前回は「WW2の趨勢決めたチャーチル首相の大神謀〜なりふり構わぬ手紙攻撃・国家の危機となった大英帝国・欧州全土の支配が現実化したヒトラー〜」の話でした。
維新の四傑「西郷+大久保+木戸+岩倉」:圧倒的な西郷の存在感

明治維新の原動力となった西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視の四名の巨人たち。
特に「維新の三傑」とされる「西郷、大久保、木戸のセット」は、一般的に順序も固定化されています。
この順序の最大の理由は、西郷の存在感が飛び抜けていることです。
名前 | 生年 | 所属 |
大村 益次郎(村田 蔵六) | 1825 | 長州 |
西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
武市 瑞山 | 1829 | 土佐 |
大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
江藤 新平 | 1834 | 佐賀 |
坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 |
中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 |
高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
さらに、この「三人の順序」は年齢順でもあり、薩摩出身の西郷と大久保が連なっている方が分かりやすいです。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀
・長州:木戸孝允・大村益次郎・前原一誠・広沢真臣
・肥前:江藤新平
・肥後:横井小楠
・公家:岩倉具視
明治期には山脇之人「維新元勲十傑論」によって、「維新の十傑」が提示されました。
この「維新の十傑」では、長州の人数が最も多く、ある意味で新鮮味があります。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
筆者は、「西郷、大久保、木戸のセット」に岩倉を加えた「維新の四傑」が最も適切と考えます。
一般的に、「戊辰戦争から会津戦争・箱館戦争」をもって明治維新と呼びます。

新政府に
尋問の議あり!
それに対して、筆者は、西郷隆盛が引き起こした西南戦争までが「一連の明治維新」と考えます。
明治維新の方向性決定づけた木戸孝允の大神謀:悪魔と手を結ぶ決断


主に薩長軍が新官軍となり、徳川幕府を討滅した明治維新。
幕末の時期は、木戸孝允は主に桂小五郎と名乗っていましたが、木戸孝允で通します。



徳川は
朝敵なのだ!
明治維新によって、新たな明治という時代が始まった1868年。
1868年は、現在2025年の157年前であり、それほど大昔のことではありません。
それにも関わらず、徳川を朝敵指定して戦った新官軍。
「朝敵」というと戦国時代のような、古風な香りがしますが、朝敵指定は徳川慶喜にとって痛恨事でした。





この私が
朝敵、か・・・
この朝敵指定が決定だとなり、徳川幕府崩壊に至りました。
「比較的流血が少ない」と言われることが多い明治維新ですが、多数の流血が出たのが現実です。
「平和な革命」でも何でもなく、間違いなく「武力革命」であった明治維新。
この明治維新を決定づけたのが、薩長同盟でした。


幕末に異常に沸騰し続けていた長州は、幕府から攻め込まれ、「滅亡の一歩手前」まで行きました。
そもそも、禁門の変などを引き起こした長州が、当時の正常な視点から見れば「問題あり」だった幕末。
禁門の変で長州の若手ホープ・久坂玄瑞が自刃します。



くっ、
久坂よ・・・
そして、この時「幕府側」だったのが、「後に討幕急先鋒」となる薩摩でした。



長州を
潰すのだ!



おのれ!
西郷めが!



薩摩と会津は
奸物なり!
多数の自国民を薩摩に殺された長州人にとって、「薩摩は悪魔の集団」でした。
そして、長州が追い詰められた後、坂本龍馬の仲介によって薩長同盟が成立しました。
薩長同盟締結における「坂本龍馬の功績」には、様々な意見があります。



薩摩と・・・
西郷と手を結ぶのか・・・
この頃、「滅亡の一歩手前」にあった長州にとって、「薩摩と同盟」は起死回生の一歩でした。
「起死回生の一歩」であっても、「悪魔と手を握る」ことであり、



西郷と手を結ぶくらいなら、
滅亡覚悟で・・・
長州のリーダーの一角だった木戸は、「薩摩と同盟せず」も十分考えたでしょう。
ここで、木戸が「薩摩=西郷と手を結ぶ」決断をしたのは、「長州のため」であったのが最大の理由です。
その一方で、



こんな徳川の
封建制度を終わらせるためには・・・



悪魔と同盟する
究極手段も必要だ・・・
「新たな時代を切り開くため」には、究極手段が必要と認識した木戸孝允。
幕末の頃の木戸の政治能力は、確かに飛び抜けており、世界史においてもトップクラスでした。
維新以降、病もあり、暫時政治力を失っていった木戸。
この頃の木戸は、まさに「大政治家」でした。
近年の日本では、「調整役」みたいな存在であり、「平然と嘘をつく」のが政治家たちです。
それに対して、「明治の大政治家」木戸は間違いなく日本を引っ張り、時代を切り開きました。
現代の日本の政治家は、「幕末の木戸孝允」を少しでも見習うべきでしょう。