前回は「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の大きな間違い〜一万円札の肖像だった「誰でも知っている」福沢諭吉〜」の話でした。
成績表の相対評価から絶対評価への変化:文科省の思惑

筆者は1977年生まれで、

小学生の頃は、
日本がバブル景気で絶好調でした。
筆者と年齢が近い親の方は、子どもの成績評価が絶対評価になったことをご存知と思います。



そうそう、うちの子の
成績も絶対評価らしい・・・
文部科学省のHP(上記リンク)に、「相対評価から絶対評価への変更理由」が記載されています。
少し長いですが、下記に引用します。
新学習指導要領においては、基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ、自ら学び自ら考える力などの「生きる力」を育成することを重視していることから、評価についても、学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を見る評価を一層重視することが重要となります。このため、指導要録においても、これまでの考え方を更に発展させ、従来から「目標に準拠した評価」による「観点別学習状況の評価」に加え、「評定」(各教科の学習状況を総括的に評価するもの)についても、「集団に準拠した評価」(いわゆる相対評価)から、「目標に準拠した評価」(いわゆる絶対評価)に改めたところです。
その主な理由は以下のとおりです。
ア.児童生徒一人一人の進歩の状況や教科の目標の実現状況を的確に把握し、学習指導の改善に生かすことが重要であるが、そのためには、目標に準拠した評価が適当であること。
イ.学習指導要領に示す基礎的・基本的な内容の確実な定着を図る観点から、児童生徒が学習指導要領に示す内容を確実に習得したかどうかの評価を一層徹底する必要があり、そのためには、目標に準拠した評価が優れていること。
ウ.各学校段階において、児童生徒がその学校段階の目標を実現しているかどうかを評価することが、上級の学校段階の教育との円滑な接続に資する観点から、重要となっていること。
エ.新学習指導要領では、習熟の程度に応じた指導など個に応じた指導を一層重視しており、学習集団の編成も多様となることが考えられるため、指導に生かす評価の観点からは、目標に準拠した評価を常に行うことが重要となること。
オ.少子化等により、かなり広範囲の学校で、学年、学級の児童生徒数が減少してきており、評価の客観性や信頼性を確保する上でも、集団に準拠した評価によるよりも、目標に準拠した評価の客観性を高める努力をし、それへの転換を図ることが必要となっていること。
とにかく長くて分かりづらいですが、最も大事なポイントは、



「集団に準拠した評価」(いわゆる相対評価)から、
「目標に準拠した評価」(いわゆる絶対評価)へ!
「集団準拠」から「目標準拠」のようです。
つまり、



「クラスの中で、
どのくらいのレベル」ではなく・・・



「確固たる目標において、
どのくらいのレベル」へ!
「クラスの中におけるレベル」ではなく、「確固たる目標におけるレベル」が重要と考えている文科省。
子どもの学ぶ意欲を削ぐ「絶対評価」:妙に厳しい絶対評価の成績表


この「絶対評価」か「相対評価」かは、根幹でありますが、曖昧でもあります。
そもそも、筆者が小学生だった頃、相対評価だった時代も「確固たる目標」はあったはずです。
そして、絶対評価の通知表を、筆者の子どもも受け取っていますが、



割と「普通」が
多いね・・・
「普通」が多く、これは筆者の子どもの学力次第かもしれませんが、



かなり高いレベルでないと
「良い」は付けません!
「良い」をもらうには、「かなり高いレベル」である必要がある、と教員が言っているようです。
確かに「相対評価」ならば分かりやすいですが、「絶対評価」ならば、



このレベルに達していない人は、
全員「普通」です!
このように「極めて高いレベル」を「絶対評価」することも可能です。



僕って「普通」が多いから、
普通なのかな・・・
妙に厳しい評価をもらうと、子どもは「普通であり、自分は大したことがない」と感じてしまいます。
本来ならば、ちょっとでも良い点があれば、



〜くんは、
〜がとても良いから、成績「良い」だ!
このくらい「少し甘め」で良いと筆者は考えます。
不思議で妙に厳しい「絶対評価」は、子どもの未来に重大なマイナスとなると考えます。
「絶対評価」は別に良いですが、その基準は「ある程度甘めくらい」にするのが良く、



あっ、理科の〜で
「良い」が付いた・・・



私って、理科のセンスが
あるのかな・・・
子どもが「良い勘違い」をするくらいでちょうど良いです。
文科省には、早急に「厳しすぎる絶対評価」を中止して頂きたい。