前回は「米国に翻弄され続けた外務省〜決意固めた東郷外務大臣の思惑・「大きすぎる大艦隊」第一航空艦隊・徹底的な情報秘匿に成功〜」の話でした。
野村吉三郎米国大使の超重大な任務:海軍仲間と安心した山本長官


乾坤一擲の
超大作戦なのだ!
「連合艦隊の顔」を超えて「日本海軍の顔」であった山本五十六。
海軍省に長くいて、軍政側にいた山本は海軍航空本部長(次官同等)、海軍次官を務めました。
役職 | 権限 |
海軍大臣 | 軍政(人事・兵站など) |
軍令部総長 | 軍令(作戦指揮) |
日本海軍の最高幹部は、海軍大臣と軍令部総長であり、「海軍大臣になるべきだった」山本。
真珠湾奇襲攻撃当時、戦艦大和・武蔵が間もなく完成し、正規空母を多数持っていた連合艦隊。
当時は、海軍力において「米国と1,2を争う」立場の超強力な存在だった連合艦隊。
世界情勢が緊迫してゆくなか、



連合艦隊司令長官には
強力な存在感がある人物が良いな・・・



やはり
山本だな!
実戦経験があまりなかった「海軍の希望の星」山本五十六は、1939年に連合艦隊司令長官に就任しました。



とにかく、この奇襲攻撃で
米太平洋艦隊を壊滅させる!



出来ることなら、米空母を
全て撃沈するのだ!


当時、「誰も考えもしなかった」のが「空母大部隊による真珠湾奇襲攻撃」でした。
この意味において、「実戦経験が少ない」山本長官は、確かに超卓越した大戦略家でした。


ここで、「極めて重要」というよりも「最重要なこと」がありました。
それは、「奇襲攻撃前に米国に宣戦布告・最後通牒を渡す」ことでした。



米国の国務省に
最後通牒を渡すのは我が外務省です。



在米日本大使館の
野村大使がやります。


野村吉三郎 米国大使には、「超重要な任務」が待ち受けていたのでした。
海軍大将である野村大使は、山本長官と非常に良好な関係になりました。



野村さんならば、
必ず上手くやってくれるだろう・・・
「野村さんだから」と「海軍仲間だから」と安心していた、山本長官。
この「仲間意識による不思議な安心感」が、後に取り返しのつかない甚大な禍根となります。
最後通牒のタイミングの攻防:「ギリギリ」と「攻撃前」と


米国からハル・ノートが交付された1941年11月26日(日本時間)に、日本から出撃した第一航空艦隊。
「択捉島から一気に真珠湾へ攻撃に向かう」という「途方もない大作戦」でした。
ここで、海軍省及び連合艦隊は、緻密すぎる検討を重ね、



真珠湾奇襲攻撃は
12月8日頃だな・・・



うむ・・・
太平洋のシケなどを考えると、そうなるな・・・
「奇襲攻撃の日付をピタリと設定した」点、幕僚たちの能力は優れていました。



奇襲攻撃前の最後通牒は
ギリギリにしたい・・・



そして、絶対に、必ず
奇襲攻撃前に実行して頂きたい!



そうなると、奇襲攻撃の
2時間前ほどが良いですね・・・



2時間前は
早すぎる!



米本国から、太平洋艦隊へ
連絡が行き、迎撃体制を整えてしまうだろう・・・





まあ、「騙し討ち」は
ならんわな・・・



「ギリギリ」と「必ず事前に通告」の
バランスは難しいな・・・
「自称天才」の永野総長もまた、大いに悩みました。





・・・・・
総理大臣ですが、陸軍大臣であり「海軍とは関係ない」東條英機総理は「蚊帳の外」でした。



最後通牒は、
奇襲攻撃1時間前に!



なんとか、
やるようにしましょう・・・



・・・・・



いや、「30分前」は
お願いできないか・・・



「30分前」では、
さすがに、責任が負えません。



そこを何とか、
何とか確実に「30分前」で!



・・・・・
事前にハル国務長官に「面会を予約」して、大使館から国務省へ向かいます。
その向かう途中で「不慮の事故」があるかもしれません。



いや・・・
さすがにそれは・・・
「事前に必ず行う必要がある」米国への最後通牒。



さすがに「30分前」は、
ちょっと厳しいわな・・・
異常な緊張感が、永野総長・山本長官・東郷外務大臣の間に流れました。



ここは、
絶対に「30分前」で!



まあ、山本が言うんだから、
仕方ないな・・・
すでに「山本がトップ」であったかのような、当時の日本海軍。
上記リンクでは、山本長官が「真珠湾奇襲攻撃をゴリ押し」した話をご紹介しています。



何とか、
「30分前」で!
ここで、東郷外務大臣もまた、山本長官に「ゴリ押しされる」ことになりました。



まあ、
何とかやってみましょう・・・



「30分前」で、
本当に大丈夫だろうか・・・



そして、必ず、必ず、
攻撃前、事前に行って頂きたい!



はい、
分かりました・・・
「異常な緊張感」にみなぎる本国の海軍と外務省。
一方で、米国の日本大使館は、のんびりした空気が流れていたのでした。
次回は上記リンクです。