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英国ともっと友好深めよう 6〜英国と薩摩〜|外交

前回は「英国ともっと友好深めよう 5〜攘夷の代償〜」の話でした。

長州藩士 久坂 玄瑞(Wikipedia)

幕末に、藩全体が発狂したように沸騰していた長州藩。

攘夷だ!

長州藩士 高杉 晋作(国立国会図書館)

攘夷だ!

この頃、外国人嫌いの孝明天皇率いる朝廷は、長州藩と非常に良い関係にありました。

孝明天皇(Wikipedia)

長州のやっている「攘夷」は、
とても良い。

外国人を、
日本に入れるな。

孝明天皇は、それまでの天皇とは異なり、「意志を明確にする」天皇でした。

それはまた、徳川幕府の勢いが「明確に落ちていた」ことにもよります。

列強から侵略の手が伸びてきている中、「列強国と、どう向き合うか」で日本は混乱を続けます。

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

我が薩摩は、
大英帝国と戦争したが・・・

その後は、仲良くして、
貿易をしている。

戦国期から、貿易が盛んだった薩摩藩。

当時の「日本の南端」にあった薩摩藩は、逆の見方をすれば、「最も世界に近い」国でした。

そして、薩摩藩内に多数の港を持ち、琉球などの島を従えて、中国などと積極的に貿易してきました。

貿易は、非常に利益が出る。

「貿易の旨味」を、最も知っている藩でした。

長州の言いなりになっている
朝廷。

我が薩摩藩にとっては、
邪魔だ。

「攘夷、攘夷」と言っているが、
外国とは、うまく付き合うべきだ。

朝廷の「長州カラー」は、
消さなければ!

そして、薩摩藩の西郷隆盛たちは、幕府側の会津藩と手を組みます。

薩摩は、
「薩摩ファースト」なのだ。

長州派公家七卿落ち(Wikipedia)

そして、長州派の公家七名を、京から追い出してしまいます。

これに激怒した長州藩。

京都へ攻め込む!

後に長州総帥となる桂小五郎(木戸孝允)は、猛反対します。

長州藩士 桂 小五郎(木戸 孝允)(Wikipedia)

やめとけ。

勝ち目はない。

やるしかない!

ついには、京都に侵攻するという「禁門の変」を起こしました。

禁門の変(Wikipedia)

長州を叩き潰せ!

西郷率いる薩摩兵に阻まれ、長州軍は敗退します。

無念だ・・・

久坂玄瑞は、責任取って自害します。

そして、幕府はついにキレてしまいます。

いい加減にしろ!

遂に幕府から長州征討がくだされました。

この中、大英帝国の商人グラバーは、ビジネスチャンスを狙っていました。

Thomas Blake Glover(グラバー園)
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