日英の友好 9〜アーネスト・サトウ登場〜|外交

前回は「日英の友好 8〜英国と幕府・長州〜」の話でした。

大英帝国 外交官 Ernest Satow(Wikipedia)

相手の国を知るには、相手の国の慣習・歴史・言語などを理解する必要があります。

ここで、登場する英国外交官アーネスト・サトウ。

サトウの名前は「佐藤」と混同しがちですが、元々は佐藤とは無関係です。

1843年生まれのアーネスト・サトウは非常に明晰な頭脳を持ち、若い頃から勉強に励みました。

そして、在学中に日本に関する著作を読み、

Japanは素晴らしい!

Japanに行きたい!

と感じて、日本語の勉強を始めます。

当時、アジアでは清国(中国)の存在が大きく、遠い国・日本に対して大きな関心を持つ西欧人は稀でした。

外務省へ行こう!

もう勉強して、通訳官として英国外務省へ入省します。

19歳の時、1862年に横浜に通訳として来日します。

やっとJapanに来た!

ここで頑張るぞ!

張り切るアーネスト・サトウ。

時は幕末。

あと10年早かったら、サトウの活躍はだいぶ小さなものになったでしょう。

幕末の動乱期の1862年には、英国にとって驚愕の事件が勃発します。

生麦事件(Wikipedia)

生麦事件です。

学校の歴史教育では、割とあっさり語られる生麦事件。

実は、当時の日本の外交を考えるときには、極めて大きな影響を与える事件でした。

薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

薩摩藩主ではないものの「事実上の薩摩藩主」として強権を握っていた島津久光。

この頃、強力な薩摩軍の力を背景に幕府に圧力をかけ続け、様々な提案を幕府に呑ませます。

薩摩の外の世界で、
我が薩摩の力を見せつけよ!

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

この頃、幕末維新の英雄・西郷吉之助(隆盛)は、諸般の士と交際し、名声を上げていました。

と言っても、まだ薩摩藩士の中でも中堅役に過ぎなかった西郷。

私が幕府に物申して、
日本を改革しよう!

と考える久光にとって、「中央とのパイプ」を持つ西郷の協力が必要です。

西郷は、
大嫌いだが・・・

西郷よ、私の力になれ!

あなたは田舎者ごわす。

あんたじゃ、
無理ごわす。

なんだと!

おのれ!

切腹させたいが・・・

今は我慢だ。

まあ、とにかく上京するから、
先発せよ。

分かったごわす。

とにかく、私の命令に従い、
下関で待機せよ!

分かった
ごわす・・・

しかし、下関に到着した西郷は、京都での不穏な動きに対し、

これはマズイ!

おいどんが早く行かねば・・・

久光の命令を無視して、先に上京します。

俺の命令を
無視しただと!

激怒した久光。

西郷はいらん!

島流しにせよ!

西郷は二度目の島流しになりました。

そして、西郷吉之助をいわば「表舞台から消した」久光。

俺の独力で、
幕府に物申して見せよう!

意気揚々と江戸へ向かって、様々な提言を呑ませたのです。

その帰り道に勃発したのが生麦事件でした。

Japanの武士は、
誇り高い。

Japanの女性は
優しい。

日本贔屓になっていたアーネスト・サトウもびっくりの事態が起きようとしていました。

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