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英国ともっと友好深めよう 2〜幕末からの日英関係〜|外交

前回は「英国ともっと友好深めよう 1」の話でした。

かつては大英帝国として世界一の帝国あった英国。

これまでの歴史の中で、大規模な領土を持った帝国としてはモンゴル帝国、ロシア帝国、スペインなどがあります。

大英帝国は、史上最も広大な領土を誇ります。

文字通り「世界中に領土を持っていた」国で、第二次世界大戦直前に最も広大が領土を持ちました。

「領土が広いから凄い」というわけではありません。

まだ100年経過していない近い過去に、これだけの世界一の帝国であったことは大きな事実であります。

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British Empire 1921(Wkipedia)

そして今、英国はEUから離脱し、独自の道を歩きます。

EU統合前後には、プライドが高く、経済力が最強のドイツですらEuroへの通貨統合に応じました。

それに対し、英国は独自通貨Poundを堅持しました。

自国の通貨をあくまで守り抜く姿勢に、史上最高の帝国を築き上げた英国ならではのプライドが垣間見得ます。

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日本と英国は貿易協定をはじめとして、協調関係を大きく推進しています。

歴史的にも関係が深い英国とは、さらに一歩踏み込み、大いなる協力関係を築き上げるのが良いでしょう。

「お互いなくてはならない関係」まで発展させるのが最良だと僕は考えます。

英国と日本の歴史を少し振り返ってみましょう。

江戸時代、日本にとって西欧とは基本的にオランダで、長崎・出島を通じてオランダとは通商関係を長く持っていました。

幕末に入り、1853年に米国からペリーが軍艦を率いて日本にやってきて、日米和親条約を強引に結ばされました。

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Matthew Perry(Wikipedia)

そして続いて、1858年にはさらにハリスがやってきます。

関税自主権も治外法権もない「不平等条約」である日米修好通商条約を結ばされます。

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Townsend Harris(Wikipedia)

Perry、Harris、いずれもいかにも強引そうな顔つきをしています。

幕末のこの事件とも言える出来事は、大きく取り上げられており「幕末の対外関係=米国」のようにすら感じられます。

その後、維新前後の動乱の時期、日本における米国の影は急速に薄くなります。

その大きな理由は、1861年から1865年にかけて勃発した南北戦争でした。

太平洋において、ハワイを植民地化し、広い海をずっと渡ってきた米国。

米国は日本を足掛かりに、アジアへ大きく勢力を伸ばそうとしていました。

その矢先、南北戦争が始まり、米国は日本どころではなくなってしまいます。

自国内で極めて大きな内戦が勃発してしまい、「アジアや日本など、どうでもよい」状況となりました。

この前後、上海でジャーディン・マセソン商会に勤務していたグラバーが、1859年に長崎にやってきます。

そして、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を開きます。

目的は貿易によって様々な商品を扱うことでしたが、最も大きな商品は武器弾薬でした。

まだ、日本刀が主流であり、島津薩摩藩や肥前鍋島藩などのごく一部の藩を除き、武器の近代化に遅れをとっていました。

そこに、それなりの国富もある日本は、武器弾薬を売る相手として、最も都合の良い相手国の一つだったのです。

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Thomas Blake Glover(グラバー園)
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