前回は「幕末のアジアにおける日本の立場〜英東洋艦隊出撃・大英帝国との戦争準備進める薩摩・世に出る島津久光の側近・大久保一蔵・島流しの西郷と精忠組〜」の話でした。
民主主義の発祥の地の大英帝国
昨年2022年に首相が二度変わる大混乱が起きた英国。
2023年10月の現在、若きスナク新首相は精力的に各国を周り、英国のリーダーシップを世界に見せています。
我が国では「民主主義」というと米国を思い起こしますが、何といっても民主主義は英国です。
「民主主義の発祥の地」とも言える大英帝国(英国)。
諸説ありますが、1721年以降に選挙が実施されて首相が選出されました。
1721年は日本では享保の改革で有名な、徳川幕府第八代将軍 徳川吉宗の治世でした。
この頃は、徳川幕府の力が圧倒的であり、徳川幕府将軍は完全な世襲制でした。
日本では「選挙など考えられない」時代、というか「選挙という発想すらない」時代でした。
1700年代は貴族の力が非常に強いものの、非常に早い時期に英国では選挙が行われていました。
現在でもナイト(Knight)などの叙勲制度があり、貴族が残る英国。
後に明治維新を経て、日本で議会が作られた時は大英帝国を模範としました。
大久保さんがプロシアを
気に入っていたが、議会は大英帝国が模範だ・・・
初代内閣総理大臣の伊藤博文が就任したのは、1885年です。
つまり、英国(大英帝国)は、日本よりも160年ほど早く首相・内閣総理大臣が選出されたのでした。
現代においても、英国政府および英国民の民主主義への姿勢は非常に整っています。
現代までに議院内閣制がある期間が、日本は138年対する英国は303年となります。
選挙の運営の仕方も異なると考えますが、曲がりなりにも議院内閣制が成立している期間が日本の倍以上の英国。
世界政治において、英国の存在感が際立っていることもまた、当然の結果であるでしょう。
英国から中国への大量の金銀流出:青ざめた「世界一の領土を持つ」国
英国人が中国の茶を大量に購入し始めて、中国茶が英国の上流階級を席巻しました。
とても
美味しいわ!
Chinaの
茶をどんどん輸入するんだ!
ところが、あまりに大量の金・銀が中国に流れたことを、英国政府は問題視し始めます。
これは、
まずい!
いくらなんでも、
Chinaに金銀が流れすぎている・・・
非常事態だから、
なんとしても食い止めるのだ!
時の首相は、ホイッグ党のWilliam Lambbyでした。
同時期の日本では、第十二代将軍 徳川家慶が政権を担っており、将軍・大名は世襲制でした。
この約30年後に明治維新となり、徳川幕府は瓦解します。
この1840年頃は、まだまだ幕府の力が強かった時代です。
世界中に植民地を有し「世界一の国」と言われていた大英帝国は、中国に流れる銀を取り戻すことを考えます。
Chinaに何かを売って、
銀を取り戻そう。
我が国の製品で、
Chinaで大量に売れるものはないか?
植民地のIndiaの製品を、
Chinaに売れないか?
我がGreat Britainの綿製品は
Indiaで大量に売れている。
これらの「モノの動き」から
何らかのスキームが作れないか?
大英帝国が目論んだ大貿易戦略:英国・中国・インドの三角貿易
そこで、「大英帝国と中国」ではなく「大英帝国・中国・インドの三国」での貿易を思いつきます。
Great Britain,China,Indiaの
三角貿易はどうだ?
そうだ!
Good Ideaだ!
Indiaで沢山栽培しているアヘン(麻薬)を、
Chinaに売れば良い!
すると、我がUKから流出していた
Silverが環流して戻ってくるではないか!
清→大英帝国 | 茶 |
大英帝国→インド | 綿製品 |
インド→清 | アヘン |
「大英帝国・中国・インドの三国」で、上手く「販売する製品の流れ」が組めました。
そして、この「販売ルート」の逆方向に「銀」が流れ、大英帝国から流出した金銀が戻ってきました。
ところが、これは清にとっては、たまったものではありません。
おのれ、
大英帝国めが・・・
アヘンが蔓延しすぎて、
深刻な事態だ・・・
大量の銀が海外に出てゆくだけでなく、アヘンの蔓延により社会問題化します。
清の皇帝・政府は、「大英帝国への反撃」を考えます。
次回は上記リンクです。