前回は「拒否することの大事さ 1〜トップの矜持・断固拒否・拒否権・マッカーサー・トルーマン〜」の話でした。
米国の原爆投下計画

第二次世界大戦の際、米国は、日本を戦争が始まる遥かに前から「敵国」として研究してきた国です。
原爆の製造研究開始後、具体的な完成の目算が立った頃から
どの国のどこに
原爆を投下するか?
を、様々研究していたでしょう。
当時、米国と鋭く敵対していた日本とドイツ。
現実的には、
Japan,Germanyのいずれのどこに
原爆を投下するか?
を検討していた米国。
米国中心の連合国は、日本・ドイツいずれに対しても、1943年頃から大反撃に出ていました。
そして、1944年時点で、すでに勝利することを確信していたのです。

もはや、JapanもGermanyも
倒すことは決まっている!



問題は、その後の
世界をどのようなすがたにするか、だ!


そして、ルーズベルト大統領、チャーチル首相らは、頻繁に会って「戦後の姿」を協議しました。



我がGreat Britainが、Hitlerの
猛攻に耐えたのだ!



USの参戦も大事だが、
我がGreat Britainを重視してもわわなければ!
ヤルタ会談


1945年2月にはルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリンソ連最高指導者はヤルタに集まります。
そして、第二次世界大戦の終わらせ方や戦後の相談をしています。





我がSoviet Unionが対Japanの参戦して、
Japanを降伏に追い込みましょう!
日本もドイツも、もはや「連合国に勝つ可能性」は0%でした。
そして、米英ソが中心に戦後政治を協議している中で、大きな事態が発生しました。
ルーズベルト大統領の急死です。


後を継承したのは、副大統領だったトルーマン大統領。
そして戦後政治も考慮した上で原爆投下国として、米国は最後に日本を選択します。



Japanに原爆を
落とすのだ!
原爆投下地:日本のどの都市か?


そして、
Japanの
どの都市に投下するのか?
が、議論になります。
当然日本にとって打撃が大きい方がよく、まず首都東京は検討されたでしょう。
Emperorのいる
Japanの首都Tokyoはどうか?
ところが、民主主義の王を標榜する米国。
戦争しているとはいえ、
さすがにEmperorのいる首都Tokyoへの投下は・・・
民主国家として、
一線を超えた行為だ・・・
それは、
「やってはならない」禁じ手だろう・・・
と考え、「東京は対象外」としたのでしょう。
軍事工場が多い都市など「大きな打撃を与えうる都市」として、小倉・広島・新潟・京都の四都市が候補となります。


日本空襲の指揮をとっていた前線担当者は、盆地で原爆の効果が現れやすい「京都」を第一候補と考えます。
そして、Henry Stimson陸軍長官に決裁を仰ぎます。
Stimson長官、
Kyotoが投下の第一候補です。
「決裁」に関しては、米国も日本もある程度は共通している点があるはずです。
「陸軍の最高意思決定者」Henry Stimson陸軍長官に案が提出された時点で、現場担当者の統一的見解があったでしょう。
そして、
基本的には、
そのまま決済されるはず!
として出されたのでしょう。


米国が圧倒的優位な状況とはいえ、旧日本軍と前線で交戦している担当者からすれば、
JapanとJapanの軍隊に、
大きな精神的ダメージも与えてやろう!
Kyotoは、長年Japanの首都であり、
Japaneseの精神的故郷らしい・・・
Kyotoを吹き飛ばして、
Japanを降伏に追い込むのだ!
という意識もあったのは間違いないでしょう。
ここで、Henry Stimson陸軍長官は、前線指揮官が想定しなかった行動に出ます。