前回は「欧米とアジア 1〜幕末の大英帝国 1〜」の話でした。

「民主主義の発祥の地」とも言える大英帝国(英国)。
諸説ありますが、1721年以降に選挙が実施され、首相が選出されました。
現在でもナイト(Knight)などの叙勲制度があり、貴族が残る英国。
1700年代は、貴族の力が非常に強いものの、非常に早い時期に選挙が行われていました。

後に、明治維新を経て、日本で議会が作られた時は、大英帝国を模範としました。
英国人が中国の茶を大量に購入し始めて、大量の金・銀が中国に流れたことを、英国政府は問題視し始めます。
時の首相は、ホイッグ党のWilliam Lambbyでした。

同時期の日本では、第十二代将軍 徳川家慶が政権を担っており、将軍・大名は世襲制でした。
この約30年後に明治維新となり、徳川幕府は瓦解します。
この1840年頃は、まだまだ幕府の力が強かった時代です。
世界中に植民地を有し、「世界一の国」と言われていた大英帝国は、中国に流れる銀を取り戻すことを考えます。
中国に何かを売って、
銀を取り戻そう。
我が国の製品で、
中国で大量に売れるものはないか?
植民地のインドの製品を、
中国に売れないか?
我が大英帝国の綿製品は
インドで大量に売れている。
そこで、「大英帝国と中国」ではなく「大英帝国・中国・インドの三国」での貿易を思いつきます。
インドで沢山栽培しているアヘン(麻薬)を、
中国に売れば良い。
清→大英帝国 | 茶 |
大英帝国→インド | 綿製品 |
インド→清 | アヘン |
「大英帝国・中国・インドの三国」で、上手く「販売する製品の流れ」が組めました。
そして、この「販売ルート」の逆方向に「銀」が流れ、大英帝国の銀が戻ってきました。

しかし、これは清にとっては、たまったものではありません。
大量の銀が海外に出てゆくだけでなく、アヘンの蔓延により、社会問題化します。
清の皇帝・政府は、「大英帝国への反撃」を考えます。