前回は「太平洋の未来 4〜中国・台湾と世界・不安な日本の情報力・フランス・米国〜」の話でした。
日本のG7外交戦略の成果:招待国
2023年のG7は、日本が議長国となり広島で開催、閉幕しました。
このG7にゼレンスキー大統領を招待するのは当然としても、「日本らしからぬ」積極性を出しました。
それは、国連や世界銀行などの国際機関以外に多数の招待国を招待したことです。
具体的には、上の表の「招待国」を「招待」しました。
世界政治のおいて、いつも影が薄い日本の存在感。
それは、第二次世界大戦で枢軸国側として敗北したことが最も大きな理由です。
さらに、ナチス・ドイツが1945年5月に降伏してから、3ヶ月ほど「日本のみで世界を相手に戦った」という歴史。
この歴史が、日本政府・日本国民に非常に大きな重石として、ずっとのしかかっています。
さらに、一時は「アジア全域を占領した」日本(大日本帝国)。
第二次世界大戦後は、
Japanは、
国際政治の表舞台から引っ込んでなさい!
と欧米諸国に言われ続けた日本。
一時はバブル景気の勢いもあり、1970〜80年代は、世界をアッと言わせたものの、バブル崩壊でその地位は崩れました。
そして、再度、
Japanは、
Moneyだけ出してくれればOK!
あとは、
我々欧米に任せて、隣でニコニコしてなさい!
という立場になってしまった日本。
そして、欧米中心主義の中、ただ一つのアジアの国としてG7の一員であり続けています。
G7の形成の歴史
G7を作るきっかけは、1973年のオイルショックでした。
このオイルショックで世界大不況となったことに危機感を持った米国。
まずは、古くからの友人である英仏に声をかけて、
一緒に、
首脳会議を形成して、こういう事態に備えよう!
と米国が音頭をとる中、英仏からは、
敗戦国であるが、
West Germanyも入れよう!
となり、米英独仏の四カ国でG4が形成されました。
その後、翌年までに日本・イタリア・カナダが加わり、G7が形成されました。
G4 | 米英独仏(ドイツは西ドイツ) |
G5 | 米英独仏日(ドイツは西ドイツ) |
G6 | 米英独仏日伊(ドイツは西ドイツ) |
G7 | 米英独仏日伊加(ドイツは西ドイツ) |
そして、曲がりなりにも「5番目」に入り、その後「世界第二の経済大国」に上り詰めた日本。
一方で、その政治的影響力は非常に限定されていて、「お客さま」的扱いであったことは否めません。
第二次世界大戦とG7
第二次世界大戦末期、米国から東京大空襲などで日本全国を焦土にされました。
最後に、米国に二度も原爆を落とされ、無条件降伏した日本。
そして、ついにその広島で、日本が議長国となりG7が開催されました。
バイデン米大統領は、「原爆投下を謝る」ことには勿論なりませんが、首脳揃って献花をしました。
これは、ゼレンスキー大統領が参加して、
広島が復興したように、
ウクライナも復興する!
と宣言することに併せての行為であるものの、米国にも献花させるのは、高いハードルがあったでしょう。
「献花する」のは、単に「亡くなった方にお悔やみ申し上げる」行為かもしれませんが、その原因を作った米国。
その大統領に、「しっかり献花してもらう」のは、多大な努力があったでしょう。
この点においても、岸田首相の外交力は大成功であったと言えるでしょう。
スナク英首相との連携
最近、関係が非常に強化されてきており、とても良い状況の日英関係。
スナク首相は、
議長を務めた岸田氏が、ゼレンスキー氏と
グローバル・サウスの首脳たちを・・・
JapanのG7に招待したことに関し、
「多大な称賛」を贈る!
とハッキリ言いました。
1957年生まれの岸田首相に対して、1980年生まれのスナク首相。
23歳も違い、岸田首相にとっては「子どものような」年齢のスナク首相。
そして、外交においては、長年外務大臣を務めた経験のある岸田首相。
対して、スナク首相は外相の経験はありません。
この意味においては、スナク首相の「岸田外交に対する称賛」は、
一応、
外交のベテランなんで・・・
という気持ちもあるかもしれませんが、英国の若きスナク首相からの賛辞は大変嬉しいことです。
厳島神社へ各国首脳を連れて行ったのも、とても良いです。
かなり厳島神社の水が引いている光景で、本当は「満水の時」が良かったですが、様々なタイミングもあるでしょう。
とにかく揉め続けていて、ずっと「険悪な雰囲気」の日韓関係。
今回、Yoon Suk Yeol韓国大統領夫妻と岸田首相夫妻が交流し、日韓関係に好影響をもたらすでしょう。
総じて「大成功」であった岸田首相のG7広島。
岸田首相には大いなる自信を持って、国際政治へ「日本のKishidaから」というメッセージを送り続けてほしい。