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外国の方に対しては「分かりやすい言葉」を届けよう 3|国際政治

前回は「外国の方に対しては「分かりやすい言葉」を届けよう 2」の話でした。

鈴木首相の「黙殺」は、日本人には理解できるニュアンスでした。

当時、唯一の同盟国であったドイツはヒトラーが自殺し、ベルリンが陥落して降伏します。

日本は、文字通り「世界中を敵に回して」闘っていました。

もうすでに、誰が考えても「日本は敗北する」のは確定していたのです。

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大日本帝国の敗戦時の領土(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

しかし、陸海軍首脳をはじめとする一部の軍部は「まだまだ日本は戦える。最後は内地(日本本土)で本土決戦だ!」と意気込んでいます。

そして、彼らは基本的に聞く耳を持ちません。

内閣において、外相と並んで強力な権限を持つ陸軍大臣及び参謀総長が「降伏反対!」という姿勢を崩しません。

当時の鈴木首相が「ポツダム宣言を受け入れる」などと言うのは不可能でした。

そのため、「ポツダム宣言を検討する」とすら「決して発言できない」国内情勢があったのでした。

鈴木貫太郎首相(1945年 人物で読む太平洋戦争 世界文化社)

原爆投下後の無条件降伏の際においても、一部の陸海軍軍人の中には「まだ決戦できる」と主張する方々もいたのですから、ポツダム宣言発表時は、そういう殺伐とした雰囲気が政府内にあったのでしょう。

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阿南惟幾陸軍大臣(Wikipedia)

苦しい胸の内を鈴木首相が持っていたことは間違いのないことです。

陸軍・海軍共に絶望的な状況は皆分かっていたことですが、特に陸軍は「本土決戦」を主張する将校が多数いたのです。

その中、鈴木首相が「黙殺と言わざるを得ない」のは「日本国内の環境」としては「そう発表するしかなかった」のでした。

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梅津美治郎参謀総長(Wikipedia)

しかし、それは日本国内の事に過ぎなかったのです。

米国・英国は日本国内の情報を的確に掴んでいたでしょう。

その一方で、日本政府・国家元首の対応次第で、様々な選択肢を持っていたのでしょう。

世界は「日本国内の環境」よりも「日本が国家として何を考えているのか」と「国家元首が話す内容」に注目していたのです。

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