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拒否することの大事さ〜トップは矜持を持って、時には断固拒否しよう〜 3|政治

前回は「拒否することの大事さ〜トップは矜持を持って、時には断固拒否しよう〜 2」の話でした。

原爆投下の第一候補として、前線指揮官は盆地で原爆の効果が現れやすい「京都」を決定し、Henry Stimson陸軍長官に決裁を仰ぎます。

ここで、最高意思決定者であるStimson陸軍長官が「よろしい」と決裁していたら、当日の天候にもよりますが、原爆が京都に落とされていたかも知れません。

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原爆Little Boy

しかし、京都に訪れたことのあるStimson陸軍長官は、京都の街の雰囲気に感銘を受けていました。

そして、京都が昔の日本の首都であり、日本人にとって「精神的故郷」とも言える京都を対象とするのは「絶対にダメだ!」と拒否したのです。

前線の作戦担当者は、再度京都に固執します。

Stimson陸軍長官は最後はTruman米国大統領にも話をつけ、「絶対に、絶対にKyotoはダメだ!」と断固拒否して、「原爆投下地:京都」案を徹底的に潰しました。

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Harry Truman米大統領(Wikipedia)

米国陸軍内も人間同士ですから、高官同士でギクシャクすることもあったでしょう。

しかし、そんなことに構わず、Stimson陸軍長官は「陸軍トップ」として、自らの矜持は断固守ったのでした。

広島、長崎に原爆投下された事実は悲しいことですが、Stimson陸軍長官による「京都除外」の決定は、日本人にとっては幸いであったことは間違いありません。

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1945年8月6日広島へ原爆投下(Wikipedia)

米軍に押されていた日本軍でしたが、海軍は戦う艦艇がほぼなく壊滅状態にあったものの、陸軍は各方面で頑強に抵抗し、命を賭けて戦っていました。

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大日本帝国:敗戦時の領土(緑点線)(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

最前線で決まっていた決定事項を、矜持を持って徹底的に断固拒否したStimson陸軍長官でした。

これが旧日本軍の組織であれば、どうだったでしょうか?

最初の段階で「最前線の司令官が言っているなら、まあいいか。」あるいは「やむをえまい。」となったでしょう。

旧日本軍は陸軍は、陸軍大臣と参謀総長が「異なる分野」の「同格の権限」を持つという組織でしたから、「権限の曖昧さ」が問題になります。

そこでまた統帥権という存在も出てきます。

仮に「ダメだ!」と突き返しても、改めて同じ案が出てきて、日本的な「根回し」があったら「分かった。任せた」となった事は間違いないでしょう。

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Henry Stimson(陸軍長官 Wikipedia)

「トップとしての矜持と決定権への責任、そして時には断固・絶対に拒否」は、非常に大事です。

我が国の政治家の方々にも、是非持っていただきたいと思います。

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