日英の友好 10〜英国の首相と徳川将軍〜|外交

前回は「日英の友好 9〜アーネスト・サトウ登場〜」の話でした。

Henry John Temple大英帝国首相(Wikipedia)

若きアーネスト・サトウが来日した時、大英帝国を率いていたのはHenry John Temple首相でした。

今年に大混乱して、「一年の間に三人の首相」が誕生した英国。

Rishi Sunak英首相

就任したばかりのスナク首相は、特に英国経済政策での大きな転換・復活が期待されます。

日本で、選挙による首相が誕生したのは1885年で、初代総理大臣は伊藤博文です。

伊藤 博文初代首相(Wikipedia)

それまでの間は、明治維新による新政権が日本政府を担っており、総理大臣は存在しませんでした。

大英帝国(英国)は、ずっと遥かに先にPrime Minister(首相)が誕生しました。

Robert Walpole初代大英帝国首相(Wikipedia)

大英帝国初代首相は、1721年に就任したRobert Walpole首相と言われています。

「言われています」というのは、日本の総理大臣や米国の大統領に、「いつから設置」が明確ではないからです。

民主主義で世界の先頭を走っていた大英帝国。

この大英帝国において、総理大臣の職・役目は「徐々に形成された」のです。

大英帝国の初期には、ホイッグ党(Whig Party、後に分裂)が非常に強力で、7代続けて首相を出しています。

第八代将軍:徳川吉宗(Wikipedia)

この1721年に日本の首相(将軍)は、第八代将軍・徳川吉宗でした。

「享保の改革」で有名な徳川吉宗。

完全な世襲体制であり、「徳川家・御三家」から国家元首が選ばれていた日本。

徳川将軍の適切な「成り手」がなかなか見つからない事態が起きました。

そして、吉宗の時代に、「御三家に準じる家格」御三卿が追加追加されます。

Japanで、Japaneseを学びながら
大英帝国に尽くす!

という非常に前向きな若者アーネスト・サトウ少年。

しかし、当時の大英帝国にとっては、「Japanに構っていられない」状況でした。

Abraham Lincoln米大統領(Wikiepdia)

大英帝国から独立する形で成立した米国で、大変な事態が勃発していたのです。

1861年に始まった、米国最大の内戦・南北戦争でした。

我がUnited Kingdomは、
United Statesの事が最優先だ。

Japanなどに
構っていられない。

幕末には、それまで主に付き合っていた中国・オランダに加え、米国・英国・露国などから次々接触あった日本。

Matthew Perry米提督(Wikipedia)

様々な国と折衝を続けるも、米国・英国ともに「Japanよりも、南北戦争」となります。

世界中が動乱している。

Japanも、徳川家の
屋台骨が揺れている。

今は、本国はUS中心だ。

ある程度、独自路線が出せる。

本国が「Japanに構っていられない」中、アーネスト・サトウ青年は燃えます。

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