前回は「東照大権現と東京招魂社〜久しぶりの「超正統派」政権の徳川幕府・日本の歴史の時代区分と揺らめく「日本の政権」・大坂幕府と江戸幕府の二頭体制〜」の話でした。
明治維新の立役者たちの本音:欧米の「無血革命」という視線

世界の様々な革命と比較すると、超穏健で「無血革命」と表現されることも多い明治維新。

Japanはどうやって、
これほどの大革命を成し遂げたのだ・・・



Europeで同様な革命が起きたなら、
数年は大戦争が続いただろう・・・
このように「欧州では考えられない」と表現されることもあるのが、明治維新です。
そして、「政権の大移行」だけでなく「国家の根幹」が全く変化した徳川時代から明治時代。



徳川家を
ブチ倒すごわす!



「徳川」という存在を
抹殺するのだ!



我が長州は、徳川家のせいで
滅亡寸前まで追い詰められたのだ!



麿も辞官出家させられて
落魄させられたのだ!
後世から考えれば、「徳川の時代を終わらせた」明治維新の英傑たち。
一方で、当時の彼らにとっては、「何のために明治維新を起こしたのか?」と問われれば、



新たな時代を
作るためだ!
「新たな時代を作る」が大義名分でしたが、実情は、



徳川家をブチ倒さねば、
我が長州が滅亡させれてしまう・・・
「徳川を倒さねば、自分たちが倒される」が本音でありました。
ほとんどの英傑たちにとっては、「自分達のため」の起こした明治維新という革命。
後世から見れば、確かに西郷・大久保・木戸・岩倉は「新たな時代の立役者」です。
一方で、彼らの本音は様々であり、必ずしも「世のため、人のため」ではなかった面もあるでしょう。
封建時代の徳川時代にピリオド:「王政復古」の明治新政府


後世から見ると、「屋台骨がガタガタだった徳川幕府」と評価されることが多い幕末の幕府。
実際には、「徳川幕府が日本政府である」ことは明白な事実でした。



我が徳川が日本を
統治しなくて、誰が統治できる?
確かに、幕府の権威・幕威は、家康や家光の頃と比較すると著しく低下していました。
それでも、当時の歳入3,000万石程度のうち、幕府が400万石、旗本が300万石握っていました。
さらに、海外貿易に対して「規制できる力」を持っていた徳川幕府。



要するに、
我が徳川幕府が最強なのだ!
かつては、徳川慶喜擁立に人生を賭けていた薩摩藩士 西郷隆盛。



確かに慶喜公は、頭が良く、
魅力的な人物ごわす・・・



だが、徳川の体制では
海外と伍してはゆけんごわす!
実際、徳川幕府は、後世「幕末」と呼ばれる当時は、大幅に西洋化(欧化)に舵を切っていました。


1860年には、咸臨丸を米国に派遣して、実際に勝海舟・小栗忠順ら高官を派遣していました。
彼らは、徳川幕府高官だけではなく「日本政府高官」として、米国と折衝したのでした。



まっ、徳川幕府の
時代は「時代遅れ」だが・・・



私は徳川幕府の幕臣であり、
徳川のために働くのだ!
「徳川幕府の時代の終わりを提言していた」と言われる勝海舟ですが、「幕臣」の姿勢は明確でした。
民主主義のシンボル靖国神社:「徳川将軍様」から「明治天皇の王政」へ


この中、武力で徳川を倒すことは極めて難しい上、そもそも「大義名分」がなかった倒幕派。



徳川を倒す
大義名分が欲しいのう・・・



よしっ!
勅を偽造してやろう!
こうして、偽勅を作成した上に、偽錦旗まで作成した討幕派。



よしっ、これで
徳川家を倒したぞ!
そして、ゴリ押しで徳川幕府にピリオドを打った明治維新の討幕派たち。



やむを得ん・・・
私は蟄居しよう・・・
「時代の流れ」に逆らうことが出来なくなり、「朝敵」の汚名を着せられた徳川慶喜。
徳川幕府を倒したので、新たな政権が必要です。
比較的アッサリと「徳川幕府の敗北」を認めました。





日本の政治を担うのは
征夷大将軍なのだ!
鎌倉幕府成立は1185年説、1192年説など様々あります。
いずれにしても、徳川幕府が瓦解した1868年まで長きに渡り、征夷大将軍が実験を握った日本。
「幕府」という言葉は「明治時代中期から」という説もありますが、「日本の政体=幕府」でした。
ここで、岩倉たち討幕派は「無理筋」を考えました。



「徳川の時代ではない」とするには、
「征夷大将軍が統治者ではない」だ!



「王政復古」を
大義名分にしよう!
こうして、「天朝=天皇が政治を握る」という日本古来の王政復古が掲げられました。





「徳川将軍様が
神様」というのは、潰さねば!
こうした意向もあり、靖国神社の前身・東京招魂社が明治維新の翌年1869年に設立しました。
戦争名称 | 英霊(柱) |
戊辰戦争 | 7,751 |
西南戦争 | 6,971 |
日清戦争 | 13,619 |
日露戦争 | 88,429 |
日中戦争 | 191,250 |
第二次世界大戦 | 2,133,915 |
その他 | 24,649 |
合計 | 2,466,584 |
それ以来、多数の英霊たちが祀られている靖国神社。
英霊たちの存在自体が、日本という国家の基軸・基礎であることは論を俟たないことです。
さらに、「徳川将軍家が神様」から「維新の殉職者が神様」という大転換を図ったシンボルでありました。


この意味において、日本の「大いなる民主主義の発露の拠点」とも言える靖国神社。
靖国神社は、「日本に欠かせない根幹的施設」であることを日本人自身が誇りに思うべきでしょう。



靖国に日本の
首相が参拝するのはもってのほか!
諸外国に何かを言われる以前に。
次回は上記リンクです。