日英の友好 7〜英国と幕府・長州〜|外交

前回は「英国と友好深めよう 6〜英国と薩摩〜」の話でした。

禁裏御守衛総督 徳川慶喜(Wikipedia)

後に「最後の将軍」となる徳川慶喜。

もともと、朝廷崇拝の影響が強い水戸藩出身の慶喜は、当時は「禁裏御守衛総督」となり、朝廷を守っていました。

禁裏に攻めこむ、という
大罪を犯した長州・・・

絶対に許せん!

幕府の力で長州を
潰すのだ!

幕府の権限が弱っていたとはいえ、まだまだ日本政府であった徳川幕府。

35藩に指令を下し、15万以上の軍隊が長州へ攻め込む準備を進めます。

孝明天皇(Wikipedia)

公武合体を進める孝明天皇。

長州を倒せ!

孝明天皇は、「長州征討の勅命」を幕府に下します。

1864年当時の長州藩は、

幕府には勝てない!

降伏しよう!

という勢力が強く、戦わずして降伏します。

禁門の変の影響もあり、桂小五郎(木戸)や高杉晋作は追いやられていたのです。

長州藩士 桂 小五郎(木戸 孝允)(Wikipedia)

長州は、禁門の変の責任をとって、三人の家老が切腹し、他にも様々な条件を呑まされます。

なんとか、長州は存続したものの・・・

この時、「幕府側」の立場で、長州の処分を決める主導役だったのが、薩摩の西郷でした。

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

長州は子供っぽいが・・・

新しい世を作るには、
必要だ。

薩摩藩の主導もあり、長州藩に対しては、比較的穏当な処分となります。

我が徳川幕府に逆らった
長州・・・

この程度の処分で良いのか?

Thomas Blake Glover(グラバー園)

この頃、薩摩は長年の密貿易などによる莫大な収入と、藩政改革によって得た金がありました。

それらの金で、大英帝国との取引を拡大していました。

大英帝国の先進技術や
武器をください!

どんどん、武器を
売りましょう。

Sir Rutherford Alcock英国公使(Wilipedia)

どうも、Japanの国内の
政治状況は不安定だな。

内乱・・・ですか?

うむ。
近々、徳川と反徳川で武力衝突が起きそうだ。

米国は、
南北戦争で手一杯ですね。

幕末、ペリー・ハリスなどが次々とやってきて、日本と次々と条約を結んだ米国。

この頃は、南北戦争が勃発して、自国のことで手一杯だったのです。

我が大英帝国にとって、
チャンスですね。

大英帝国は官民あげて、新興国だった日本と「どう付き合うか?」を考えます。

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