日米交渉継続中に出撃命令した山本長官〜海軍No.1とNo.2の頂上決戦・帝国海軍の対米戦の「マズイ布陣」・外交オンチの野村が大先輩〜|リメンバー・パール・ハーバー44・真珠湾奇襲攻撃

前回は「「対米外交の舵取り」誤った外務省〜外交素人+英語オンチの野村大使・海軍エリートコース歩いた野村吉三郎・山本五十六との野村の良好な仲〜」の話でした。

目次

帝国海軍の対米戦の「マズイ布陣」:外交オンチの野村が大先輩

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対米戦直前の海軍首脳部:左上から時計回りに、野村吉三郎 米国大使、永野修身 軍令部総長、山本五十六 連合艦隊司令長官、嶋田繁太郎 海軍大臣(丸 戦争と人物11 潮書房,Wikipedia)

日本人にとって、第二次世界大戦は「太平洋戦争」と呼ぶことが多いです。

本来ならば、大日本帝国が正式に命名した「大東亜戦争」と呼ぶべきです。

日本人D

大東亜戦争という言葉は、
大東亜共栄圏を肯定する感じが・・・

ところが、大日本帝国が、自己の都合のために「大東亜共栄圏」という言葉を生み出した歴史があります。

そのため、「大東亜戦争」という呼び方は、全く一般的ではなく、書籍などにおいては珍しいです。

「太平洋戦争」以外に「アジア・太平洋戦争」という呼称もあります。

いずれにしても、これらの名称は、当時の大日本帝国が「主とした戦場の場所」を指しています。

なんといっても、「米国に叩き潰された」大日本帝国にとっては、「太平洋こそが主戦場」でした。

海軍兵学校卒業期名前専門役職
26野村 吉三郎大砲米国大使
28永野 修身大砲軍令部総長
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
32嶋田 繁太郎大砲海軍大臣
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
39伊藤 整一大砲軍令部次長
帝国海軍幹部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

当時は、帝国海軍の最年長者である野村吉三郎が米国大使となり、「帝国海軍」が米国と戦う構図でした。

若い頃から優等生であり、ソツがない野村吉三郎は重役をこなした「海軍の重鎮」でした。

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海軍兵学校(Wikipedia)

これらの帝国海軍の大幹部全員が「同じ海軍兵学校卒業生」でした。

現代の「大学」に相当する海軍兵学校ですが、「学生時代の上下関係」は一生続きます。

対米戦において、帝国海軍の最重鎮として、軍令部総長を長年務めた永野修身ですら、

永野修身

野村さんは
ワシの先輩であるからな・・・

野村に「後輩として遠慮せざるを得ない」立場でした。

この点で、「外交オンチ」である野村が「形式的トップ」であった帝国海軍は「マズイ布陣」でした。

日米交渉継続中に出撃命令した山本長官:海軍No.1とNo.2の頂上決戦

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対米戦直前の日米交渉:左上から時計回りに、野村吉三郎 米国大使、Franklin Roosebelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、来栖三郎 米国大使(丸 戦争と人物11 潮書房,Wikipedia)

野村大使や来栖特別大使の手記が残っていますが、後世から見れば、

Franklin Roosebelt

Japanとは
戦争をすることに決めているのだ!

早い時点で、米国が「対日戦を決定していた」としか思えないのが実情です。

おそらく、野村・来栖が交渉する前から、ルーズベルト大統領は「対日戦」を決定していたでしょう。

当時、圧倒的な超大国であった米国は、大英帝国や中国を「あからさまに支援」していました。

そして、圧倒的な陸海軍を有する米国でしたが、

Franklin Roosebelt

どうも、Japanの
陸海軍は結構強力なようだ・・・

海軍次官経験者であり、「米海軍を誰よりも深く知る」ことを自認していたルーズベルト大統領。

そのルーズベルト大統領の元には、多数の帝国陸海軍の情報が分析された上、集められました。

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米空母 Lexington(Wikipedia)
Franklin Roosebelt

我がUSの海軍は
世界最強だが・・・

Franklin Roosebelt

太平洋と大西洋の
両方を押さえる必要がある・・・

Franklin Roosebelt

対して、Japanは太平洋で
我がUS海軍と戦うが・・・

Franklin Roosebelt

Japanの海軍力は、
かなり強い・・・

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第一航空艦隊旗艦 空母赤城(Wikipedia)

実際、この頃の大日本帝国海軍の戦力は、世界No.2でした。

No.1はもちろん米国ですが、「No.1に迫る勢い」だったNo.2が帝国海軍でした。

この中、ルーズベルト大統領はじめとする米政府大幹部は、「対日戦の準備」を着々進めていました。

後世から見れば「無意味でしかなかった」日米交渉。

この「無意味な交渉」は、米国からすれば「対日戦準備の時間稼ぎ」でした。

野村大使の交渉もまた「時間稼ぎ」が目的であれば、「目的達成」でしたが、

野村吉三郎

とにかく、米国との
戦争を避けるのだ・・・

真面目に「無意味な交渉」を続けていた野村大使は、悲壮感を超えて滑稽な存在でした。

実際、「日米戦が始まる時期」は早い方が、大日本帝国には有利でした。

そして、「米国が対日戦を決めている」ことを感じていた帝国陸海軍軍部。

対米戦の最終決定は、1941年12月1日の午前会議ですが、すでに開戦を決めていました。

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左上から時計回りに、山本五十六 連合艦隊司令長官、南雲忠一 第一航空艦隊司令長官、草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長、宇垣纏 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)

日米交渉が「形式的には継続していた」11月20日、山本長官は南雲長官に指令を下しました。

山本五十六

第一航空艦隊に
命令する!

南雲忠一

はっ!

山本五十六

11月26日に、真珠湾向けて
出撃せよ!

南雲忠一

承知
致しました。

ちょうど「ハル・ノート交付」と同日となった11月26日。

南雲長官率いる第一航空艦隊は、はるばる一路、真珠湾目指して出撃しました。

この時点では、山本長官が「日米交渉妥結に一縷の望みを託していた」説もあります。

山本五十六

日米交渉妥結の際は、
途中で引っ返して来い!

南雲忠一

はっ・・・・・

その一方で、山本長官は「既に日米戦やむなしと観念していた」と筆者は考えます。

海軍中心の日米戦は、いわば「世界の海軍No.1とNo.2の頂上決戦」でした。

そして、ついに「世紀の大奇襲攻撃」が始まろうとしていました。

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