でした。



我がUnited Kingdomは、
United Statesの事が最優先だ。



Japanなどに
構っていられない!



正直なところ、相手するのは
当面、AsiaはChinaまでだろう・・・
幕末には、それまで主に付き合っていた中国・オランダに加え、米国・英国・露国などから次々接触あった日本。
様々な国と折衝を続けるも、米国・英国ともに、



極東のJapanよりも、
United Statesの南北戦争の方が遥かに大事だ!
「アジアや極東に構っていられない」のが現実でした。



世界中が
動乱している。



Japanも、徳川家の
屋台骨が揺れている!



今は、我がGreat Britain本国は、
United States中心だ・・・
アーネスト・サトウが折角日本にきた頃に、肝心の大英帝国の本国政府が、



しばらく、Japanのことは、
対処する余裕がない・・・



というか、そもそも
Japanは対して重要ではない・・・
「日本はどうでも良い」という姿勢になってしまいました。
普通の外交官であれば、



本国政府が、
Japanへの方針を明確にしない・・・



これでは、外交官として、
Japanとの折衝が何もできない・・・
落ち込む人が多いでしょう。
ところが、アーネスト・サトウ青年の発想は真逆でした。



ある程度、
独自路線が出せる。
本国が「Japanに構っていられない」中、アーネスト・サトウ青年は燃えます。
この発想こそが、アーネスト・サトウの真骨頂でした。
次回は上記リンクです。