前回は「帝国政府と大本営が驚愕したハルノート〜非礼極まりない米国の文書・独立国に対する「要望」ではなく「命令」・米国の対日戦への思惑〜」の話でした。
海軍エリートコース歩いた野村吉三郎:山本五十六との野村の良好な仲

1940年頃から悪化を続けていた日米関係。
この「急速に悪化の傾向にあった」日米関係を、好転させる最前線が日本の駐米大使でした。

私が日本政府の
米国大使のNomuraです!
1941年1月に、納村吉三郎は「日本外交の切り札」として米国大使に就任しました。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
26 | 野村 吉三郎 | 大砲 | 米国大使 |
32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
32 | 嶋田 繁太郎 | 大砲 | 海軍大臣 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
39 | 伊藤 整一 | 大砲 | 軍令部次長 |
40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
海兵26期を卒業した野村は、山本五十六の6期上で、大先輩に当たります。
風貌からして、温和な紳士であった野村は、海軍において評判が高く、山本との関係も良好でした。
山本が海軍次官の時、



日独伊三国同盟に
反対する、山本次官を消す!
山本五十六は「日独伊三国同盟完全反対派」であり、右翼の「暗殺リスト」に入っていました。





右翼が、私を
暗殺しようとしている、だと・・・



まあ、私は気にしない・・・
人は「死ぬべき時に死ぬ」のだ・・・
剛毅だった山本五十六は、「暗殺リスト入り」にビクともせずに、海軍次官室で粛々と仕事しました。



おうっ!
山本、元気か?
そこに入ってきた野村は、山本次官室の大きな刀を見て、



おい、随分な
業物だな〜・・・



はっはっは・・・
刺客が来たら、これでぶった斬ってやりますよ!
こんな話が、野村と山本の間であったという逸話があります。
若い頃から優秀で、エリートコースを直向きに走った野村。
野村は、様々な艦隊の司令長官をこなし、軍令部次長にも就任し、海軍の重鎮となりました。
「対米外交の舵取り」誤った外務省:外交素人+英語オンチの野村大使


海をゆく海軍軍人は、陸軍軍人よりも、海外との接点が多い傾向がありました。
平和な時代には、米国に艦隊を派遣して、日米海軍同士で「日米親善」が行われたこともありました。



私は、艦隊を率いて長官として、
米国を訪問した経験がある・・・



外国との様々な
協議にも参加した・・・



海軍の中では、
国際法をかなり勉強している!
温厚な人柄から、「海軍省・日本政府に敵が少ない」野村は、



野村さんは、我が海軍では
最も国際法に詳しい!
「国際法の権威」と認識されました。





それなら、国際法に詳しい
野村さんに外務大臣を任せよう!
転機になったのは、1939年8月に成立した阿部内閣でした。
陸軍予備役だった阿部信行は、野村に白羽の矢を立てて、



ならば、外務大臣を
引き受けましょう!
野村は勇んで外務大臣となりました。
ところが、阿部内閣は三ヶ月ほどで潰れてしまい、野村外務大臣もすぐ消えてしまいました。
そして、日米関係が悪化を続けた1940年が過ぎてゆき、1941年に入りました。



米国との関係を
良くするためには・・・



米国大使は、外交経験豊富で、
国際法に詳しい人が良い・・・



海軍の野村さんは、
良いのではないか?





うむ・・・
納村さんは人柄も良いし・・・
時の近衛総理大臣もまた、野村に対しては、好感を持っていました。
さらに、野村には「他の人にはないもの」がありました。



納村さんは、ルーズベルト大統領とも
親交があります!





We(海軍)・・・
They(陸軍)・・・
海軍大好きで、海軍次官の経験もあるルーズベルト大統領。
人の好き嫌いも激しかったルーズベルト大統領は、「米海軍はWe」で「米陸軍はThey」と表現しました。



海軍大好きのルーズベルト
大統領ですから・・・



海軍出身の
野村さんなら、適任です!



うむ、
そうだな!



よしっ!
野村さんに、日米関係を打開してもらおう!



野村さん、
米国大使をお願いします!



私に米国大使が
務まるだろうか・・・
逡巡する野村に対して、近衛文麿は踏み込んで、受任を促しました。



我が大日本帝国のために!
天皇陛下のために、お引き受けを!
こう言われては、「帝国海軍軍人」であった野村は断る術がありませんでした。



分かりました。
お引き受けしましょう・・・
ここで、英語も大して出来ない野村は、「米国大使就任を断る」べきでした。
ところが、「ルーズベルト大統領との親交」もあり、なんとなく米国大使となった野村。





なんだ、このNomuraの
英語は・・・



何を言っているか
全然分からん・・・
前線で、野村と「日米交渉」を行う総司令官のハル国務長官は、野村の英語のレベルに絶句しました。
どう考えても、「英語が堪能」であることが、最重要であったはずの米国大使。



Nomuraは
知ってはいるが・・・



別に大して親しくは
ないが・・・
「ルーズベルト大統領との親交」も定かではなかった、野村米国大使。
この時点で、「対米外交の舵取り」を完全に誤ったのが外務省でした。
次回は上記リンクです。