欧米とアジア 2〜幕末の大英帝国・三角貿易・清国・中国・インド〜|幕末の欧米列強の動き

前回は「欧米とアジア 1〜幕末の世界・中国産の茶・清国・大英帝国・ロシア・フランス・米国〜」の話でした。

目次

民主主義の発祥の地:大英帝国

大英帝国首相 William Lambby(1835-1841)(Wikipedia)

「民主主義の発祥の地」とも言える大英帝国(英国)。

諸説ありますが、1721年以降に選挙が実施され、首相が選出されました。

現在でもナイト(Knight)などの叙勲制度があり、貴族が残る英国。

1700年代は、貴族の力が非常に強いものの、非常に早い時期に選挙が行われていました。

初代首相:伊藤 博文(Wikipedia)

後に明治維新を経て、日本で議会が作られた時は、大英帝国を模範としました。

初代内閣総理大臣の伊藤博文が就任したのは、1885年です。

つまり、英国(大英帝国)は、日本よりも160年ほど早く首相・内閣総理大臣が選出されたのでした。

現代においても、英国政府および英国民の民主主義への姿勢は、非常に整っています。

現代までに議院内閣制がある期間が、日本は138年、対する英国は303年となります。

選挙の運営の仕方も異なると考えますが、曲がりなりにも議院内閣制が成立している期間が日本の倍以上の英国。

世界政治において、英国の存在感が際立っていることもまた、当然の結果であるでしょう。

英国から中国(清国)への大量の金銀流出

英国人が中国の茶を大量に購入し始めて、大量の金・銀が中国に流れたことを、英国政府は問題視し始めます。

時の首相は、ホイッグ党のWilliam Lambbyでした。

第十二代将軍 徳川家慶(Wikipedia)

同時期の日本では、第十二代将軍 徳川家慶が政権を担っており、将軍・大名は世襲制でした。

この約30年後に明治維新となり、徳川幕府は瓦解します。

この1840年頃は、まだまだ幕府の力が強かった時代です。

世界中に植民地を有し、「世界一の国」と言われていた大英帝国は、中国に流れる銀を取り戻すことを考えます。

Chinaに何かを売って、
銀を取り戻そう。

我が国の製品で、
Chinaで大量に売れるものはないか?

植民地のIndiaの製品を、
Chinaに売れないか?

我がGreat Britainの綿製品は
Indiaで大量に売れている。

これらの「モノの動き」から
何らかのスキームが作れないか?

大英帝国・中国・インドの三角貿易

そこで、「大英帝国と中国」ではなく「大英帝国・中国・インドの三国」での貿易を思いつきます。

そうだ!
Good Ideaだ!

Indiaで沢山栽培しているアヘン(麻薬)を、
Chinaに売れば良い!

清→大英帝国
大英帝国→インド綿製品
インド→清アヘン
大英帝国の三角貿易

「大英帝国・中国・インドの三国」で、上手く「販売する製品の流れ」が組めました。

そして、この「販売ルート」の逆方向に「銀」が流れ、大英帝国の銀が戻ってきました。

清八代皇帝:道光皇帝(Wikipedia)

ところが、これは清にとっては、たまったものではありません。

大量の銀が海外に出てゆくだけでなく、アヘンの蔓延により、社会問題化します。

清の皇帝・政府は、「大英帝国への反撃」を考えます。

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