「大人しい現代日本人」と「過激派集団・長州」〜表舞台へ出る徳川慶喜と長州征討・薩摩の思惑と「将来への布石」を練り続けた大英帝国〜|日英の未来と友好7・国際関係・戦略的外交

前回は「暴発し続ける長州藩と米英仏蘭〜「向こう見ず」な長州藩と「打算的」な薩摩藩・長州の若き志士たちの葛藤・禁門の変・激怒した長州の「打算なき」戦い〜」の話でした。

目次

「大人しい現代日本人」と「過激派集団・長州」

左上から時計回りに、岸田文雄首相、Joe Biden米大統領、Olaf Scholz独首相、Rishi Sunak英首相(Wikipedia)

国際社会において、「影が薄い」日本。

戦後、世界情勢において「日本が大きな話題」となったのは、「あまりない」のが実情でしょう。

日本が猛烈な勢いで経済力を伸ばし続けた1970年〜1990年ごろの20年間。

英国人A

なぜ、Japanは
こんなにマネーを持っているんだ?

フランス人B

Japanの異常な経済成長の
理由は一体何なんだ?

この「日本が輝きを放っていた」時代に、「やるべきことをし損ねた」のが日本でした。

経済力・科学技術力で大きな存在感を放っていた時に、「本来やるべきことが沢山あった」のでした。

本来ならば、この時期に政治・外交でも「打って出る」のがベストでした。

リクルート事件に関与した政治家:中曽根康弘 元総理大臣、竹下登 総理大臣、渡辺美智雄 政調会長宮澤喜一 副総理・蔵相(Wikipedia)

バブル景気の真っ只中に発生したリクルート事件にしても、非常に低レベルな事件でした。

この「超強力なJapan」の時に、ソ連(ロシア)と北方領土問題の駆け引きをすべきだった日本。

実際には「多少の裏工作」はしたでしょうが、「ほとんど何もしないで終わった」のでした。

英国人A

Japaneseは
大人しいからな・・・

海外からは「大人しい」と思われている日本人。

禁門の変(Wikipedia)

ところが、幕末の頃の日本人は「全然大人しい雰囲気」ではなかったのでした。

現代日本人から見ると、禁門の変の頃の長州藩(長州人)は、「同じ日本人」とは思えぬ人種でした。

表舞台へ出る徳川慶喜と長州征討

禁裏御守衛総督 徳川慶喜(Wikipedia)

後に「最後の将軍」となる徳川慶喜。

もともと、朝廷崇拝の影響が強い水戸藩出身の慶喜は、当時は「禁裏御守衛総督」でした。

そして、「朝廷を守る重大な役目」を担っていた慶喜。

徳川慶喜

禁裏に攻めこむ、という
大罪を犯した長州・・・

徳川慶喜

絶対に
許せん!

徳川慶喜

幕府の力で長州を
潰すのだ!

徳川慶喜

よしっ!
長州征討だ!

幕府の権限が弱っていたとはいえ、まだまだ「バリバリの日本政府」であった徳川幕府。

徳川第十四代将軍 徳川家茂(Wikipedia)

35藩に指令を下して長州への出陣を命じます。

徳川家茂

長州征討だ!
長州を潰せ!

そして、15万以上の軍隊が長州へ攻め込む準備を進めました。

孝明天皇(Wikipedia)

公武合体を進める孝明天皇。

孝明天皇

そうだ!
長州を倒せ!

孝明天皇は、「長州征討の勅命」を幕府に下します。

日本政府である徳川幕府と、日本の精神の象徴である天皇・朝廷が組んで、「長州征討」となりました。

迎え撃つ長州藩としては、どうにもならない状況です。

1864年当時の長州藩は、

長州軍

幕府には
勝てない!

長州軍

やむを得ん!
降伏しよう!

「戦っても敗北する」と考えた勢力が強く、戦わずして降伏します。

薩摩の思惑と「将来への布石」を練り続けた大英帝国

長州藩士 桂小五郎(木戸孝允)(Wikipedia)

禁門の変の影響もあり、桂小五郎(木戸)や高杉晋作は追いやられていたのです。

長州は禁門の変の責任を取らされ、三人の家老が切腹し、他にも様々な条件を呑まされます。

木戸孝允

なんとか、長州は
存続したものの・・・

長州藩士 高杉晋作(国立国会図書館)
高杉晋作

久坂が
死んでしまったが・・・

高杉晋作

我らの手で
長州を再興して見せよう!

ところが、徳川幕府内では、

徳川慶喜

長州は潰してしまった方が
良い!

徳川幕府老中

石高を大きく削減して、
力を削いでしまえ!

「長州は潰すべき」という声も強く、「崖っぷちに立っている状況」となった長州藩。

この時、「幕府側」の立場で、長州の処分を決める主導役だったのが、薩摩の西郷でした。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)
西郷隆盛

長州は
ガキっぽいが・・・

西郷隆盛

新しい世を作るには、
必要かもしれん・・・

薩摩藩の主導もあり、長州藩に対しては、比較的穏当な処分となります。

徳川慶喜

我が徳川幕府に逆らった
長州・・・

徳川慶喜

この程度の処分で
良いのか?

Thomas Blake Glover(グラバー園)

この頃、薩摩は長年の密貿易などによる莫大な収入と、藩政改革によって得た金がありました。

それらの金で、大英帝国との取引を拡大していました。

西郷隆盛

大英帝国の先進技術や
武器をください!

Glover

OK!
Satsumaは上客だから・・・

Glover

どんどん、武器を
売りましょう!

Sir Rutherford Alcock英国公使(Wilipedia)
Alcock

どうも、Japanの国内の
政治状況は不安定だな・・・

Glover

内乱・・・
ですか?

Alcock

うむ・・・
近々、徳川と反徳川で武力衝突が起きそうだ・・・

Glover

米国は、
南北戦争で手一杯ですね。

幕末、ペリー・ハリスなどが次々とやってきて、日本と次々と条約を結んだ米国。

この頃は、南北戦争が勃発して、自国のことで手一杯だったのです。

Glover

我がGreat Britainにとって、
チャンスですな!

大英帝国は官民あげて、新興国だった日本と「どう付き合うのがベストか」を考えました。

まさに「将来への布石」を練り続けていた大英帝国。

対して、「将来への布石」が「全く見えない」状況であり、「本当にない」現代日本。

当時の大英帝国の戦略から学ぶべきでしょう。

そして、現代の英国と顕密な関係を持つことこそ、日本の有益な「将来への布石」でしょう。

次回は上記リンクです。

新地球紀行

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