明治維新と東京招魂社〜「新たな世」のシンボルを求めた明治新政府・超平和な江戸時代から大内戦へ・維新成立後も残る各地の大名たちと「徳川幕府の名残」・封建制度破壊の一手〜|靖国神社と日本人2

前回は「靖国の桜と英霊たちへの思い〜靖国に祀られない賊の英雄西郷隆盛・チグハグな日本人の発想・日本人の精神の故郷・靖国神社の成り立ちと日本の国家像〜」の話でした。

目次

明治維新と東京招魂社:超平和な江戸時代から大内戦へ

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靖国神社(新地球紀行)

皇居付近の九段坂上にある靖国神社。

いつも大勢の方が訪れておりますが、桜の時期は「靖国の桜」は格別です。

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靖国神社の桜(新地球紀行)

こうして満開の「靖国の桜」を鑑賞していると、やがて散ってゆく桜も気になります。

この地には、たくさんの英霊たちが祀られている事実があります。

そして、靖国神社は、日本人にとって「極めて特別な場・空間」です。

明治維新・戊辰戦争直後の1869年、靖国神社の前身の「東京招魂社」が設立されました。

思ったより、比較的
穏便に討幕戦は済んだが・・・

結構な数の方々が
亡くなったな・・・

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島原の乱(Wikipedia)

徳川幕府成立直後とも言える、1637年に勃発した島原の乱は、大内戦と言えるほどの激戦でした。

半年かけて「やっと鎮圧」した幕軍側に、8,000人以上の死傷者が出ました。

それ以降は一揆・反乱などがあったものの、欧州などと比較すると「かなり平和だった」のが江戸時代です。

いわば、世界史で考えると「超平和」だった江戸時代。

幕末には、大英帝国(英国)などと戦争をしましたが、死者はせいぜい20〜30名程度でした。

そこに、戊辰戦争という未曾有の大内戦が勃発したのでした。

そして、「未曾有の大内戦の死者」を「殉職者」として祀ったのが東京招魂社でした。

維新成立後も残る各地の大名たちと「徳川幕府の名残」

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鳥羽・伏見の戦い(Wikipedia)

「比較的穏便な革命」と言われる戊辰戦争ですが、8,000名近い方が亡くなり、靖国に祀られています。

この「8,000名近い方」は明治政府以降の政府が認定した方なので、実数はもう少し多いでしょう。

1869年に東京招魂社を設立して「殉職者たちを英霊として祀る」ことにした明治新政府。

1868年に明治維新が成立して、「徳川時代の封建制度から一気に脱皮」を図ろうとしました。

後世から見ると、「封建制度から一気に変わった時代になった」日本ですが、

封建制度を
廃止して、新たな世にするには・・・

何から手をつけて良いのか、
分からないほど、極めて大変なことだ・・・

現実は「一気に変わる」のは、極めて大変なことでした。

「極めて大変」というよりも、「一気に封建制度を廃止」するのは「事実上不可能」が現実でした。

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明治維新の元勲たち:左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

とにかく、徳川の時代が
「完全に終わった」ことを世に知らしめる必要がある・・・

早期に藩を廃止して、
中央集権化する必要がある!

大賛成だ!
すぐにでも進めたい!

超改革派であった大久保利通と木戸孝允は、「廃藩して中央集権化」を一気に進めたいです。

だが、まだ全国には
大名たちがおるからな・・・

ところが、明治維新で「官軍側についた」藩が多いとはいえ、まだ大名が藩主として残っていました。

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薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

廃藩など言ったら、
大名たちが反乱起こすのでは・・・

特に薩摩が反乱起こしたら、
元も子もあるまい・・・

明治新政府において「薩摩の元締め」であった西郷ですが、

・・・・・

「薩摩ファースト」である西郷は、なかなか「薩摩がなくなる」イメージが持てなかったでしょう。

「新たな世」のシンボルを求めた明治新政府:封建制度破壊の一手

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第十五代将軍 徳川慶喜(国立国会図書館)

後の世から見れば、最後の将軍である徳川慶喜が恭順して、「徳川幕府にピリオド」となりました。

とは言っても、そんなに簡単に「一気に時代が変わる」はずがありません。

明治維新直後は、静岡に移されて、400万石ほどの領地が70万石ほどになった徳川家。

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元幕臣 勝海舟(Wikipedia)

幕末から明治にかけて活躍した「元幕臣」の勝海舟も健在でした。

そして、戊辰戦争で大打撃を被った徳川幕府の元幕臣たちは、

本当に
俺たちの幕府はなくなったのか?

まだ、巻き返しが
出来るのではないか・・・

武力で徳川幕府を討幕した明治政府は、「武力で倒される」可能性があったのが現実でした。

すぐにでも
廃藩したいが・・・

改革派の急先鋒の大久保利通ですが、そもそもは「廃藩大反対」の島津久光の側近でした。

一蔵よ・・・
廃藩など、くだらんことを考えてないよな・・・

つい2〜3年前まで、事実上の薩摩藩主であった島津久光は「絶対的な主君」であった大久保。

一蔵よ・・・
お前は私の家臣だよな・・・

・・・・・

冷静で冷酷な面もあった大久保は、すでに頭を切り替えていました。

もう久光様の
時代は終わったのだ・・・

ところが、島津久光の頭は「切り替わる気配」すらない状況でした。

徳川幕府がなくなって、
新たな世になったのは理解した・・・

だが、薩摩藩は
薩摩藩のままだ!

これは、「島津久光側の論理」としては当然の展開でした。

討幕軍の中核となった薩摩藩の島津軍。

大体、誰のおかげで
討幕が出来たと思っている?

・・・・・

これでは「早期の廃藩」など強行しようものなら、

よしっ!
分かった!

新たな政府は
「まがいもの」だから倒すか!

となりかねない「緊迫した状況」が続きました。

少しずつ「新たな世になった」ことを
理解してもらう必要があるな・・・

「一気に廃藩」は
とても無理だろう・・・

この時、新政府側としては「世が変わった」ことを、はっきり示すシンボルが必要でした。

その一つが、国家のために殉職した英霊たちを祀る東京招魂社でした。

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