前回は「英国と友好深めよう 3〜グラバーの目的〜」の話でした。

ここで薩摩藩はなんと「賠償金を幕府から借りて」払います。
ちゃっかりしているというか、なんというか。
もちろん「借りた金を返すつもりなど毛頭ない」薩摩は、幕府から借りた金を踏み倒します。
そして、ここで英国の最新兵器に改めて着目します。
英国側も「どうやらこの強い連中は、武器に大いに興味がありそうだ。」と。

そして、薩摩藩は琉球の密貿易もあり、多額の借金を抱えているものの、ある程度のお金を持っていそうです。
この頃、薩摩で島流しから復帰した西郷隆盛もまた、英国の最新兵器に大いに興味を持ちます。

この最新兵器を、
日本最強の我が薩摩藩士が使用すれば・・・



国内に敵なし。
ここで、英国と薩摩双方の利害関係が一致します。
グラバーは勇躍したでしょう。
「俺の出番だ!」とグラバーは出てきて、多くの英国の武器弾薬を売るために、薩摩に接近、猛烈に営業活動をかけます。
そして、グラバー商会は、薩摩藩に多数の武器弾薬を売ります。
この武器・弾薬は、幕末・維新期の日本国内の戦場で大活躍することになります。


すでにインドを植民地化し、アヘン戦争・アロー戦争を吹っ掛けた清を叩き潰します。
そして、アジア大陸に着実に手を伸ばしてきた大英帝国。
アメリカ大陸には広大なカナダが植民地としてありました。
その征服地として最後の行き着くところが、英国から見て極東、まさに東の果てにあった日本でした。
当初、英国が日本をどのように見ていたのかは不明です。
日本に対して、攻撃して植民地にするか、交易するか悩んだでしょう。
グラバーが着実に商売を広げていた頃、大英帝国の総領事はオールコックでした。


オールコックが在任している頃は、高杉晋作・伊藤博文等による英国公使館焼き討ち事件が起きています。


危険を感じたオールコックは英国公使館を横浜に移転します。
「物騒な国だ」と、オールコックもグラバーも感じたでしょう。
当時、「英国・米国等の海外との通商に反対し、海外勢力を撃退の上、鎖国を守る」という攘夷が吹き荒れていました。
この攘夷の中心地であった長州藩。
本気で、馬関(下関)に砲台を築きます。
そして、1863年についに米国艦船・フランス艦船を一方的に砲撃したのです。
欧米側から見たら「論外の極み」でした。


欧米の高官からみたら、日本の武士達は「精神異常者の集団」と映ったに違いないでしょう。
そして、グラバーは「この動乱期をどう上手く立ち回るか」思案しながら、道を探ります。