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英国ともっと友好深めよう 5〜攘夷の代償〜|外交

前回は「英国ともっと友好深めよう 4〜薩英戦争と交錯する利害関係〜」の話でした。

長州藩士 久坂 玄瑞(Wikipedia)

1863年に、本当に海外の艦船の一方的砲撃に踏み切った長州藩。

攘夷だ!

不穏な動きを感じ取っていた、英国公使オールコックでした。

Sir Rutherford Alcock英国公使(Wilipedia)

危険とは思っていたが・・・

まさか、本気でやるとは、
思わなかった・・・

これが本音だったでしょう。

「本気で」一線を超えてしまった長州藩に対し、当然のことながら米仏は怒りに震え、反撃してきます。

国際法違反だ!

やられたら、
やり返す!

そもそも国際法上も明確な違反で、「喧嘩を売られた」米仏は艦隊を派遣します。

英国・オランダとも組んで、米英仏とオランダの四カ国艦隊で長州に攻め寄せてきました。

そして、馬関(下関)の砲台を攻撃します。

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米国ワイオミング号の馬関砲台への攻撃(Wilipedia)
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フランス艦船の馬関砲台への攻撃(Wilipedia)

大砲の性能が遥かに劣る長州藩の砲台は、ほとんど破壊されます。

この長州藩最大の危機に対し、幕末最大の風雲児 高杉晋作は非常時の軍隊を創設します。

高杉晋作(国立国会図書館)

兵が足りない・・・

長州藩滅亡の危機だ・・・

新たな軍を作ろう!

「武士でなく、有志の軍隊」という、それまでの日本には存在しなかった軍隊でした。

従来の門閥制度にとらわれず、武士・百姓・町人の有志も参加した「特殊な軍隊」でした。

正規兵ではないから・・・

名称には、「奇」をつけよう。

誕生したのは、当時の日本にとっては、異色尽くめの軍隊でした。

その名は「奇兵隊」。

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