現代日英関係と欧州における英国〜グラバーの目的・グラバーと薩摩・貿易禁止と密貿易・生麦事件・英国の日本への視線・薩英戦争・意外な薩摩藩の強硬姿勢〜|日英の未来と友好3・国際関係・戦略的外交

前回は「現代の日英関係と岸田首相の外交への視点〜史上最大の領土有した大英帝国・米国と日本・日米和親条約・日米修好通商条約・大英帝国と日本・ジャーディンマセソン商会〜」の話でした。

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現代日英関係と欧州における英国

左上から時計回りに、Rishi Sunak英首相、Olaf Scholz独首相、岸田首相、Emmanuel Macron仏大統領(Wikipedia)

日本の歴史において、欧州の中では抜群に関係が深い英国。

G7の際には、日英で様々な分野で合意を果たし、対英投資の促進が約束されました。

「投資」の観点から考えれんば、「日本から英国へ」の金額の方が「英国から日本へ」の金額より多いようです。

30年以上に及び停滞し続けている日本ですが、まだ経済力は世界第三位です。

その「世界第三位の経済力」を有効活用するには、「経済力では上」の日本が、英国に投資するのは自然な流れです。

英国にとっては、現在EU域外では、米国・中国・スイスなどに続いて第五位の日本。

もっともっと、日英で貿易などを進めてゆくのが良いと考えます。

日本の対英国貿易(外務省)

ところが、外務省の発表によると、対英輸出・輸入共に、ここ10年大きな進展がありません。

そもそも、ここ20年ほどの間「進展がある分野」が少ない日本。

まだ強い経済力を有する状況を活かすには、英国のような国との貿易・投資を進めるのが最上でしょう。

具体的には、英国にとって「EU域外で米国・中国に次ぐ第三位」のポジションを目指すべき日本。

グラバーの目的

Thomas Blake Glover(グラバー園)

その英国は大英帝国と呼ばれていた幕末、日本に次々と接触を試みました。

当時、世界でぶっちぎりの経済力を有していたのは清国、当時の中国でした。

アヘン戦争(Wikipedia)

その中国との間で、大英帝国は戦争を吹っかける形で戦い、圧勝を収めます。

当時、世界最強国であった大英帝国。

1921年の大英帝国の版図(Wikipedia)

上の地図は、幕末の50年ほど後ですが、幕末の頃も、似たような規模であり世界中に領土を有していました。

その世界最強である源泉は、いち早く産業革命を起こし、科学技術などの分野において最先端であったことでした。

そして、膨大な植民地から上がる収益こそが、「大英帝国の力の源」だったのでした。

長崎にグラバー商会を開いたグラバーの最大の目的。

それは、最新鋭の武器を当時後進国で、そこそこの財力のあった日本に売りつけることでした。

Japanは、富裕な国家ではないが、
それなりの経済力がある・・・

Samuraiは危険なので、要注意だが、
武器のニーズが大きそうだ・・・

こう睨んだ若きグラバー。

来日した時は、まだ21歳であり、野心あふれる青年でした。

そして、グラバーは着実に商売を広めてゆきます。

グラバーと薩摩:貿易禁止と密貿易

徳川第十四代将軍:徳川家茂(Wikipedia)

当時は徳川幕府が、諸藩が独自に貿易することを禁じていたので、幕府相手の商売が多かったでしょう。

同じ九州で時代の最先端を行くことを望んでいた薩摩藩・肥前鍋島藩がいました。

「対外貿易を禁じられていた」諸藩でしたが、江戸から遠い九州は、幕府の目も行き届きませんでした。

さらに、長年、堂々と密貿易をし続けていた薩摩藩。

それらの藩は、グラバーから、武器弾薬を含む様々な商品を購入していたことでしょう。

幕府から、貿易を禁じられているのだが、
お金ならあるんだ・・・

ぜひ、武器を売って
いただきたい・・・

OK!
武器はどんどん売りましょう!

エゲレス(英国)の商人は
話がわかるな・・・

日本政府である徳川幕府の
命令に背くのはリスクが大きいが・・・

リスクは取らねば、
ビジネスは発展しない!

こう考えた根っからのビジネスマンであったグラバー。

まだ20代の若き青年でしたが、「将来成功すること間違いなし」の超有力株でした。

生麦事件:英国の日本への視線

生麦事件(Wikipedia)

英国の威信をかけ英国とグラバー自身のため、商売を精力的に広めるグラバーが驚く事件が起きます。

1862年の生麦事件です。

なんと、薩摩藩の事実上のボスである島津久光の行列を「通りかかった」だけでした。

通りかかっただけの英国人4名(女性を含む)に薩摩藩士が斬りかかったのです。

なんだって!!!

白昼に白刃が飛び交う驚きの状況に、グラバーは声も出ないほど、驚愕したでしょう。

そして、英国人1名がなくなり、2名が重症、女性1人軽症を追います。

いや、
これは流石に・・・

あまりのことに、言葉も出ないほどの怒りを感じた英国本政府。

ふざけるな!
散歩している民間人に斬りかかるとは!

しかも、そのうち一人は、
若き女性だ!

女性に対して、日本刀で斬りかかるとは、
一体どうなっているんだ!

相応の賠償金と
犯人引き渡しを強く求める!

怒り心頭の大英帝国は、幕府と薩摩藩に対し、巨額の賠償金と犯人引き渡しを求めます。

英国からすると

なんという
野蛮な後進国であろうか!

と信じられない思いもあったでしょう。

薩英戦争:意外な薩摩藩の強硬姿勢

薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

生麦事件発生の1862年の22年前の1840年に、清国にアヘン戦争を吹っかけた大英帝国。

アヘン戦争に止まらず、第二次アヘン戦争(アロー戦争)まで吹っかけ、清国から多額の賠償金を得ました。

さらに、清国から領土の租借までした、世界最強国の大英帝国。

JapanはChinaの弟分的
国家と聞く・・・

Chinaがあんなに弱腰で、
実際弱かったんだ・・・

Japanなぞ、恫喝すれば
一発よ・・・

内心こう考え、日本は馬鹿にしてみくびっていた大英帝国。

ところが、

なに?
エゲレス(大英帝国)が文句言っているだと・・・

何言って
いるんだ?

我が藩の行列を通りかかった、
無礼なお前たち(英国人)が悪い!

薩摩藩は、大英帝国の要求を即座に突っぱねてきました。

えっ・・・・・

完全に「想定外の対応」を薩摩にされた、大英帝国。

Tokugawaならまだしも、Japanの一公国に過ぎぬ
Satsumaが、我がGreat Britainの要求を突っぱねた、だと・・・

薩摩藩の回答に、びっくり仰天した大英帝国。

メンツ丸潰れの大英帝国は、

これは、戦争して
Satsumaを懲らしめてやろう!

と奮起して、翌1863年に英東洋艦隊を薩摩に送ります。

当時の薩摩藩は日本最強の藩であり、武器も比較的新しく大砲もたくさん備えておりました。

大英帝国よりは、性能面ではるかに劣ります。

東洋艦隊を送り込めば、
Satsumaごとき相手は、すぐに全滅できる!

と考えた大英帝国。

すぐに音をあげて、
賠償金を払ってくるだろう・・・

開戦し、薩摩藩の砲台は全滅となりますが、薩摩側も奮戦します。

なんと旗艦ユーリアラス号が砲撃を受け、艦長のジョスリン大佐が戦死します。

薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

Satsumaなんか、
楽勝だろう・・・

と思っていた大英帝国は焦り、英国艦隊も弾薬が不足したこともあり、仕方なく退却します。

さらに、死者は薩摩藩5名に対して、英国は13名と倍以上の犠牲者が出たのです。

英国側からすると、全くの想定外の事態でした。

一体なんなんだ・・・

Satsumaは
日本の一つの公国だろう・・・

なぜ、その一公国が
Chinaより強いのだ・・・

遠い極東の地での戦争であり、大英帝国にとっては、一艦隊に過ぎない存在だった英東洋艦隊。

とはいえ、当時世界最大の帝国をたった一藩で相手し、撃退した薩摩藩は世界にその名を轟かせます。

新地球紀行

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