外国の方に対しては「分かりやすい言葉」を 4〜「黙殺」と海外の反応・ヤルタ会談・スターリン・チャーチル・ルーズベルト〜|原爆投下と日本政府

前回は「外国の方に対しては「分かりやすい言葉」を 3〜黙殺・ポツダム宣言・海外の反応〜」の話でした。

目次

「黙殺」と欧米の二元論

鈴木貫太郎 首相(人物で読む太平洋戦争 世界文化社)

ポツダム宣言を
「黙殺」するのみ・・・

と発言・回答した鈴木貫太郎首相。

これは、欧米的な二元論で考えると「最悪」でありました。

日本語は曖昧な部分があり、それが許される言葉です。

質問において、まず最初に”Yes”か”No”が来ることが多い英語。

Yes,〜

No,〜

すると、「黙殺=ignore」は海外、特に米国と英国には、

Noなのか!

検討すら
しないのか!?

となりました。

Harry Truman米大統領(Wikipedia)

ヤルタ会談:秘密協定

当時、「(旧)ソ連に仲介を求める」という、真剣に当時の日本政府、特に外務省は模索していました。

現在から考えると、信じられないことです。

Winston Churchill英首相(Wikipedia)

ソ連代表のスターリン ソ連書記長は、すでに「不可侵条約を結んでいた」日本を見放していました。

J.Stalinソビエト連邦指導者(書記長)(Wikipedia)

1945年7月の「ポツダム宣言発表」の半年前の同年2月に、開催されたヤルタ会談に出席します。

ヤルタ会談:ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリン ソ最高指導者(Wikipedia)

やあ、
どうも。

やあ、
これはこれは。

Franklin Roosebelt米大統領(Wikipedia)

この後に急死してしまうルーズベルト大統領が、ヤルタ会談などの諸会談を主催しました。

やあ、
どうも。

そして、米国・英国と

GermanyとJapanを
倒した後の話だが・・・

すでに「ドイツと日本を倒した後に、世界をどうするか?」を協議していました。

我がUSSRは、
Japanとの日ソ不可侵条約を一方的に破棄し・・・

Japanの領土へ
一気に攻め込みます・・・

そうして
いただくのが良い・・・

ついては、
Japanの領土は、かなり我がUSSRのものに・・・

それは、
話が別だ・・・

・・・・・

もはや「日本のこと」よりも「日本が降伏した後の、戦後世界政治体制」に視線が向かっていた米ソ。

米ソ両国で火花を散らしながら、

まあ、Roosebeltの了承が
なくても、別に良いわ・・・

我がUSSRが、Japanに
どんどん攻め込んで、領土を取ってしまえば良い・・・

旧ソ連の「日ソ不可侵条約を一方的に破棄して」の、満洲などの日本への侵攻。

それは、この頃には「すでに確定していた」のです。

原爆投下とソ連の侵攻

1945年8月6日広島へ原爆投下(Wikipedia)

広島に原爆が落とされ、日本が、もはやどうにもならない状況に追い込まれた1945年8月8日。

(旧)ソ連は、当時の日本政府が仰天する行動に出ました。

ついに、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したのです。

予定通り、
Japanへ攻め込め!

Japanが、
ポツダム宣言受諾を拒否したため・・・

連合国の要請を受けて、
我がUSSRは参戦する!

「大義名分」を掲げての行為でした。

そして、猛烈な勢いで満州・南樺太(日露戦争で勝利し、日本が取得)・千島列島に侵攻しました。

当時、すでに戦闘能力が著しく落ちていた関東軍はじめとする陸軍。

日本陸軍は、旧ソ連軍の怒涛の勢いに押されまくられ、一方的に敗退します。

梅津美治郎 参謀総長(Wikipedia)

国際政治においては、「不可侵条約を一方的に破棄するソ連が悪い」のです。

陸軍を束ねる、阿南陸軍大臣も梅津参謀総長も「戦争継続」を主張していました。

戦争
継続!

本土
決戦!

阿南惟幾 陸軍大臣(Wikipedia)

両者とも内心は、分かっていたのでしょう。

といっても、
もはや陸軍には余力がない・・・

現実的には、
もはや日本軍に連合国を押し返す力は残ってない・・・

この時にいわゆる「北方領土」が(旧)ソ連に占領されました。

そして、その(不法)占領は80年近く経過した「今でも変わらない状況」となります。

南樺太は、当時から約40年前に日露戦争の日本側勝利によって「ロシアから取得した領土」です。

そのため、南樺太を取り返されたのはある意味「仕方ない」かもしれません。

一方で、いわゆる「北方四島」の択捉島などは、元々は純然たる日本領です。

このことを日本人は、きちんと知っておくべきでしょう。

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