質問する難しさと大事さ〜原稿棒読みの日本の閣僚・質問する難しさと大事さ・ひたすら「受け身」の日本教育・「検索でわかること」と「質問して回答を得ること」の違い〜|日本社会の脆弱性

前回は「柔軟性のかけらもない郵便制度〜日本人にとって大事な「お盆」・社会における「お盆期間」・「不合理なシステム」が変わる気配がない日本・「お盆休み」も関係ない郵便システム・思考停止のシステム〜」の話でした。

目次

原稿棒読みの日本の閣僚:日本社会の脆弱性

左上から時計回りに、Kim Jong-un朝鮮労働党中央委員会総書記 、Xi Jinping(習近平)中国家主席、Yoon Suk Yeol韓国大統領、岸田首相(Wikipedia)

最近、岸田内閣の改造が行われ、大勢の閣僚が交代しました。

中には

大臣は
初めてだ!

の方も大勢いるので、「新たな顔ぶれによる日本の政治の一新」を期待したいところです。

ところが、いつものことながら、その「淡い期待」は大臣の方々の就任会見を見て、打ち砕かれました。

記者から様々な質問が飛んできますが、「突飛な質問」は少ないです。

というよりも、大体の質問は「想定されるであろう質問」です。

そして、おそらく「事前に質問を連絡」してもらって「事前に想定問答集」を作っているかのような会見でした。

ほとんどの大臣の方は、下を向いたまま、

その件は法に則って、
対処したいと思います・・・

など答えています。

そもそも「法に則って」は「当たり前のこと」であり、わざわざ回答する価値があるのかすら怪しい「回答」です。

それでも、この「珍回答」をもって「質問の答えが完了」して、次の質問へとゆきます。

そして、次の質問に対しても、下を向きながら原稿棒読みする閣僚たち。

「覚えるのが大変な数字等がたくさんある」ならば、「時々下を向いて確認する」のは良いでしょう。

ところが、「自分の言葉で話す」立場の人間が「原稿を棒読み」することが当たり前となっている日本社会。

質問する方も「想定内の質問を形通りにしている」感じもあり、見ていて面白味のかけらもないのが大臣の会見です。

この「面白味のかけらもない」会見が「日常風景」となっている日本社会は、世界から見るとかなり異質です。

その原因の一つは、昔から指摘されている通り「教育において、自らの主張を話す」機会がほとんどないことでしょう。

質問する難しさと大事さ:ひたすら「受け身」の日本教育

M中学校・高校(新地球紀行)

この問題は、
こう考えるのが鉄則!

この問題は、
このパターンを暗記して!

とにかく「受け身」で「暗記したり、覚えたり」ばかりの日本の教育。

学校の授業で「質問する」機会はあまりなく、あるとしても、「大体想定される質問問答」となります。

実際、質問することは難しいことでもあり、大事なことであります。

比叡山延暦寺(新地球紀行)

天台宗の本拠地であり、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮などの各宗派の開祖たちが学んだ比叡山延暦寺を訪問しました。

歴史的に見ても、延暦寺は極めて重要な存在であり続けました。

王城の地・京の鬼門に当たる北東にズシリと構え、1200年以上王城・京を護り続けたのが比叡山延暦寺です。

比叡山延暦寺(新地球紀行)

まずは最も有名で広大なエリアである東塔を訪問します。

比叡山延暦寺(新地球紀行)

まずは、東塔エリアの大講堂を訪問しました。

ここでは、延暦寺のお坊さんのお話を伺う機会に恵まれました。

大講堂で一通りお参りすると、お坊さんが、

皆さん・・・
延暦寺の説明をしますから、座ってください・・・

とお話しするので、大勢の観光客の方と共に、周辺に座りました。

そして、お坊さんのお話をお聞きしました。

延暦寺は伝教大師・最澄によって立てられましたが、
大勢の方が関わっています・・・

大講堂内の上部に掲げられた数々の絵を示しながら、

あちらの聖徳太子が・・・
そして、桓武天皇が・・・

聖徳太子や桓武天皇も関わっていた事実をお話いただきました。

延暦寺には伝教大師・最澄が建立した時以来、
ずっと輝き続ける「不滅の法灯」があります・・・

1200年以上ずっと光を放ち続けている「不滅の法灯」があることは聞いていました。

ぜひ、根本中堂で
ご覧になってください。

後で根本中堂で、本物の「不滅の法灯」を拝むのを楽しみにしました。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ここで、ふと疑問が沸きました。

織田信長によって、1571年に比叡山の大規模な焼き討ちが起きたことを思い出したのです。

高い山であり「聖地」である延暦寺に保護された敵軍に対して、信長は手が出せず、

我が敵である浅井・朝倉を
下山させよ!

と延暦寺に要求します。

ところが、延暦寺側は、

断る!
ここをどこだと思っているのだ!

断固、信長の要求を突っぱねたのでした。

これは、「延暦寺の立場」からすれば当然のことです。

ならば、延暦寺を
焼き払うまで!

織田信長率いる織田軍は延暦寺を焼き払い、大勢の人々が亡くなり、建物もまた焼き払われました。

大勢の方が亡くなり、比叡山が一時は
灰燼に帰したほどの大打撃・・・

「不滅の法灯」が
大丈夫だったとは思えないけど・・・

お坊さんに
尋ねてみようかな・・・

後で「ネットで検索すれば分かる」ことかもしれません。

一方で、「その場で質問して聞いてみること」も大事です。

ところが、この「不滅の法灯の行方」は、なんとも「尋ねづらい内容」です。

それは、「不滅の法灯に対して、疑義を呈することにもなる」からです。

流石に、ちょっと
尋ねにくいな・・・

優しそうな僧侶の方でしたが、なんとも尋ねにくいです。

「検索でわかること」と「質問して回答を得ること」の違い

比叡山延暦寺(新地球紀行)

内容が内容だけに、少し逡巡しましたが、せっかくの機会なので聞いてみました。

先ほどの「不滅の法灯の件ですが、
信長の焼き討ちの時は、どうだったんですか?

すると、僧侶の方は少し微笑みながら答えてくれました。

あの時は、「不滅の法灯」は
消えてしまいました・・・

ところが、その約30年前に、山形に立石寺建立の際に、
「不滅の法灯」を分けていたのです・・・

そこで、山形・立石寺から「不滅の法灯」を
再度分けて頂き、「不滅の法灯」は続いたのです。

一度消えてしまった「不滅の法灯」ですが、「分けていた立石寺から再度分けて頂く」ことで「不滅」を保ったのです。

延暦寺の歴史の奥深い側面を垣間見た気がしました。

比叡山延暦寺(新地球紀行)

このことは、「検索すればわかること」です。

実際、Wikipediaはじめとして、様々なサイトに「不滅の法灯と信長焼き討ち」の話は掲載されています。

一方で、「延暦寺で僧侶の方に質問して答えていただく」ことも大事な経験です。

そして、それは「単なる知識を超える」価値を持つと考えます。

日本の教育で無視し続けられた「質問すること」。

場合によっては、「質問することはダサい」感じすらあります。

「質問すること」は「何かを分かっていない」ことではなく、「何かを新たに考えて疑問に思ったこと」です。

また、何か学んだことに対して質問することは、「分かってない=頭が悪い」と思われるような気がしてしまいます。

この「分かってない=頭が悪い」ことは、「分かっている=頭が良い?」人から馬鹿にされてしまう可能性があります。

ところが、「あることを分かる」というのは様々なレベルがあります。

「分かっているつもり」の方に説明してもらおうとすると、

説明は出来ないけどさ、
分かっているんだ・・・

という感じの方も多いです。

この「質問すること」を教育でも社会でも、もっと積極的に奨励するくらいの姿勢が日本の社会には欲しいです。

それは、そんなに難しいことではありませんが、「日本では無理」かもしれません。

新地球紀行

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