前回は「明治維新の方向性決定づけた木戸孝允の大神謀〜悪魔と手を結ぶ決断・維新の四傑「西郷+大久保+木戸+岩倉」・圧倒的な西郷の存在感〜」の話でした。
真珠湾奇襲攻撃の責任を取らされたキンメル長官:信賞必罰の米英軍

大日本帝国による真珠湾奇襲攻撃によって、対米戦が開始した1941年12月8日(日本時間)。
後にミッドウェー海戦で「致命的大失態」を犯す山本長官でしたが、この時は輝いていました。
筆者は、真珠湾奇襲攻撃に関して、米政府は「ある程度掴んでいた」と考えます。
この当時、米政府が「何を考えていたか」は、電文や自伝など、ある程度資料があります。
その一方で、この「真珠湾に関する事実」は、米政府のトップシークレットです。
そのため、これらに関する「肝心の資料」は永遠に出てこず、「永遠に謎」と考えます。
真珠湾奇襲攻撃に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

Kimmelこんな、
こんなバカな・・・



我がUS海軍の首脳部は、
言っていたはずだ・・・



JapからのHawaiiへの
攻撃は「可能性が極めて低い」と・・・
米太平洋艦隊司令長官だったキンメルは、「寝耳に水」の大奇襲攻撃を受けました。
大日本帝国にとって、「戦術的には大成功、戦略的には大失敗」に終わった真珠湾奇襲攻撃。
いずれにしても、この奇襲攻撃によって米軍および民間人は2,000名以上亡くなり、大打撃を受けました。
そして、その責任を取らされたキンメル長官は「クビ」となりました。



私は一生懸命
仕事をしていた・・・



なぜ、私が
責任を取らされるのだ・・・
キンメル長官は「納得がいかなかった」はずですが、信賞必罰が米英の軍の常識でした。
ファクトを超重視+独自戦略を磨いたニミッツ:まずは「真珠湾」の全調査


そして、新たに米太平洋艦隊司令長官に任命されたのが、チェスター・ニミッツでした。



私が、新たな太平洋艦隊司令長官と
なったNimitzだ・・・
優れた軍人であり、「ウケが良い」ニミッツは、実は以前に太平洋艦隊司令長官就任を打診されましたが、



まだ若輩者
ゆえ・・・
「出世し過ぎる」状況に対して、婉曲に断っていたのでした。
そして、キンメルが任命された経緯がありました。





これからは空母・航空隊の
時代だ!



我が国の空母・航空隊を
飛躍させ、戦力を高めるのだ!
日本の空母・航空隊の「生みの親」であると同時に「育ての親」である山本五十六。
実は、空母・航空隊は、1940年頃までは「補助戦力」と考えられていました。
それに対して、山本の視点は「世界に先駆けていた」のは事実であり、山本の慧眼でした。
そして、日米戦争・太平洋戦争勃発までは、世界中の海軍が「大艦巨砲主義」でした。
「大艦巨砲主義」とは、主に戦艦の砲撃、巡洋艦などの雷撃などによる攻撃主体の考え方でした。



長らく、海軍省で
航空局長をしていた・・・



だから、US海軍の
全ての将校のことは知っている・・・
それに対して、直前まで米海軍省航空局(人事局)局長であったニミッツ。
ニミッツは、空母に関しては「完全な門外漢」でした。



Japanの
Yamamotoか・・・
それでも、米海軍の将校のことを「知り尽くしていた」ことは大きなメリットでした。
「空母・航空隊ど素人」でありながら、新たな「空母・航空隊の戦争」を指揮することになったニミッツ。



まずは、意気消沈している
将兵たちを鼓舞せねば!
真珠湾奇襲攻撃によって、米国内は「日本憎し」で結束し、



Remember Pearl
Harbor!
「リメンバー・パール・ハーバー」の掛け声のもと、米国民は一致結束しました。
とは言っても、最前線で「大奇襲攻撃」をまともに受けてしまったハワイ米太平洋艦隊。



我が栄光ある
US海軍が・・・



まさか、Jap如きに
こんな打撃を受けるとは・・・
前線の海軍将兵たちは、あまりの大被害に対し、言葉を失い、意気消沈していました。



みんな、
元気を出すのだ!



我がUSは、Japanとは
比較にならぬ工業力と資源がある・・・



必ず、必ず、この
お返しをしてやるのだ!



はあ・・・
出来ますでしょうか?



まずは、Japanの攻撃で
受けた被害を全て調査せよ!



まずは、Factが
重要なのだ!



はっ!
承知しました。
こうして、ニミッツの指揮のもと、真珠湾奇襲攻撃の被害の全容の詳細な調査が行われました。
その結果、着底した戦艦の中には、引き上げ可能である戦艦があることが判明。
そして、工廠(修理工場)や石油タンクは、一切の打撃を受けていない事実が判明しました。



これならば、
早期の復活が可能だ!
そして、それらの「詳細な調査・ファクト」を基に、「日本への反撃」を開始したニミッツ。
この「調査・ファクト」を超重視し、戦略を練るという「当たり前すぎる」王道を貫いたニミッツ。
ニミッツによって、米太平洋艦隊はその力を余すところなく発揮しました。



Nimitz長官に
ついてゆくのだ!
そして、ニミッツ長官は、大日本帝国海軍を徐々に追い込んでゆきました。


