欧米とアジア 2〜幕末の大英帝国 2〜

前回は「欧米とアジア 1〜幕末の大英帝国 1〜」の話でした。

大英帝国首相 William Lambby(1835-1841)(Wikipedia)

「民主主義の発祥の地」とも言える大英帝国(英国)。

諸説ありますが、1721年以降に選挙が実施され、首相が選出されました。

現在でもナイト(Knight)などの叙勲制度があり、貴族が残る英国。

1700年代は、貴族の力が非常に強いものの、非常に早い時期に選挙が行われていました。

初代首相:伊藤 博文(Wikipedia)

後に、明治維新を経て、日本で議会が作られた時は、大英帝国を模範としました。

英国人が中国の茶を大量に購入し始めて、大量の金・銀が中国に流れたことを、英国政府は問題視し始めます。

時の首相は、ホイッグ党のWilliam Lambbyでした。

第十二代将軍 徳川家慶(Wikipedia)

同時期の日本では、第十二代将軍 徳川家慶が政権を担っており、将軍・大名は世襲制でした。

この約30年後に明治維新となり、徳川幕府は瓦解します。

この1840年頃は、まだまだ幕府の力が強かった時代です。

世界中に植民地を有し、「世界一の国」と言われていた大英帝国は、中国に流れる銀を取り戻すことを考えます。

中国に何かを売って、
銀を取り戻そう。

我が国の製品で、
中国で大量に売れるものはないか?

植民地のインドの製品を、
中国に売れないか?

我が大英帝国の綿製品は
インドで大量に売れている。

そこで、「大英帝国と中国」ではなく「大英帝国・中国・インドの三国」での貿易を思いつきます。

インドで沢山栽培しているアヘン(麻薬)を、
中国に売れば良い。

清→大英帝国
大英帝国→インド綿製品
インド→清アヘン
三角貿易

「大英帝国・中国・インドの三国」で、上手く「販売する製品の流れ」が組めました。

そして、この「販売ルート」の逆方向に「銀」が流れ、大英帝国の銀が戻ってきました。

清八代皇帝:道光皇帝(Wikipedia)

しかし、これは清にとっては、たまったものではありません。

大量の銀が海外に出てゆくだけでなく、アヘンの蔓延により、社会問題化します。

清の皇帝・政府は、「大英帝国への反撃」を考えます。

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