現代の日英関係と岸田首相の外交への視点〜史上最大の領土有した大英帝国・米国と日本・日米和親条約・日米修好通商条約・大英帝国と日本・ジャーディンマセソン商会〜|日英の未来と友好2・国際関係・戦略的外交

前回は「英国と友好を深める大いなるメリット〜日本の米国中心の世界観・日本と英国の歴史・明治維新から日英同盟〜」の話でした。

目次

現代の日英関係:岸田首相の外交への視点

左上から時計回りに、岸田文雄首相、Joe Biden米大統領、Olaf Scholz独首相、Rishi Sunak英首相(Wikipedia)

首相補佐官任命を強行した「岸田文雄首相の長男」の度重なる不祥事。

最終的には「岸田文雄首相の長男」更迭で幕を引いたものの、岸田内閣の支持率は急落しています。

これは、どう考えても岸田首相の失政でした。

よりによって、大した能力もない「長男」を勝手に首相補佐官に任命した岸田首相。

本来ならば、「辞任すべき」事態でしょう。

一方で、G7では一定の成果を上げた岸田首相。

平和記念公園行事: 広島平和記念公園(SUMMIT PHOTO2023)

G7では、岸田首相はG7首脳以外にも、様々な首脳を招待しました。

それに対して、スナク首相は、

議長を務めた岸田氏が、ゼレンスキー氏と
グローバル・サウスの首脳たちを・・・

JapanのG7に招待したことに関し、
「多大な称賛」を贈る!

「外交儀礼」の要素は大きいでしょうが、ハッキリと岸田首相を称賛しました。

最近、良好な関係にある日英関係において、さらなる投資の拡大、半導体技術の協力などが決定しました。

表にはあまり出ていないものの、防衛・軍事に関する協力を拡大化してゆく方向が強く現れています。

どうしても「米国中心の外交」となってしまう日本政府の外交姿勢。

それは、第二次世界大戦での敗戦・GHQ(米軍)による占領・日米安保の歴史を考えると、やむ得ない面もあります。

その日本にとって、「米国の次に大事な国家」としては、中国・韓国などアジアの国々が、まず候補に上がります。

アジアという地域にいる日本としては、「アジアの国々との関係」を重視するのは当然ですが、やはり英国が大事です。

欧州において、その影響力・存在感を高めつつある英国。

欧州といえば、ドイツ・フランス・イタリア等もあります。

左上から時計回りに、 Adolf Hitler独総統、Winston Churchill英首相、Mussolini Biografia伊首相、東條英機首相(Wikipedia)

一方で、第二次世界大戦で独伊と共に「枢軸国」として、米英中心の連合国と死闘を繰り広げた日本。

さらに、

Mussolini首相は
素晴らしい!

という超極右とされるMeloni伊首相が誕生した以上、独伊との特段の協調は、推進しない方が良いでしょう。

フランスも良いですが、日本の対外的歴史・国民性を考慮しても、やはり英国を最優先とすべきでしょう。

史上最大の領土有した大英帝国

1921年の大英帝国の版図(Wikipedia)

かつては大英帝国として世界一の帝国あった英国。

これまでの歴史の中で、大規模な領土を持った帝国としてはモンゴル帝国、ロシア帝国、スペインなどがあります。

大英帝国は、「史上最も広大な領土」を誇ります。

文字通り「世界中に領土を持っていた」国で、第二次世界大戦直前に最も広大な領土を持ちました。

「領土が広いから凄い」というわけではありません。

100年程前という近い過去に、これだけの世界一の帝国であったことは大きな事実であります。

そして今、英国はEUから離脱し、独自の道を歩きます。

EU統合前後には、プライドが高く、経済力が最強のドイツですらEuroへの通貨統合に応じました。

それに対し、英国は独自通貨Poundを堅持しました。

自国の通貨をあくまで守り抜く姿勢に、史上最高の帝国を築き上げた英国ならではのプライドが垣間見得ます。

我が英国のPoundは、
Euroとは別!

日本と英国は貿易協定をはじめとして、協調関係を大きく推進しています。

歴史的にも関係が深い英国とは、さらに一歩踏み込み、大いなる協力関係を築き上げるのが良いでしょう。

「お互いなくてはならない関係」まで、発展させるのが最良だと考えます。

米国と日本:日米和親条約・日米修好通商条約

Matthew Perry米提督(Wikipedia)

米国・英国と日本の歴史を、少し振り返ってみましょう。

幕末の歴史では、なんといっても米国中心に語られる傾向があります。

江戸時代、日本にとって西欧とは基本的にオランダで、長崎・出島を通じてオランダとは通商関係を長く持っていました。

幕末に入り、1853年に米国からペリーが軍艦を率いて日本にやってきて、日米和親条約を強引に結ばされました。

Hello!
Japanの皆さん!

我がUnited Statesと
条約結びましょう!

あまりの事態に、びっくり仰天した幕府は、なんとか「先延ばし」を図ります。

あの・・・
まだ対外関係は、あまり条約とか結んでないので・・・

今の日本政府と同じように「棚上げ」しようとした幕府。

来年、もう一回
来ていただけますか?

内心、

メリケン(米国)は遠いから、
もう一度来るのは、大変だろう・・・

もう一度来なければ、
「なかった」ことに・・・

と考えていた幕府担当者。

ところが、翌1854年に、

Hello!
また来ましたよ!

本当に来た・・・

我がUnited Statesと
条約結ばないと、砲撃するよ!

分かりました。
条約結びましょう・・・

そして続いて、1858年にはさらにハリスがやってきます。

Townsend Harris駐日米大使(Wikipedia)

Hello!
Japanの皆さん!

また、誰か
来たよ・・・

もっと踏み込んだ
条約を結びましょう!

関税自主権も治外法権もない「不平等条約」である日米修好通商条約を結ばされます。

Perry、Harris、いずれもいかにも強引そうな顔つきをしています。

幕末のこの事件とも言える出来事は、大きく取り上げられており「幕末の対外関係=米国」のようにすら感じられます。

その後、維新前後の動乱の時期、日本における米国の影は急速に薄くなります。

その大きな理由は、1861年から1865年にかけて勃発した南北戦争でした。

太平洋において、ハワイを植民地化し、広い海をずっと渡ってきた米国。

米国は日本を足掛かりに、アジアへ大きく勢力を伸ばそうとしていました。

その矢先、南北戦争が始まり、米国は日本どころではなくなってしまいます。

自国内で極めて大きな内戦が勃発してしまい、

我が国のCivil Warが
激戦すぎて・・・

AsiaやJapanのことは、
とりあえず、どうでも良い・・・

状況となりました。

大英帝国と日本:ジャーディン・マセソン商会

Thomas Blake Glover(グラバー園)

この前後、上海でジャーディン・マセソン商会に勤務していたグラバーが、1859年に長崎にやってきます。

ここが
Japanか・・・

まだ21歳の若者だったグラバー。

よし!
Japanで商売を始めよう!

そして、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を開きます。

目的は貿易によって様々な商品を扱うことでしたが、最も大きな商品は武器弾薬でした。

Japanでは、武器弾薬の
ニーズが多そうだ・・・

まだ、日本刀が主流であり、島津薩摩藩や肥前鍋島藩などのごく一部の藩を除き、武器の近代化に遅れをとっていました。

加えて、「それなりの国富もあった」日本。

商売するには、
良さそうだ・・・

武器弾薬を売る相手として、最も都合の良い相手国の一つだったのです。

新地球紀行

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